花、一輪
古いものを大切に守りながら、その上で新たな歴史が紡がれていく様を間近に見られるのがいいのだと昨日饒舌に語ったアンジェリークの眩い笑顔を思い出し、ルヴァはサンノヘイユへと足を踏み入れた。
観光客向けに置かれた看板で店の場所を確認すると、そこには”ダシエ宝飾店”と書かれていた。
それから数時間後、軽やかに鳴り響いたドアベルの音にオルヴァルは顔を上げ、今度は静かに扉を閉めている人物を見た。
「お帰りなさい。いいもの見つかりましたか?」
ルヴァは照れ臭そうに頬を掻き、こくりと頷いている。
「あんまり自信はないんですけどね、まあ……私なりに考えて選んできましたよ。お店の方と相談しながらね」
机の上に置かれたアルバムをちらちらと眺めながら、オルヴァルはややそっけない調子で問う。
「何を買ったんですか」
「ええとですね、ネックレスと指輪などを……」
彼女が女王候補の頃に贈ったものはもう似合わなくなったと悲しんでいた。
店員に何気なくその話をすると、恐らくデザイン自体が可愛らしすぎて合わなくなったのだろうと説明を受けた。そしてかつて贈ったものと良く似た滴型で、より洗練され今のアンジェリークにふさわしいデザインを薦めてくれたのだった。
話の間オルヴァルはこれといった感情も見せず、ただ淡々と山積みの封筒を開けながら小さく口の端で笑う。
「へえ。良かったですね」
「とてもいいお店でしたよ、ありがとうございました……ところで、あなたは何をしているんですか?」
数々の封筒からは写真とおぼしきものが出されている。
ちらと視界に入ってきた一枚に、ルヴァの目は釘付けになった。乗馬服に身を包んだ幼いアンジェリークの姿が写っていたからだ。年の頃は十歳ほどだろうか、翠のまなざしはどこか誇らしげに笑みを浮かべている。
「これは……アンジェですか? 可愛らしいですねえ」
彼女が乗馬をしていたとは聞いたことがなかった。まだまだお互いに知らない一面があるものだと思った矢先に、オルヴァルが苦笑した。
「残念、それはオレですよ。アンジェリーク本人も不思議そうに二度見してました」
ルヴァの視線がまじまじとオルヴァルに注がれた。彼は今でも女性的な柔らかい風貌をしているが、体格だけをみればルヴァより長身である。
幼少期の可愛らしさを残しつつも立派な体躯に育ったケースは聖地で幾例か知っているため、それについては特段驚きはしない。だがアンジェリーク当人が不思議がる程幼い頃から似通っているとなれば、他人のそら似と片付けるよりも二人の血縁を疑ったほうがいい。
「前にアンジェリークのアルバムと並べて見比べたら、笑えるくらい似てましたよ」
オルヴァルの何気ない言葉に、顎に手を当て暫し考え込んだルヴァがおもむろに口を開いた。
「あの……あなたの一族の家系を辿ることは可能でしょうか」
その質問にオルヴァルは首を捻り、うーんと唸る。
「どうだろう……聞いてみないと分かりませんけど、帰ると身を固めろ攻撃に晒されるから、あんまり帰りたくないんだよなー……」
渋面で頭を掻くオルヴァルを見て、やや肩を落とす。
「そうですか……それなら別の方法がいいですね。もし良かったら、あなたとアンジェリークの遺伝子検査をしてみませんか」
「遺伝子検査?」
にこりと頬を上げて頷くルヴァ。
「今は検査キットの精度も上がっていましてね、遠い血縁関係まで分かるんですよ。私は前々からあなた方は親戚なのではと思っていましてね」
「親戚かあ……」
これまで溜め込んだままになっていた写真を整理していたオルヴァルがその中の一枚を手に取り、じっと視線を落とした────アンジェリークと二人で写っているお気に入りの一枚を、そうっとアルバムにしまい込む。その瞬間ちくりと走った胸の痛みに、彼は気づかないふりを決め込んだ。
出会ってからこれまでを写した、二十五年分もの思い出の記憶。それらはオルヴァルにとってかけがえのない宝物と言えた。
アンジェリークを大切に思う気持ちは今も変わらない。本当の意味で幸せにできるのが自分ではなくとも、決してゼロにはならない感情を抱えてこれからも傍にいるのだろうという予感がする。
もしも本当に血縁関係だったなら、それを彼女と自分とを繋ぐ唯一の絆と呼べるのだろうか。
「もし興味があるのでしたら、キットは私が取り寄せてみますよー」
ルヴァの穏やかな声に僅かな回想から意識を戻し、にこりと頬を上げた。
「アンジェリークがいいんでしたら、試してみたいですね。よく知らないけど痛くはないんですよね?」
今でも注射はちょっと苦手なんですよというオルヴァルの発言に、ルヴァはくすくすと笑う。
「ええ、サンプル採取は唾液を取るだけです」
「オレはどっちでも構いませんから、そちらに一任しますよ……おっ、これは懐かしいなあ。ほら見て、海に行ったときの」
「分かりました、ではアンジェに聞いてみますね……、ふぁっ!?」
オルヴァルがひらりと掲げた写真へ注目し、ルヴァは一瞬で首まで真っ赤になった。
「な、な、なんですかこれは!」
目を向けられずにいるルヴァの眼前へ、更にひらひらと見せつける。
「なにって、水着ですよ。アンジェリークのビキニショット〜♪」
そこには賑やかなフルーツ柄のフリルつきビキニで、飲み物を片手にピースサインをして微笑んでいるアンジェリークが写っていた。見た感じではまだ二十代後半くらいに見える。
「なんっ、なんであなたがこういった写真を持っているんですか!」
ルヴァは相当動揺しているらしく声が裏返っている。どうやら女性にはあまり免疫がないと見たオルヴァルからの、ちょっとしたからかい────に装った報復だった。
「なんでって、オレが撮った写真だからに決まってるじゃないですか。ね、このおさげ髪も可愛いと思いません? ……いてっ」
しゅぴっと音がしてオルヴァルの指先に痛みが走る。ルヴァが写真を回収した勢いで切り傷ができてしまった。
「だ……だめですよこれはっ! なんて破廉恥な!」
他人の所有物だということは頭できちんと理解していたが、よりによって恋人の水着写真である。この地での暮らしぶりがよく伝わってくる可愛らしい笑顔には感動すら覚えるが、露出過多なのはどうにもいただけない。そういった刺激的な姿を目にするのは、夫となる自分だけに許されるべきものではないのか────とルヴァは理屈屁理屈をこねてぐだぐだと考え込んでいたが、端的に言ってしまえばたった一言、”羨ましい”のであった。
写真をひったくり、後ろ手に隠して後ずさるルヴァをゆっくり追いかけていくオルヴァル。
「ちょっとー、返して下さいよ。それオレの写真なんですから」
ルヴァは顔色が落ち着いてきた頃にそうっと写真を覗き込み、再び爆発音がしそうな勢いで頬を紅潮させている。
「……そんなに気に入ったんですか?」
「う…………」
半笑いのオルヴァルにそう問われ、きょろきょろとせわしなく動き回る眼球。やがて観念した様子でこくりと頷いた。
「正直でよろしい。じゃあオレのおすすめベストショットをお見せしましょう」