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72 第二部 プロローグ 1919年冬 パリ

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「会場の支度が整いましたので、皆様どうぞ」

執事が恭しくエントランスに伝えに来た。

「さあ、どうぞ。ロシアの家庭の、気取りのないお正月のお料理を楽しんで行って」

ユリウスが女主人の顔になって、ダーヴィトら招待客をサロンへ案内した。

サロンには、招待客が三々五々集まっていた。
肩の凝らないごくごく親しい人を集めたパーティのようで、また、元日の晩餐ということからか、まだ家庭を持たない独身者が多いようだった。異国人もチラホラみられる。
立食形式のようで、隅に置かれたテーブルにはカラフルなビーツの色が目を惹くサラダや、煮凝り、ペリメニや肉料理などが並んでいる。

皆にシャンパンが行き渡る。

「ではまずは、ご当地風に、シャンパンで。新年おめでとう。乾杯」

アレクセイの音頭でなごやかな晩餐会が始まった。

「ダーヴィト、ロシアの料理はどうだ?」

「ああ。旨味がダイレクトに伝わってきて、なかなかいいな。― ウォッカも…随分暫くぶりだ」

いつの間にかシャンパンはウォッカにかわり、女性やアルコールに弱い人間にはロシア伝統のスビテニで喉と舌を潤している。

傍らのエットーレはといえば、ワイン片手に東洋人の芸術家らしき人物と、それからゼバス時代のアレクセイによく似た面差しの亜麻色の髪の背の高い少年と楽しそうに談笑している。

「あ、俺たちの長男をまだ紹介していなかったな。― おーい、ミーチャ」

アレクセイがエットーレたちと話していたその背の高い少年を呼び寄せた。
両親の方を指さしたエットーレに背中を促されてその少年がやって来た。

「こいつは俺たちの長男の―、ドミートリィ・ミハイロフだ。ミーチャと呼んでくれ」

アレクセイに紹介されたその少年が父親譲りの懐こい笑みを浮かべて挨拶し、右手を差し出した。

「始めまして。ドミートリィ・ミハイロフと言います。ミーチャと呼ばれています」

「初めまして。君のご両親の古い友人の―、ダーヴィト・ラッセンと言います。よろしく」

ダーヴィトが差し出されたミーチャの右手を握った。その手は、大きくて指の長い、少年の父親にそっくりな手をしていた。

「…驚いたな。お前さんたちに…あんな大きな子供がいたとは」

「…子供が出来たのは15の時。…出産したのは16になってすぐだったよ」

少しはにかみながらユリウスが当時を回顧しながら答えた。

「ユリウスが俺の事を追いかけて来た14年前のあの日、情熱のままにこいつを抱いて…。ロシアへ連れ帰って、間もなく妊娠が分かったんだ」
少しきまり悪そうに白い歯を出して苦笑いしながらアレクセイが付け足した。

「ドミートリィ…というのは、お前の兄上の名前をとって…か?」

ダーヴィトの質問にアレクセイは少し驚いたように目を見開いた。

「知ってたのか?」

「ああ、まあな。お前寄宿舎に写真飾ってたろう?アルラウネ嬢と…お前によく似た面差しの男性の」
― お前の婚約者の筈のアルラウネ嬢と、彼女に親し気に肩を抱いて写っている、お前によく似た―、しかし明らかにお前じゃない男性の写真。そりゃあ、気になるだろう。お前の部屋で夜通し飲んで…、お前が先に寝入った折に、悪いけど写真立てから外して、裏を見せてもらったんだ。1900年ドミートリィ・ミハイロフ…って書かれていたよな。お前が何となく―ドイツ人ではないという事はうすうす感じていたが、それで概ね合点がいったよ。お前が本当はロシア人で、ファーストネームは分からないが、ミハイロフという姓だということ。ドミートリィという兄がいる…またはいたという事。そして、アルラウネ嬢はお前の婚約者ではないという事が。

「…そうか」

「お前、氏素性を隠すつもりなら、あんなところにあんな写真飾るなよ。― 脇が甘いんだよなぁ」

当時を思い出しながらフッとダーヴィトが笑った。

「ぼくと…同じことしたんだ」

ユリウスも当時を思い出し小さく舌を出した。

「な?お前の脇はユルユルの隙だらけだ。…それで今までよく革命運動で命を落とさなかったな」

「…だな」
アレクセイの顔に苦笑いが浮かぶ。

「あの…退学届を出してレーゲンスブルグを離れてから…今までの話を聞いてもいいか?」

「ああ」
アレクセイと、彼の傍らに寄り添うようにして立つユリウスが静かに頷いた。