BRING BACK LATER 5
シロウの方へ皿をずらすと、シロウもアーチャーの方へと押し返す。
テーブルの中央で、ショートケーキの載った皿が小刻みに震えている。
「貴様……」
「要らない。甘いものは好きじゃない」
「私とて同じだ。エミヤシロウであるなら、味覚に差はないだろう」
「そっくり返す。俺は要らない」
「私もだ。だが、食べなければ、凛にどんな目に遭わされるかわからない」
「脅しても無駄だ。俺は食べない」
「このっ……、あれを見てみろ」
視線でガラス窓の向こうを見ろとシロウに示唆すれば、シロウは疑いのまなざしのまま、目を向ける。
「う……」
凛の有無を言わせない鬼の形そ……、いや、笑顔が見えた。
「た、食べなければ……、何か……とんでもないことを、やらされる……」
シロウも凛のことはよく理解しているようだ。これは、のっぴきならない状況だ、と、ようやくシロウも判断した。
互いにテーブルにかじりつくようにして、顔を寄せて相談しあう。
「ひ、一口ずつ、食べるのは、どうだ」
シロウの提案にアーチャーは頷く。
「お前から食べろ」
「じゃ、じゃんけんで……」
「いや、フォークがお前の前に置かれている。今さら不正はしない。安心して一口目を行け」
ただのケーキ一個に、なぜかロシアンルーレットの緊張感が漂う。
「う……、い、いただきます」
フォークを持ち、三角形の頂点にフォークを入れ、シロウは一息にケーキを口に入れ、飲み込んだ。
「甘いか?」
アーチャーがやや恐々として訊く。
「いや……」
「甘くないのか」
内心ほっとしたアーチャーに、
「飲んだので、わからない」
「……お前な…………」
目を据わらせるアーチャーにシロウは、先ほどよりも大きくケーキを切り、
「アーチャーの番だ」
切り取ったケーキを手で受けながら、アーチャーの口の前に持ってくる。
いわゆる“あーん”状態。
それが、カップルでやるならまだしも、この互いに戦々恐々とした二人がやっているのが、とてもシュールだ。
「お、大きくはないか?」
「そんなことはない」
「明らかにお前が食べたサイズとは違う」
「フォークを俺に持たせたのが運のツキ」
不敵に口端を上げるシロウに舌打ちしつつ、アーチャーは潔くケーキを口にした。
こういう、いわゆる“悪い顔”的な表情は顕著に表れる。シロウもやはりどこかひねくれている。
「ぅ……、あま…………」
アーチャーがダメージを受けている間に、シロウは自身の分のケーキをほんの少し切り分けて食べ、またアーチャーにケーキを差し出す。
「お、お前っ! さっきよりも大きいぞ!」
「問題ない」
「ないわけがない! フォークを貸せ!」
シロウの手首を掴み、アーチャーはフォークを奪おうとするが、
「ケーキを落としてしまう。勿体ない」
勿体ないなどと言われては食べないわけにはいかず、黙って二切れ目を口に入れ、シロウの手からフォークを奪う。
「さあ、お前も存分に味わえ」
口端を上げて、アーチャーは嬉々としている。
「い、いやだ……」
もうこのテーブルの二人は、ケーキを食べている雰囲気ではない……。何か得体の知れない物を食す大会のようになってきている。
「士郎」
アーチャーが甘い声で呼ぶ。
「っう、うぅ……」
アーチャーのその声にシロウは弱い。
「さあ士郎、口を開けろ。残りすべてを突っ込んでやる」
優しく甘い声が紡ぐ言葉は、単なる強制だ。
「い、いやだぁ」
顔を背けるシロウに、
「泣き真似をしても無駄だ。口を開けろ」
アーチャーは冷たい。
「ちっ」
小さく舌打ちをしたシロウの顎を掴み、
「貴様、どこでそんな粗野さを覚えてきた」
と、目尻をひきつらせる。
「う、ま、前からしている」
顎を掴まれてなお逃れようとするシロウに、
「ここでキスするぞ」
「は? なに、っ、んぐ」
アーチャーは残ったケーキの半分をシロウの口に入れ、もう半分を自分の口に入れた。
「え? あ……」
「あま……」
眉間に深いシワを刻むアーチャーをシロウはまじまじと見つめる。
「なんだ」
シロウの視線に気づいたのか、アーチャーはコーヒーで口直しをしながらシロウを上目で見る。
「甘いものは、嫌いじゃないのか?」
「苦手だ」
「じゃあ、」
「お前もだろう」
「あ、うん」
「何か、文句があるか?」
不自然に逸らされた鈍色の瞳。
どこかバツ悪そうなその顔が、照れ臭そうだと思い至るまでに時を要した。
シロウは、ぽかん、として空になったケーキの皿を見る。
甘いものが苦手。
互いに食べたくはないもの。
けれど、アーチャーは、残ったケーキを平らげ……。
「っ……」
そこまで考え至り、シロウは熱くなっていく顔をどうすることもできない。
「まったく……」
アーチャーは呆れつつ、シロウのパーカーのフードを引き上げ、深々と被せてその顔を隠した。
「なーんか、思ってたのと違うー」
凛が不貞腐れたように言う。
凛は、目立つ男どもがケーキを食べるという醜態を見て幻滅しろ、と、思っていたのだが、世の中の女性にはそれを是とする人も居り、なおかつ、あの険悪な雰囲気でさえ、悦びを感じる人も少なくはなかった。
しかも、最終的にはシロウが真っ赤になって沈没してしまったというオチまでついて、テラス席で二人を目の当たりにした女性たちは、みな満足げに頬を緩めていた……。
「凛、今後は公共の場でああいうことはしないでもらいたい」
「公共の場でいちゃついてたくせにー」
「していない」
「じゃー、それ、なんなのよー」
シロウの手を引く、アーチャーのしっかりと繋がれた手。
「仕方がない」
「どの口が言うのよ、そういうことぉ」
「真っ直ぐに歩くことが難しい」
「はーい、はい。お熱いことでー」
シロウはあれきりフードを被ったままだ。アーチャーが心配になって確認したが、顔が赤いこと以外は問題がなさそうだった。
帰りに夕食の材料を買うという士郎、セイバー、桜とは別れ、凛とアーチャーとシロウは先に衛宮邸へ向かっている。
「ねー、シロウ」
凛が振り返らずに呼ぶ。
「とってもうれしそうに見えたわよ、さっき」
顔を上げたシロウは凛の背中を見つめる。
「だから、大丈夫よー」
何が、と具体的なことを言われたわけではない。それでもシロウには十分すぎるほどの励ましだった。
***
「アーチャーは、優しい……」
ぽつり、と呟く。いつも傍らで自分のことを見守ってくれているとわかる。
先日も、甘い物が苦手なくせに、ケーキをシロウよりも多く食べ、後でなぜだと訊けば、お前も苦手だろう、と気負うことなく言った。
甘い物を食べたとて死ぬわけではない。
それでもアーチャーは、シロウよりも多くケーキを食べてくれた。自身も苦手なものを、シロウが苦手だからという理由で。
そんなアーチャーと日々を穏やかに過ごしていて、どうしようもないほどに、アーチャーに対する気持ちが大きくなっていることにシロウは気づいた。
忘れていた感情だ。
いや、忘れようとしていた感情だった。
(セイバーを想った気持ちは……、もう、とうに失ってしまったけれど……)
あの時と同じように胸が熱くなる。
作品名:BRING BACK LATER 5 作家名:さやけ