BRING BACK LATER 2
アーチャーがきっと苦しんでいるだろうと思い、シロウはますます頭痛と吐き気に苛まれる。
(消えてしまえば、アーチャーが……)
消えることばかりを考えていたシロウは、それは許されないことだと、再確認する。
(消えるのなら……、繋がりを絶ってから……)
自分がどこにも向かえないことを、思い知った。
***
「っ……」
大河から渡された、ビールがなみなみと注がれた紙コップに口を付けようとしたところで、アーチャーは吐き気を伴う頭痛に襲われた。
こめかみを押さえ、紙コップを置く。
(途中までは、追えていたのだが……)
眉間にシワを寄せ、アーチャーは立ち上がる。
「あれ? アーチャーさん? 飲んでませんよ?」
「ああ、すみません。士郎を探してきます。花ばかりを見ていて、迷子になるかもしれませんので」
「え? あれ? そういえば、シロウくん、いつのまに……。あの、私たちも探しますよ」
大河が立ち上がろうとするのをアーチャーは制した。
「よくあることなので慣れています。みなさんはお花見を」
にこり、と笑顔を残し、アーチャーは人混みに紛れていく。
その切羽詰まった横顔を凛は見逃さなかったが、何も言わず、留まることにした。
あいつらが解決することだし、私が口を挟んでも仕方がない、と自身に言い聞かせ、落ち着かないが、ここは我慢だ、と、凛は堪える。
「あの……、凛……」
セイバーが、ソワソワとして凛を窺う。
「大丈夫よ、任せておきましょ」
「……はい」
迷いながら答えたセイバーに凛は、もっと食べなさいよー、と重箱を勧めた。
「まったく……」
人の溢れかえる歩道をアーチャーは足早に歩いているが、なにぶん人が多く、足取りも緩やかでいっこうに進めない。
「ここを、真っ直ぐに過ぎたはずだが……」
気配を追っていたのだが、シロウが走り出したのと、人の多さもあいまって、確かな居所を見失ってしまった。
「くそ……っ」
痛む頭を手で押さえながら、微かな気配を追う。
(離れるとどういうことになるか、わかっているはずだろう!)
苛立ちながら、少しずつだが確実に近づく気配に安堵してアーチャーは足を進める。
やがて、桜の木が立ち並ぶ場所から外れた、広葉樹の根元にしゃがみこんでいる姿を見つけてほっとした。
頭痛や吐き気を抑えていたからか、脂汗がじんわりと皮膚を覆っていて不快だった。夜はまだ寒いというのに顎を伝った汗を拳で拭う。
口を覆い、しゃがんでいるというよりも蹲っている状態に近いシロウの姿にアーチャーは首を捻る。
置いていかれたのは、アーチャーの方だ。
確かにアーチャーには頭痛と吐き気と不快感があった。だが、どう見ても、アーチャーから離れたシロウの方が、ダメージが大きいように見える。
「おい」
僅かに顔を動かしたシロウは、アーチャーを認め、どこか諦めたように顔を戻した。
(なんだ、その態度……)
苛立ちが募る。
(勝手に離れていき、調子を崩し、動けなくなり、その上に謝罪すらなく、私を見て迷惑顔か?)
不満は山ほど湧いたが、口には出さず、シロウの腕を掴む。
「戻るぞ」
シロウを引っ張り立たせ、アーチャーはそのまま歩き出そうとして、叶わなかった。
「お……い?」
振り返ると、立たせたはずのシロウが膝をついている。
「どうし――」
「先に、戻って……くれて……」
俯いたままのシロウの途切れ途切れの声がする。
「そういうわけには、いかないだろう……」
アーチャーは現状打開策を口にするが、本当のところは、何を言えばいいかわからなかった。
「あ……、そう、だな……」
シロウはどうにか立ち上がる。
「士郎、なぜ、お前の方が……」
症状が重いのか。
置いていかれたのは、アーチャーの方なのだ。
凛は、繋がる二人のうち、置いていかれる方の症状が重くなると言っていた。実際、凛に言われるままに試したとき、アーチャーが離れ、シロウを置いていった状態になった。
あの時は、シロウが酷い吐き気に蹲っていた。
今、明らかにアーチャーが置いていかれていた。シロウが姿をくらますようにアーチャーの傍を離れたのだ。
(なぜだ……?)
どうして、シロウのダメージの方が大きいのか。
(いや、そんなことよりも……)
この状態をどうにかする方が先だと、アーチャーはシロウの腕を引く。
こんな暗がりで、それも満開の桜の下ではないため、人目につくことは少ないが、アーチャーはシロウに肩を貸し、木立の中へと向かった。
***
「あの……、戻る、ん、だろう?」
「お前が歩けるようになればな」
シロウには反論することができない。こんな、立つのもやっとの状態で、人混みの中を歩ける気がしない。
「お世話を……かけます……」
「ああ。先刻承知だ」
アーチャーは怒ることも、責めることもしなかった。
それが、シロウには余計に堪えた。
アーチャーがただの義務で自分に付き合っているのだと嫌でもわかってしまう。シロウが勝手なことをしたというのに、咎めもせず、仕方がない、と、頑是ない子供に対するようにアーチャーは受け流しているだけだ。
(それは、そうか……)
当たり前のことだ。アーチャーはシロウを矯正させると、はじめから言っていたのだから。
それを自分は、何をおかしな勘違いをしているのか、とシロウは嗤いたくなる。
アーチャーが足を止め、シロウを横抱きにする。
「え?」
そのまま跳び上がって樹上の太い枝に辿り着く。
「あ、あの……」
困惑してシロウはアーチャーを見上げた。
「下にいるよりも、発見されにくい」
淡々と言ったアーチャーは、太い枝に腰を下ろし、幹にもたれ、シロウをキツく抱き込んだ。
声を上げる間も、逃れる間もなかった。
呆然として、ただされるがままにアーチャーに抱きしめられ、シロウは身を固くするより他なかった。
「上から見る桜も、なかなか……」
アーチャーの呟きにつられ、シロウも目を向ける。
ライトアップされた桜の木々は幻想的で、人の姿も高い所からだと気にならない。
ただ、品のない青いビニールシートだけがやけに現実味を帯びていて、あれさえなければ、と思うことしきり。
(桜は、きれいだと思う……)
だが、シロウには散りゆく桜が切なく見える。目の奥が熱くなり、鼻の奥が、つきん、と痛んだ。
(こんなふうに、きれいなものを見ているのに……)
胸が苦しくて仕方がない。
狭い箱にでも詰められたように、シロウは自ら動くことができない。八方塞がりのシロウの想いは、このまま、自身の身の内で腐っていくしかない。
腐って溶けて、悪臭を放つようになればおしまいだ。処分されるしかない。
(知られなければいい。俺の想いなんて……)
知られたところで、軽蔑されるだけだろう、と嗤おうとしたが表情筋はピクリとも動かなかった。
夜桜に酔う人々。
夜に溶けるように身を潜めてシロウを抱きしめるアーチャー。
そして、この状況に、ただ身を竦め、どうすることもできない想いに、身を焦がしてしまうシロウ。
春の夜の冷たさは、シロウの想いまで冷やしてはくれなかった。
***
作品名:BRING BACK LATER 2 作家名:さやけ