58 引っ越し
― いやね、あんたの住んでいる階の…奥の角部屋の一家が、郷里に帰るとかで、今月いっぱいで部屋を引き払うんだよ。でね、あの部屋が空き家になるんだ。家族向けの部屋だったからあんたが今暮らしている部屋よりも部屋数が多いし…そりゃ家賃は今よりも若干高くなるけど…、少なくとも引っ越しの手間と費用はだいぶ軽減できると思うよ?…それとも、こんなオンボロアパート、もういやかい?
大家の提案にユリウスの顔がパアっと輝く。
「本当?おばさん!まさに今の我が家にうってつけの話!!…今日主人が帰ってきたら、すぐに相談してみます。この話、いつまでに返事すればいい?」
瞳をキラキラさせ、大家の両手をギュッと握って、ユリウスが訊ねた。
「うちも空き家にしときたくないから、早めに返事をくれるとありがたいね。…私だってあんたは…ほんの少女の頃からずっとそばで見守ってたから…私にしたら娘も同然、ミーチャに至っては孫も同然なんだよ」
― こんな、お婆さんに娘だなんて言われても…迷惑かね?
「そんな…。わたしだって…16でこのアパートに来たときから…ずっとおばさんのことを本当のお母さんのように頼りにしてたよ…。わたしは…15で母親と離れてこの国へ来たから…おばさんが私達母子を気にかけてくれて…本当に嬉しかった。これからもこのアパートに住めるんだったら、こんな嬉しいことはないよ」
うっすらと涙すら浮かべて、ユリウスは大家に抱きついてそのふくよかな胸に顔を埋めた。
作品名:58 引っ越し 作家名:orangelatte