69 エデンの庭
「アレクセイ!もっとキリキリ階段を上がることが出来ないのかぇ?全く、お前も齢かねぇ。。。。」
「うっせーな!婆さん。…ちょっとは黙っておぶわれてろよな?!」
「んまあ!年長者にむかってなんて生意気な口をきくんでしょう!…嘆かわしい…」
アパートの階段から懐かしい声と、夫のやり取りが聞こえてくる。
ユリウスが慌ててドアを開けると―。
そこには、出かけて行った筈の夫アレクセイに背負われた祖母―、ヴァシリーサがいた。
呆気に取られて固まったユリウスの目の前の祖母が、
「アレクセイ!何ボッとしてるんだい?下しておくれ。…よっこいしょっと。ご苦労様。お前はもう事務所へ戻りなさい。お国のためにしっかり働くんだよ。わたくしは帰りはミーチャにおぶってもらって通りまで下してもらいますからね。ほら、早くお行きなさい」
背中から降ろしてもらったらもう用はない…とでもいうように傍らの孫に向かって手の甲を「シッシ!」とヒラヒラ翳す。そして驚きで碧の瞳を真ん丸に見開いた、臨月の孫嫁に「無事でよかった」と彼女の身体を抱きしめて頭を、背中を何度も撫でさすった。
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「おばあさま…。お茶を」
突然来訪した祖母をリビングに通してお茶でもてなす。
「ありがとう」
二人がリビングのソファで向き合う。
あの襲撃の日以来の再会。一体何から話していいのか…何を話せばよいのか分からず二人の間に沈黙が流れる。
やがてヴァシリーサの方から会話の口火を切った。
「その…レースのターバン。ブーニンさんでしたっけ?男の人だけど女の人みたいな喋り方の党員の…。彼が忙しい任務の合間を縫って熱心に針を動かしているのを、見かけましたよ。あなたのために拵えていた髪飾りだったのだね」
― 彼、おかまさんっていうのかぇ?男の人なのに女性のように話して、女性とも女同士の友達のように付き合って、このわたくしにもいろいろと細やかな気遣いをしてくれるのだよ。重いものを運んでくれたり、腰を揉んでくれたり、高い所のものを取ってくれたり…それにお茶を飲みながら私の話をうんうんと聞いてくれたり。面白い人だね?男の人と女の人の両方のいいところを持っているような、素敵な人だね。
祖母のブーニン評に、ユリウスが思わずクスっと笑顔がこぼれる。
「それ、ブーニンさんに言ってあげたら喜ぶと思います。彼ね…ぼくの事も気遣ってくれて…忙しい時間の合間を縫って、僕を見舞ってくれて…、それでぼくの髪を綺麗に整えてくれて、のみならずこんな素敵なターバンまでプレゼントしてくれて…」
ユリウスが少し照れ臭そうに髪に手をやって昨日の出来事をヴァシリーサに語って聞かせた。
「髪を切った事を落ち込んでいたのですって?」
祖母の優しい問いかけにユリウスは気恥ずかし気に首を縦に振った。
「正直…たかが髪のことぐらいで自分がこんなに落ち込むなんて…思いもよらなかったんです。…会う人会う人に可哀想な人を見るような目で見られて、そう言う目で見られてみると成る程、最初は大して気にも留めなかったけれど、なんだか…髪を切った自分が酷くみすぼらしく哀れに見えて来て…。ばかみたい」
そう言ってユリウスは顔をあげると祖母に向かってニッコリと微笑んだ。
「それは当然ですよ。あんなに綺麗な髪だったのだからね。…それに私にも…遠い昔の話ですが、同じような経験があるので、あなたのその気持ちは余計に分かります」
「え?」
祖母がユリウスの髪に手を伸ばし、優しく撫でながら遠い昔を物語り始めた。
作品名:69 エデンの庭 作家名:orangelatte