69 エデンの庭
Intermezzo ただいま修繕大掃除中
「ファーター…これは…ひどいね」
「まぁ…。何はともあれ、手を付けないことには…いつまでたっても廃墟のままだ。…がんばろうぜ…。同志」
亜麻色の髪にリネンを巻き、腕まくりをしたお揃いのいで立ちをした二人が、廃墟同然の屋敷の様子を前に暫し茫然と佇む。
「じゃあまずは掃除からしていこうや」
アレクセイの号令で、アレクセイは二階のサロンと食堂、そして厩、ミーチャは一階のエントランス付近と手分けして掃除に取り掛かる。
鼻と口もリネンで覆い、天井の煤と蜘蛛の巣を払い、窓ガラスを濡らした新聞紙で拭き、床を掃き清め、モップで磨き上げる。忽ち体中が汗だくになり、滴る汗が目に入って来る。
「ふぅ~~」
何度も桶の水を替え、やっとエントランスが見られるようになった頃には、すっかり日が西に傾いていた。
「汗を流そうっと」
頭にかぶっていたリネンを片手に庭のポンプの所へ行くと、既に父親がポンプの水を頭から気持ちよさそうにかぶっていた。
雫が亜麻色の長い髪から滴り落ちている。
まるで野の獣のように、ブルブルと顔を振りながら、アレクセイはポンプの方へ歩いて来る息子の姿に手招きした。
「お~、ミーチャ!お疲れ~。こっちこい。水をかけてやる」
息子の亜麻色の頭をボールのように掴むとポンプの下に持って行き、取っ手を勢いよく押した。
冷たい水がミーチャの頭の上に降り注ぐ。
「冷てぇ~~!だけど気持ちいい~~」
ミーチャが悲鳴とも歓声ともとれる声を上げた。
そのまま口をポンプの近くに持って行きごくごくと喉を鳴らしながら零れ落ちる水を飲む。
「あ~~~、美味い!」
ミーチャも父親と同じように、濡れた亜麻色の髪を獣のようにブルブルと振って水気を払った。
「進んだか?」
「うん。まぁね。エントランスはどうにかみられるようになったと思うよ。次は階段かな。手すりと階段も隅々までチェックして、悪くなってる部分を修繕しなくちゃ…」
― 次来るときは大工道具も持ってきた方がいいね。そっちは?
リネンで頭を拭きながら、ミーチャが作業の進捗具合を父親に報告した。
「こっちもボチボチだな。食堂とサロンのカーテンを外して、洗濯する必要があるな。
ビロード地でしかもでかいから…天気のいい日に一気にやって乾かさなきゃな」
「あのカーテン、すごいね。虫に食われて色こそ褪せてるものの…あんなに分厚いカーテン、僕初めて見たよ」
「あぁ…貴族の家のカーテンは…あれが標準だな。ロシアの冬は厳しいから…厚地のカーテンで寒さの侵入を防ぐんだ…」
「ふぅん…。そうなんだ…」
父親の口から話される貴族の暮らしの一端に、この父は…やはりかつて貴族の生活をしていたのだなぁとミーチャは改めて思い知る。
「さ、じゃあ今日は婆さんたちに挨拶して、もう引き揚げよう。帰りにバーニャへ寄って汗を流して帰ろうぜ」
アレクセイが息子の背中を叩いた。
「うん!僕お腹ペコペコだよ」
ミーチャが片手で押さえたお腹がググ~っと鳴る。
「あはは…。ちょっと待ってろ」
アレクセイが庭の木に手を伸ばして臙脂色の小さな果実をもいできた。
「イチジクだ…。美味いぞ」
手で皮を剥いて、ミーチャに手渡すと、自分も皮を剥いたイチジクにかぶりついた。
父親が食べる様子を見ながら、ミーチャもその果実を口に入れる。
「甘い!」
「市場で買うと…結構するからなぁ。さっきここの庭を見て回ったら…けっこう果実の木が植わってるんだよ。きっとこれも…俺と母さんの事を思って…植えてくれてたんだなぁ」
アレクセイが遠い目で空を見上げた。
「父さん…愛されてたんだね」
「ああ…そうだな」
「次来たときに、果実をもいでひいおばあさまたちにも召しあがっていただこう?」
「そうだな…」
「楽しみが増えたね」
「ああ」
アレクセイがすっかり背の伸びた息子の肩を抱いて屋敷に入る。
作品名:69 エデンの庭 作家名:orangelatte