花、一輪
窓からは様子がさっぱり分からず、謎の音の正体についてぽりぽりと頬を掻き考えこんでいると、目を覚ましたアンジェリークから意外なことを耳にした。
「あ、郵便屋さんがきたみたい。ルヴァ、ポスト見てきてくれる?」
訝しみながら玄関扉を開けると、ちょうど低めの鈴の音を響かせて歩き去る白ヤギと一人の男性が目に入った。
ヤギは背中から緑色の大きな鞄を下げ、時折ベェェェェ、と鳴いている。隣をゆっくりと歩いている男はヤギが鳴く度に首の辺りをぽんぽんと撫でていた。
ポストには例の検査結果が届いていたが、今はそれよりもあのヤギについて気になって仕方がない。
「アンジェ、あのヤギは何なんですか?」
「ヤギの郵便屋さんよ」
見たままじゃないか、とルヴァは思う。
腑に落ちないといった表情のルヴァを見て、アンジェリークはくすくすと笑う。
「ふふ、びっくりしたでしょ。あれは年に数回やる村起こしイベントなの。横に人がいたでしょう、あの人が正規の職員なんだけど、ヤギは臨時職員」
「初めて見ましたよ。お手紙を食べないヤギとは、面白いですねえ」
確かに周囲の田園風景と重なり牧歌的な雰囲気だ。
にっこりと頬を上げ、アンジェリークが話を続ける。
「可愛いでしょ? 寄り道したり配達物を傷めたりするヤギじゃだめだから、適性のある子が見つかるまでやらないんですって。前の子が引退したばかりだから、今年はこれが初お披露目ね。あ、白ヤギでした?」
手紙と白ヤギとくれば、と察知したルヴァが吹き出す。
「白でした。……もしかして黒ヤギもいるんですか?」
「黒は気難しい子が多くてレアらしいわ」
「そうなんですか、いつか遭遇できたらいいですねえ」
のほほんとそんな会話をしながら朝食を済ませ、店へと出向く。
店内ではオルヴァルが机に突っ伏して、ぶわあと大きな欠伸をしていた。
それをしっかり目撃したアンジェリークがくすりと笑んで声をかける。
「眠そうね、オルヴァル。大丈夫?」
「うん……昨日新刊読んでたら全部読みきっちゃってさあ……きりのいいとこで止めようと思ってたのに」
その言葉に大きく頷くルヴァ。
「あー、分かります。あと少しと思いつつ気づくと朝だったとかね」
あるある、と頷いたオルヴァルがルヴァの手にちらりと視線を走らせた。
「で? 例の結果が出たの?」
「ええ、今朝届きました。私が開けてもいいですか」
二人が頷いたのを確認してルヴァはそっと封を切り、折り畳まれた中身をアンジェリークに手渡す。
かさりと紙の擦れる音が静かな店内に響き、アンジェリークとオルヴァルが視線を落としてから顔を見合わせ、頷き合った。
ルヴァは結果が気になり、そわそわしつつ話しかけた。
「どうだったんですか?」
検査結果を手渡して緩やかに微笑むアンジェリーク。
「ルヴァの予想通りだったみたいよ」
遺伝子情報には確かに一致する部分があり、それはアンジェリークの母方の血筋を引いた末裔がオルヴァルであることを示していた。
「ママは四人兄妹だったし、子沢山だった叔母さんの血筋かもね」
「アンジェリークの叔母さんって、そこからオレになるまで何代挟んでるんだよ……やんなっちまうなー、目の前にいる人がご先祖さんとか……」
口ではそう言っているが、彼の表情は明るい。
これが余りにも似通った二人の、最大にして最後の共通点なのかも知れない。ルヴァはそう感じながら、書類を手にしたまま口を開く。
「あー、ご先祖というほど遡りはしないと思いますよ、アンジェが聖地にいた期間は私より短かったですから……」
弟の子孫も今頃故郷を出てどこかの星にいて、どこかで知らずに擦れ違っていたら面白いのに、などととりとめなく想像した。
オルヴァルは頭を掻いて、ふんわりとはにかんだ。明けを待ちわびて開き出す花のように優しい微笑みは、やはりアンジェリークにどこか似ている。
「まあこれで色んなことに納得いくよ。親父の火遊びじゃなくて良かった」
「ふふ、ほんとね。それじゃあ後は宜しくね」
あっさりと踵を返すアンジェリークを、オルヴァルは慌てて引き留めた。
「えーっ、たまには店番変わってよぉ。最近ずっとルヴァさんと二人きりだし、このままじゃオレ新境地を開拓しちゃうよー」
つまらなさそうに唇を尖らすオルヴァルへ、一体何の新境地ですか、とルヴァは目で訴えた。
「んー、いいけど、今からケーキ焼くつもりなのよ」
アンジェリーク特製のケーキはルヴァだけではなく彼にとっても好物だ。
「う……それ、オレの分もある?」
オルヴァルが恨みがましいジト目でアンジェリークを見やるが、彼女は意に介さず笑みを浮かべたままだ。
「勿論!」
「じゃあ頑張る……から、焼けたら持ってきて、ここで食べるから」
「はいはい。じゃあ頑張ってね、いい子いい子〜」
にこやかなアンジェリークによしよしと頭を撫でられ、満更でもない表情に変わるオルヴァル。
そんなやりとりにやや冷たい視線を向けてしまったのは、嫉妬の意味も多分に含まれている。
アンジェリークは言われた通りにいつものレモンケーキを焼いて差し入れにやって来て、オルヴァルは店番をそっちのけで紅茶を淹れ始めた。
この店ではこういったことが度々起きるため、その場に居合わせた常連客の表情はぴくりとも変わらない。
変わらないどころか、オルヴァルは居合わせた人数分にケーキを切り分け、紅茶を用意して全員を招待して見せた。
にっこり笑ってオルヴァルが声をかける。
「オーナーの差し入れだよ〜。食べられる人は良かったら一緒にどうですか?」
不定期開催のお茶会の誘いを断った者は誰もいなかった。初見の客は少し驚きながらも皆嬉しそうに顔を綻ばせている。
こうしてすぐに他人が巻き込まれていく部分は、やはり血縁のなせる業なんだろうかと思いながらルヴァもケーキを口に運んだ。