BRING BACK LATER 1
虫干しと言っても、普段動かさない家具を除いて掃除をするようなもので、基本的に家事が板に付いた家主の士郎がだいたいはきれいにしている。
いつもと違うことと言えば、畳を上げたりすることくらいか。あとは、建具の不備を修理したり、ついでに障子紙を張り替えたり、など。
やることは山ほどあるため、キビキビ働かねば夜までに終わらない、のだが……。
まず、アーチャーとシロウが遅刻した。
それに凛はしたり顔で、ご夫夫にはいろいろと事情があるのよねー、などと意味深なことを言うものだから、桜が顔を赤くし、セイバーは憤怒の形相でアーチャーを睨み、士郎は肩が抜けたのかというほど肩を落としてため息をつき……、いろいろとはじまる前から、グダグダ感はあった。
そして、やっとはじまったと思えば、
「一度やってみたかったのよねー」
と、凛が縁側に立て掛けられた障子に近づいて見下ろす。
「えいっ!」
ぼす、と、障子に穴を開けた。
「遠坂……」
士郎が半眼で凛を見ると、
「どうせ破くんだから、いいじゃない。ほら、シロウもやんなさいよー」
「俺は、いい」
シロウは後退ったが、背後に立つ者に後退を止められた。振り仰ぐと、
「アーチャー?」
「やっておけ」
「え?」
「凛の言う通りだ。どのみち破く」
シロウの手首を掴んでそのままアーチャーは、立て掛けられた障子の前までシロウを連れていく。
「あの……」
背後のアーチャーを見上げるシロウに、アーチャーは何も言わず、シロウの手首を持ったまま障子紙に突っ込んだ。
「わ!」
紙を突き抜けた感触に、シロウは戸惑う。
「張り替えるのだから、これも作業の一貫だ」
アーチャーを見上げ、同じように周りで障子紙に穴を開ける凛たちを見て、シロウは頷く。
「たーのしー」
凛が歓声を上げる。
セイバーは最初こそ遠慮がちだったが、指でいくつ穴が開けられるかを試しているようだ。そんな二人とは対照的に桜は思い切りビリビリと破いている。
士郎は呆れつつも笑っている。
「楽しい……」
ぽつり、と呟かれた声を、アーチャーは聞き逃さなかった。
楽しいと思って出た声ではない。ただ、“楽しい”という光景を確認するような声だ。
黒い髪を撫でると、漆黒の瞳が見上げてくる。
「アーチャーは楽しいのか?」
そんなことを訊かれるとは思っていなかったのか、アーチャーは顎に手を当て、しばし考える。
「そうだな……。やはり、普段やってはいけないことだからだろう。いざ、破ってもいいと言われると躊躇するが、やりはじめると楽しくなるものだろうな」
言いながら、アーチャーも障子紙に手を突き刺した。
「あ……」
「ふむ」
障子紙に突っ込まれたアーチャーの手を見て、シロウは小さな声を上げる。
ずぼ、と抜いて、
「悪くない」
と、アーチャーがこぼせば、シロウも同じように障子紙に手を突っ込んだ。
ぼす、ぼす、ぼす……。
立て続けに穴を開けていく。
「おもしろい」
無表情で呟くシロウにアーチャーは、苦笑いを浮かべた。
***
「手が休んでいるぞ」
「なぜ、俺が張り替え係……」
「暇だろう」
アーチャーが静かにシロウを見下ろせば、渋々だが作業を進めていく。
シロウとて元はエミヤシロウだ。家事全般において、手を抜くということのできない性分。したがって、シロウもやりはじめてしまえば没頭する。
案の定、休憩という頃合いになっても、シロウはせっせと障子紙を貼っていた。
「休憩だそうだ」
「うん。あと少しだ」
アーチャーに目を向けることなく、真剣な横顔で障子紙を貼っている。こういうところは、紛れもなくエミヤシロウなのだと嫌でもわかる。
「クッ……」
思わずアーチャーは笑ってしまった。
シロウは驚いた様子で、アーチャーを見ている。
「余所見をすると、ずれるぞ」
アーチャーの指摘に、
「あ! あ、あんたも手伝え!」
しまった、薮蛇だったか、とアーチャーは思いつつ手を貸す。
「私に指図とは」
「呼びに来たのが運のツキだ」
「フン。大口を叩く」
結局、シロウに休憩を告げに来たアーチャーも休憩しないまま障子紙をすべて張り替え、驚く士郎の呆けた顔と、凛の冷めた目、それに、なぜかセイバーからは嫉妬のような眼差しをアーチャーは受けた。
「何が何やら……」
その三者からの視線にアーチャーは肩を竦め、シロウは僅かに首を傾けている。
お疲れ様です、と桜から渡された麦茶を受け取り、ふとシロウの顔を見て、アーチャーは苦笑を浮かべた。
「なんだ?」
アーチャーを見上げるシロウの顎を取る。
「ちょっ、ちょっと、アーチャー! そんなところで何するつもりよ!」
凛の咎める声がする。
「アーチャー! その手を放しなさい!」
セイバーの声も無視で、
「糊が付いている」
「え?」
シロウの頬から顎にかけて、すでに乾いてパリパリになった糊をアーチャーは擦り落とす。
「ほんとうだ」
「ぬうう、アーチャー……」
すぐ側で唸るセイバーに目を向けると、
「どうしてあなたばかりっ!」
セイバーに憤られて、アーチャーは首を捻る。
「セイバー? なんだ? 私が何か?」
「な、なんでもありません!」
プリプリ怒って、セイバーは母屋へ入ってしまった。
「どうしたのか、セイバーは。私が何かしたか?」
「さあ?」
シロウも、どうしたんだ、と首を捻る。
「あ、あんたたち、」
凛が腹を押さえながら二人に近づく。
「どうした、凛? 君も、何か変だな」
「も、あ、あんたたち、ほんと……、」
凛の言葉を待ってみるものの、要領を得ない。
「我々が何かしただろうか?」
アーチャーが訊けば、
「アーチャーがシロウにかまうからでしょー。それに、違和感なくシロウもそれを受け入れているから、セイバーがやきもちを焼いているのよ。ほんっと、鈍いわねー」
鈍いと言われても、と、アーチャーがシロウを見遣れば、シロウもアーチャーを見上げている。
「意味がわかるか?」
「いいや」
「ぶっ!」
凛が吹き出す。
「も、あんたたち、おもしろすぎるー!」
凛は腹を抱えて大笑いし、士郎は、どっと疲れた、と言って肩を落とし、桜に心配されていた。
***
本当にアーチャーは彼にべったりだ、とセイバーはムッとして息を吐く。
居間に戻って温くなったお茶を啜る。
「私とシロウだけが除け者のように思う。いえ、それが不愉快だというのではないのですが、私たちも居候を許している者として何かしら、こう……」
セイバーの家でもないため大家面はできないのだが、セイバーはどうしても二人が気になる。一つ屋根の下にいるのだから、もっとフランクに和気藹々とやりたいと思うのだ。
だが、彼らはどこか秘密裏に行動している、とセイバーには見える。二人だけに通じるような何かがあると感じられる。
何しろシロウのことは、アーチャーが最初から一任して面倒をみてきたのだから、二人だけに通じるものがあるのは仕方がない話なのだが、セイバーはそれがやはり寂しいと思ってしまう。
「アーチャーはずるい」
煎餅を齧って、セイバーは、むむ、と眉根を寄せる。
「シロウもシロウです。アーチャーにばかり……」
作品名:BRING BACK LATER 1 作家名:さやけ