花、一輪
預かり物を届けに行く日
煩雑な手続きはオルヴァルが率先して動いてくれたため事なきを得た、らしい。
葬儀の前後のことは、正直に言ってあまり記憶にない。
所々で記憶が抜け落ちてしまっているのか、しっかり思い出そうとしてもモヤがかかったようにおぼろげなのだ。
ルヴァは遺品の整理をする気にもなれず、呆けたまま幾日か過ごした。
そんなある日、店からオルヴァルが駆けつけてきた。
徒歩十五秒だというのにぜいぜいと息を切らせた彼が呼吸を整え、驚くべきことを口にした。
「ルヴァさん……ちょっと来て貰えますか。なんかあなたの元同僚って人たちが来てる!」
「は……? えっ、な、どういうことですか」
戸惑ったまなざしを向けたルヴァの背を押して玄関へと促すオルヴァル。
「こっちが聞きたいよ、なんだよあの威圧感! 迫力ありすぎ!」
店の前には懐かしい面々が集まっていた。
ルヴァはぐいぐいと背を押されながら────オルヴァルは少し怯えているようだ────やたらと目立つ見慣れた集団に声をかけた。
「……皆さん……どうしてここに?」
すいと滑るように歩み出てきたのは、アンジェリークと共に聖地を後にした元女王補佐官、ロザリアだ。彼女自身はアンジェリークの葬儀に参列していた。
彼女もまた齢七十半ばなのだが、アンジェリーク同様に歳を重ねていても美しい。
結婚後にアンジェリークと二人で幾度か会っていたし、手紙のやり取り自体は聖地を出てから続いていたのだという。
「ジュリアス宛に知らせを出しておきましたの」
そして光の守護聖ジュリアスがロザリアの隣に並び立つ。
「久しいな、ルヴァ。手紙を貰ってから全員の日程を合わせるのに手間取ってしまってな、到着が遅れてすまなかった」
懐かしい声に枯れたと思っていた涙が滲むのを堪え、ルヴァは深々と礼をする。本来であればルヴァが連絡すべきことを、抜け殻のようになっていてオルヴァルに任せたきりだった。ロザリアのこの機転がなかったらと思うと冷や汗が出た。
「いいえ……アンジェリークもきっと喜んでくれますよ。ああ、紹介が遅れましたね。オルヴァル、ロザリアは葬儀でお会いしてますよね。あとは……えー、全員守護聖です」
疲労困憊の状態で全員の細かな紹介は辛かった。「雑だなおい!」とすぐに突っ込みを入れたのは勿論ゼフェルだ。
「それにしてもよールヴァ、そこのおっさん、なんかアンジェリークに似てんだけど、気のせいじゃねーよな?」
四方八方からまじまじと浴びせられる視線に、オルヴァルはぽりぽりと頬を掻いたのち無言でルヴァに助けを求めた。
「ええ、彼はアンジェリークの母方の末裔なんですよー」
ようやく紹介されたオルヴァルが営業用スマイルで対応した。
「初めまして、オルヴァルと言います。皆さん遠いところからようこそいらっしゃいました」
アンジェリークと面識のある守護聖が一堂に会し、口々にルヴァへ弔意を表し労りの言葉をかけていく。
そうして一通りオルヴァルへの紹介を終えた後、アンジェリークが埋葬されている墓地まで案内していく道すがら、ジュリアスがルヴァに話しかける。
「そなたが退任後にあの方を追っていったという話は人伝に聞いていたが……このようなことになるとはな」
まだぽっかりと空いたままの胸の内は、彼女と過ごした思い出の記憶で少しずつ埋まり始めていた。
その中の幾つかを回想しているのか、ルヴァは目を細めてからジュリアスへと視線を移す。
「それでも、再会するまでにあの人が要した時間と同じくらいには、共に過ごせましたから……私は十分幸せでしたよ」
眠れていないのが傍目にも分かるほど、ルヴァは憔悴していた。彼に大丈夫かと問えば大丈夫だと答える性分であることを、ジュリアスは既によく分かっている。
「そうか……それならば良いが。あまり無理をしないようにな、あの方のためにも身体を大事にしてほしい」
「ええ……ありがとう、ジュリアス」
ふと前方を見れば、先導しているオルヴァルがマルセルとランディから質問責めに遭っているのが窺えた。
アンジェリークのこの星での生活ぶりやお店のことで盛り上がっているようだ。
これまで笑う気力もなかったというのに、聖地で長い間苦楽を共にした彼らに囲まれた途端、胸の痛みが随分軽くなった気がした。
いつの間にか隣に来ていたクラヴィスがちらりと気遣わしげな視線を投げて寄越す。
「やつれたな、ルヴァ……」
「あまり食欲がわかなくてね。まあ歳も歳ですから、そんなにきっちり食べなくてもいいんじゃないかって思うんですがね」
できるだけいつもの調子で言葉を紡ぐと、すかさずオリヴィエとゼフェルから突っ込まれた。
「そーんなこと言ってると、栄養足りなくて白髪とシミシワ増えるよっ、ルヴァ」
「そーだぜ、おっさん通り越してジジイになっちまってんだから、少しは生活改めて長生きしろっつーの!」
言葉と同時にばしんと背中を叩かれた拍子に足がよろけてしまい、リュミエールが咄嗟に支えてくれた。
「ゼフェル、力が強すぎますよ。ルヴァ様大丈夫ですか」
「ああ、平気ですよーこれくらい。ありがとう、リュミエール」
「いえ……ですが確かに以前よりお痩せになっていますし、顔色も少しお悪いようですから……心配です」
むしろリュミエールのほうが今にも倒れそうな表情だと思いながらルヴァが返事をしようとした矢先、オスカーが割って入る。
「何でもすぐに気持ちの切り替えができたら、何の悩みもなくて済むだろうな。なあ、水の守護聖殿?」
聞きようによっては皮肉とも受け取れる言葉に、困惑したリュミエールの眉尻が下がった。
「……オスカー」
まさかここへ来て恒例の言い争い勃発か、とルヴァは内心ひやりとしていた。だがそれは杞憂に過ぎなかったことを、オスカーの穏やかな声が物語った。
「今の状況ではこうなっていて当然だろう。俺だって伴侶を失えば平常ではいられないだろうさ……」
オスカーの言葉に少しだけ目を潤ませながら頷いたリュミエールの横で、オリヴィエが肩を竦ませる。
「だ・か・ら、私たちが雁首揃えて来たんじゃない。今あっちに残ってる守護聖が地だけ、あとは女王陛下と補佐官しかいないとかナイから、普通!」
そこでぷっと吹き出したオスカーが更に突っ込みを入れた。
「初めから終わりまで異例づくめなのは、あの方の専売特許だろう?」
違いない、と言って皆で笑い合った。
埋葬地が視界の先に見えてきた。道行く人々が半分物珍し気に、半分恐々とぞろぞろ歩いている一行を見ている。
それから言葉を発する者はなく、黙々と一本道を歩き続ける。ぼんやりと見上げた空は聖地で長年見ていた空を彷彿とさせる、どこまでも澄んだ青だ。
あの空のどこかに、彼女の魂があるといい────そんなふうに思った瞬間、目頭が熱くなってしまったルヴァは慌てて言葉を紡いだ。
「あの……今は私がこんな状態なんで心配をかけてしまいましたけど……思い切ってアンジェのところへ来てみて、あの人が受け入れてくれて良かった……って、思ってるんですよ。晩年はちょっと落ち着いちゃってましたけど、基本的には皆さん知っての通りの人でしたからねえ、毎日が新鮮で、本当に幸せでした」