ひばにょ!
驚きの声を上げた綱吉に三浦は、「沢田先生の身の安全のためなんですよ」と当時の綱吉にしてみればいささか大げさに思えることを言って、綱吉の背を押したのだった。
けれど、結局そのときは、ほとんど話もしなかった。
ただ応接室で向かい合って座って、なぜかリーゼントの風紀委員が淹れたお茶を飲んで……。
用がないなら、授業の準備があるから……と立ち上がったところで、頭に衝撃があり、気付いたら保健室のベッドにいたのである。
雲雀に何か硬いもので殴られたのだと思い出し、三浦の言っていたことは大げさでもなんでもなかったのだなぁと思い知ったのだった。
しかし、それからしばらくの間、綱吉は何度か雲雀の呼び出しにあい、たびたび保健室の世話になることとなる。
そしてそんなある日、綱吉は風紀委員の副委員長をしている草壁という生徒の訪問を受けたのだった。
「えと、何かな? オレ、なんかやっちゃった?」
入学式から一ヵ月半が経過した頃だ。
その頃には、綱吉も雲雀がこの校内、ひいては並森で恐怖の代名詞となっていることを理解しており、草壁が彼女の腹心であることも知っていた。
「ここではちょっと……。生徒指導室を借りてありますから」
なんで生徒が生徒指導室借りれんの?
という疑問は口にするだけ無駄なのだろう。風紀委員会が超法規的機関であることも、並中の常識なのだから。
「どうぞ、掛けてください」
奥の席を勧められ、びくびくと怯えながらも綱吉は椅子に掛けた。
「――――で、なに?」
「実は、沢田先生にお願いがありまして」
綱吉の背に冷たいものが走る。
いやな予感がした。それも、ものすごく、が頭につくほどいやな予感である。
「困るよ!」
綱吉は自分の勘を信じて、内容を聞くより前にかぶりを振った。けれど、草壁は全く怯む様子がない。
「そう言わず、聞いてください。これからは昼食を応接室で摂っていただきたいんです」
「いやだよ!」
今度も間髪いれずに、綱吉は断った。
応接室で食事をする。
たいしたことではないように聞こえるが、並中において応接室とは雲雀の私室に他ならない。
「そ、それってつまり、雲雀さんと一緒の部屋で食べろってことだろっ? 食べた気がしないよ!」
しかし、草壁も撤回する気はまるでないらしい。
「そこを一つ、お願いします」
そう言うと、リーゼントが机につくほど深く頭を下げた。そして、再び顔を上げると綱吉をじっと見つめる。
「最近、委員長を見ましたか?」
「え?」
思わぬ問いに瞬いてから、綱吉はここしばらくのことを思い返してみる。
「……――――そういえば、最近見かけないね」
今までは日に何度かは廊下ですれ違ったが、ここ一週間程はない。理由のよくわからない呼び出しもないし、朝の風紀検査でも、見ていない。雲雀のクラスでの授業も欠席していた。
珍しいとは思ったものの雲雀が授業にいないときでも、出席簿には丸をつけておくのが、並中の不文律であるので、大して気にしていなかったのだが……。
「実はここ三日ほどは食事も進まないようで、そのせいか授業もほとんど出ていないのです。学校には来ているのですが……」
「食事が進まないっ?」
あの雲雀さんが? 綱吉は驚いて目を瞠った。
いったい何があれば彼女の食欲が減退するような事態になるのか、綱吉には全く考えつかない。まさか世界でも滅ぶのだろうか?
「そ、それは心配だけど、でも、オレが一緒に食べてもどうしようもないと思うよ」
「いえ、自分が見る限り、なんとかできるのは沢田先生だけです。他の教師では咬み殺されるのがオチでしょう」
「それはオレも同じだと思うよ!?」
「いいえ。今まで委員長が粛清や、なんらかの命令があるなどといった確たる理由なしに教師――いや、人間を呼び出したことなど一度もありません」
「え、そうなの?」
人間、という響きが恐ろしかったが、それ以上に驚きが大きかった。
道理で、綱吉が呼び出されるたびに、他の職員が目を剥いているわけだ、と思う。
同情されているだけにしては何かおかしいとは思っていたのだ。
最初は『何をやったんだ!』と心配されたり、恐れ戦かれたりしていたが、いつだって綱吉には心当たりなどはなく、たいてい一緒にお茶を飲むだけで終わりだった。もちろん、よくわからない理由で不況を買って殴られることも、たびたびあったけれど……。
「それだけ、委員長は先生を気に入っているんです」
「いや、それはないと思うよ……」
実際、雲雀と二人になったところで、話が弾むわけでもない。
むしろなぜか難しい顔をした雲雀に睨まれて、苦し紛れに話題を振れば殴られて、という繰り返しである。
だが、草壁は本気で綱吉が雲雀に気に入られているのだと信じているらしい。
「お願いします」
真剣な目で再びそう口にする。
「……って、言われても」
「委員長のためなんです」
「…………」
――――『委員長』つまり『雲雀』だ。
それは並中においては、水戸黄門の印籠より性質が悪い、と思う。
雲雀の言うことには逆らうな。
それはもう、よくわかっている。身に染みている。けれど、これはどうなのだろう?
雲雀のため、というのは。
「…………わかったよ」
迷った末、結局綱吉は頷いた。
「ありがとうございます」
「けど、もし一週間、オレが一緒に昼を食べても改善されなかったら、考え直すって約束してくれよ」
「ええ、わかりました」
草壁は綱吉の言葉に、一も二もなく頷いた。この方法に間違いなどないという自信があるらしい。
綱吉には一週間後の草壁の落胆が目に見えるようだったが、そのことは告げず、ただため息をこぼしたのだった。
翌日の昼休み、草壁に言いつけられたという風紀委員の付き添いで、綱吉は約束通り応接室へと向かった。もとから、反故にするつもりはなかったが、朝には、いっそ学校自体を休もうか、という考えがちらりとよぎったのも事実である。信用されなかったのも無理はないというくらい、足取りは重い。
それでも、学校へ来たのはたかが一日休んだところで、なんの解決にもならないとわかっていたからであり――――ほんのわずかにではあるが、雲雀のことが気にかかったからだ。
雲雀は恐ろしい人物だが、それゆえに、彼女に元気がないなどというのは、一体どんな事態なのかと心配にもなる。
体調のことなら、自分ではなく女性――できれば保険医あたりに相談したほうがずっといいと思うのだけれど……。
自分はここで、と言う風紀委員におざなりに頷いて、綱吉は応接室のドアを見つめた。
深呼吸をしてから思い切ってノックする。
「……誰?」
「あ、あの、沢田ですけど、入ってもいいですか?」
誰何の声にどきりとしつつそう答える。けれど、ドアの向こうからはしばらくなんの返答もなかった。
「ひ、雲雀さん?」
「――――入れば」
再度声をかけると、ようやくそう返答があり、綱吉はそっとドアを開ける。
「失礼します……」
どっちが生徒かわかんないなと思いつつ中へと入ると、雲雀はソファの背にもたれかかったまま、綱吉をじっと見つめていた。