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しょうきち
しょうきち
novelistID. 58099
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花、一輪

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心は囚われて


 暫く黙って抱き締められていたアンジェリークが、ふと何かを思いついたような顔をした。
「ルヴァ。わたしのお店、見に行ってみます?」
「そういえば、さっきからあなたのお店の話題が出ていましたねー。どういったお店なんですか」
 ふわふわとしたイメージが今も脳裏に残っているせいか、彼女が自営業を営んでいたとは想定外だった。
「雑貨屋よ。規模は小さいけど結構遠くからもお客さんが来ているわ」
「そうですかー、それは見てみたいですねぇ。ここから近いんですか」
 ルヴァが渋々といった様子でアンジェリークから離れると、彼女は椅子からゆっくりと立ち上がった。
「ええ、すぐ裏だからゆっくり行っても徒歩十五秒くらいね」

 家のすぐ横の小道を抜けると、思ったよりも落ち着いた外観の店が視界に入った。
 アンジェリークの自宅はシンプルな白壁だったが、こちらの店は他の建物と同じようなレンガ造りだ。他と少し違うのは、建物のほぼ中央にある扉から向かって右側にはショーウィンドウがあるものの、左側には窓がなくびっしりと蔦に覆われている。その壁の前に店名──Mon tresor(私の宝物)──と書かれた立て看板が出してあった。
 彼女が「店休日」の札がぶら下がる木製の扉を開けると、ドアベルがカランコロンと軽やかな音を立てた。
 中に入ってぐるりと見渡す。窓のない側は扉が閉まっていて様子が分からない。倉庫やスタッフ用のスペースかも知れないとルヴァは思った。
 ショーウィンドウのある側は、アンジェリークの言葉通りに色々な雑貨が置いてあった。
 アクセサリー、布小物、ぬいぐるみなど、女王候補時代に彼女の部屋にあったとしても全く違和感のない可愛らしいものがそこかしこに陳列されていた。
「ね? ちっとも成長してないでしょう、ふふっ」
 少女の頃の面影を色濃く残したはにかみに、ルヴァはくすぐったさを感じて頬を掻く。
「いえいえ、とてもあなたらしいと言うか……そのー……かわ、可愛いですよ。あなたも、このお店も」
 肝心なところで思い切り噛んでしまった上に言いたいことがぼやけてしまったが、本当は「あなたの微笑みはとても可愛い」と言いたかったルヴァ。
「やぁだ、いつからそんなお世辞言えるようになっちゃったの? でもありがとう、嬉しいわ」
 笑顔でサラリと流されてしまい、そこに言われ慣れているかのような余裕を感じたルヴァは更に言い募る。
「お世辞じゃないです!」
 思いの外大きな声が出て、はっと口元を押さえた。
「あ、す、すみません……お世辞なんかじゃ、ないです。あなたは本当に可愛らしい」
 声を落として言い直すと、アンジェリークの眉が一瞬歪んだ。
「そういうの、わたしじゃなくて恋人に言ってあげたらいいのに」
 アンジェリークはあっけらかんとした口調でそう言うと、ルヴァの視線から逃れるように雑貨の配置の乱れを直し始める。
 明らかにはぐらかされていた。まともに取り合って貰えない感覚に、ルヴァの胸中がざわめき立つ。
「…………なんでですか」
 近づこうとすると遠ざかっていくアンジェリークの気持ちが分からなくて、少しの苛立ちが声に出てしまった。
 ルヴァからは見えないがその表情に悲しみの影を走らせて、彼女は手元のぬいぐるみに視線を落としていた。二、三度ゆっくりと瞬きをした後、優しい含み声で答える。
「あなたはまだ若いんだし、これから出会いだってきっと沢山あるんだから────」
 最後まで言わせまいとルヴァは彼女の細い体を強引にこちらへと向けて、翠の瞳をじっと覗き込む。
「アンジェ。私があなたを可愛いと思うことと、私の将来の話やらと、一体何の関係があるんですか」
 真剣に見据えるまなざしに怯え、アンジェリークは無言で目を逸らす。ルヴァはそれに対抗するように、背けられた顔に手を添えてぐいと視線を戻した。
「恋人? 出会い……? それがあなたじゃないって、どうして言い切れるんですか」
 告白したも同然の言葉の前に、酷く思い詰めた瞳が揺れていた。悲し気に当惑しきった彼女の顔つきがルヴァの胸を深くえぐり傷つける。
「答えて下さい。あなたじゃ駄目な理由を」
 知りたいと思った。彼女にこんな顔をさせている原因を。そして取り除けるのであれば取り去ってしまいたかった。
 ポケットの中から再び例の封筒を取り出し、中のミニチュアブックを眼前に突きつけた。
「これはもう過去のことなんですか? ……表題の意味も」

 今にも泣きそうな顔をしながらアンジェリークが口を開きかけたそのとき、閉ざされていた扉の向こうから物音が聞こえてきた。
 彼女への追求をひとたび止めてさり気なくアンジェリークから一歩離れ、そちらへと視線を投げるルヴァ。階段を軽快に降りる足音がして間もなく扉の向こうからオルヴァルが姿を現した。
「あっ、来てたのか。オレお客さんが来ちゃったのかと思って焦ったよ」
 言いながらちらと視線がルヴァへと向けられていた。アンジェリークの顔は既に平常を取り戻していて、感情は全く読めない。
「……先ほどはお話し中に失礼しました。オレはこの店で働かせて貰ってる、オルヴァルです」
 アンジェリークに似た翠の瞳がルヴァの視線とかち合う。どこか探るようなオルヴァルのまなざしにも怯まず、穏やかな笑みを浮かべて淡々と対応してのける。
「こちらこそご挨拶がまだでしたねー。私はアンジェリークの古い知り合いで、ルヴァと言います。今日から彼女のところに居候することになりましたので、よろしくお願いしますね」
 ルヴァはもうお帰りになるのよ、などと言われないように努めてにこやかに先手を打つ。
 居候と聞きオルヴァルの表情が僅かに翳った。
「アンジェリークの家に、ですか? ……へえ」
 言いたいことを言わずに飲み込んでいるかのような、何か含みのある声だった。ルヴァはそれに若干不愉快な気持ちになったが、笑顔を崩すことはなかった。
「じゃあわたしはそろそろ家に戻るわね、オルヴァル」
 オルヴァルへ向けてにこりと愛らしい微笑みでそう言い残し戸口へと踵を返していくアンジェリークを追おうとした瞬間、背後から腕を掴まれた。
 はっと振り返るとオルヴァルが笑みのない目でじっとこちらを睨み据えている。
「任せといて。……ルヴァさん、折角ですからアンジェリークのお店をくまなく紹介しますよ」
作品名:花、一輪 作家名:しょうきち