BRING BACK LATER 5
心が苦しくなる。
何もかも、自分自身のすべてがアーチャーに傾いていくのを感じる。
当然の理のように流れ出す自身の想いは、すべてアーチャーに向かっていく。
そうしてシロウは不安に苛まれる。
流れ着いた先のアーチャーは、この想いを掬い取ってくれるのだろうか、と。
毎日のように抱き合っている。ならば、当然、叶うだろうと思うのだが、シロウは不安を拭えない。
伴侶にすると言われた。愛させてくれと言われた。スキンシップがしたいとか、目覚めてからも抱きしめていたいとか、どう考えても百パーセントの確率で、アーチャーはシロウの想いを受け取ってくれると言えそうだ。
そうなのだが、シロウには払拭できない経験がある。
まだ、アーチャーと繋がっていた時、なぜ、キスをしたりセックスをしたりするのかとアーチャーに訊けば、シロウが求めるからだ、と言われた。
今もそうなのだろうか、今も自分が求めているからだろうか、とシロウは思いきることができない。
(俺が好きだと言ったところで……)
アーチャーは受け入れてはくれるのだろう。
(優しい人だからな……)
優しいだけというのは、時に残酷だとシロウは思う。
優しさだけで受け入れられることほど、この感情を持つ者にとって苦しいことはない。
(好きという気持ちは……厄介だ……)
爽やかな初夏の風が吹き抜ける。
縁側でぼんやりと庭を見つめて、胸に灯った熱を感じて、心地よい風に吹かれる。
風はアーチャーに黒く染められた髪を撫で、額をくすぐる。
シロウにはアーチャーの感情を量ることができない。
他人の気持ちになど、とくにこの手の感情には無頓着であったことだし、その気持ちを推し量ることや、態度で示されたとしてもわかる気がしない。
「やっぱり、言葉にしなければ、わからない……」
自身の感情は理解した。あとは、相手の――アーチャーの感情だけだ。
「そんなことをはっきりさせて、俺は、どうしたいんだ……?」
仮に、互いに好きだとわかったとして、その後は? と、シロウは首を捻る。
アーチャーの言う伴侶というものになれるのだろうか。
それとも、何か違うものだろうか。
同じ気持ちを持ち、抱き合い、ともに日々を過ごし……、それは、人間の世界で言う、恋人同士とか、夫婦とかと同じものなのだろう。
しかし、自分たちにそんなことをする意味はあるのか、という疑問が浮かぶ。
(恋人? 夫夫? そんなものになって、英霊である俺たちが何を育むというのだろう?)
人でもないモノ。
アーチャーは守護者として座に本体を置き、ここに存在するのは魔力で編まれた偽体のようなものだ。
(俺も人じゃない……)
シロウとて同じような存在で、しかもシロウの還るべき座は、もう消失していて存在しない。
自身の存在意義すら確たるものはなく、そんなものが、人間の真似事をしてなんになるというのか……。
(それでも……)
好きなんだ、とシロウは自身を抱きしめるように身体に腕を回した。
苦しさに服を握りしめ、項垂れてしまう。
行き場がないのはシロウ自身もその想いも同じだ。
そして、アーチャーに流れ着く想いも掬い取られることはなく、ただ流れ過ぎていくだけだろう。
「俺は……それでも……」
何も報われることはないとわかっていても、心の奥底から熱くなる想いは止められない。
先など見えない、どうしようもない感情でも蓋をすることなどできず、シロウは胸の苦しさに喘いだ。
「俺は……」
アーチャーの温もりも、優しさも知ってしまった。そして身体はアーチャーの熱を、抱き合う心地好さを覚えてしまった。
触れられれば応えてしまう。差し伸べられた手には、手を重ねてしまう。
留めようのない自身の感情と身体の反射は、はたして正しいものか、間違いなのか。
「間違いだと……思う……」
こんなことはあってはならないと、頭では理解している。
「それでも……好きなんだ……」
こぼれた声は苦しげでありながら、どこか歓びを湛えている。
好きという感情は、今のシロウにとって、唯一の大きな正の感情だった。負の感情ならば、山ほど持っているというのに、正の感情は乏しい。
だからそこへ一極集中してしまうのだ。好きだと思った瞬間から、一辺倒にその感情ばかりが溢れていく。
他に正の感情がないわけではないが、いかんせん小さすぎる。例えば、楽しいやうれしいなど、そういう感情がもっと大きければ、そちらにも感情は向かう。いろいろな感情でまんべんなく満たされていくのならば、これほどに苦しくはないのだろう。
だが、残念ながら、シロウにはそれだけが大きすぎるのだ。
寝ても覚めてもアーチャーを見つめ、シロウの頭の中も胸の内も、アーチャーのことで埋め尽くされていく。
好きだと思う気持ちだけが、シロウにとって唯一の正の感情のように、一心にアーチャーに注がれていく。シロウが四六時中アーチャーのことを考えてしまうのも道理だ。
「アーチャー……」
音にならない声で呼んだ時、不意に背後から覆い被さった温もりに、身体が震えた。
「なんだ?」
低く甘い声が耳をくすぐる。
「…………」
答えられず、首を横に振る。
「そうか?」
頬を撫で、こめかみに唇を寄せるアーチャーに、うれしさと切なさが相伴う。
「っ、あ、あの、セイバー、が……」
「彼女は今、省エネモードだ」
セイバーはマスターである士郎の魔力温存のため、週に二、三回程度、省エネのために昼間も機能を停止する。
機能停止といっても、布団に眠るわけではなく道場で瞑想状態に入っているだけだが、その意識は睡眠状態と変わらないため、同じ敷地内で戦闘でも起きない限り、何をしても彼女にはバレない。
それをアーチャーは見越して、シロウに触れる。
「どうした? 浮かない顔だな?」
シロウの僅かな表情の変化を見極めてしまうアーチャーに、内心舌を打ちつつ、シロウは諦めたようにアーチャーに身を委ねた。
「アーチャーは……」
シロウはその先の言葉を紡げない。
“誰かを好きになることはあるのか?”
ないと答えられれば、シロウの想いは行き場がない。
だが、アーチャーは“ない”と答える可能性が高い。
あえてそれを訊く勇気は、今、シロウにはない。
この温もりも、この優しさも、シロウが今、最も欲しているからだ。
その感情を云々することでアーチャーとの関係を失うくらいなら、今、切なくてもかまわないと思えた。
(今だけなら……)
還る座のない存在であるため、この刹那的な現界という日々を、ぬるま湯に浸って過ごしたいと思ってしまう。
(今がよければ、いい……)
シロウは、アーチャーに自身の気持ちを晒すのはやめることにした。
たとえアーチャーにその気がないとしても、いや、ないからこそ、シロウの気持ちを知ってしまえば、この気持ちに応えられなかったアーチャーがいずれ座に戻った時、この些細な出来事が、その心に小さな棘のように残り、歯牙にもかけない可能性の方が高いとは思われるけれども、アーチャーを苛むとも限らない。
(もう傷ついてほしくないんだ……)
作品名:BRING BACK LATER 5 作家名:さやけ