BRING BACK LATER 8
立場が逆であったなら、私も受け入れるのだろうか……。
いや、それはないだろう。私にはこんな真似はできない。こんなふうに誰かを――己を受け入れることなどできそうにない。
そう思いながらも私は士郎を求めている、というのは、なんとも矛盾しているな……。
矛盾だらけでおかしいと思う。滑稽だ。本当に、どうかしている。
(それでも……)
私は士郎を求め、知らなかった士郎の姿を見て歓喜する。
かたく閉じていた花びらを一枚一枚剥くように士郎を開いていく……。
そんな倒錯に溺れそうだ。
虚構と無表情で覆われている士郎を暴いているような気がして、少しの戸惑いと優越を覚えた。
熱く求め合って、深く繋がって、もう、一つに溶け合えばいいと、馬鹿なことを思った……。
士郎が笑うようになった。
微笑ではあるが、今までにない微笑みを湛えるようになったのだ。
進歩だ。
ようやくいい表情というものが表れた。だからだろうか、いつもよりも熱くなって私は士郎を求めていた。
いまだ寝静まるこの世界で誰も知らない、私だけが知っている。
士郎が微笑(わら)えるようになった、記念すべき黎明だった。
◆◆◆ ◆◆◆ ◆◆◆
「ん」
シロウの差し出した物に目を向けてから、アーチャーは視線をシロウの顔へ移す。
ビワの皮を剥いて差し出したシロウはアーチャーを見上げ、
「味見」
先に食べていいのか、と窺う視線に答える。
アーチャーは今、調理中で手が離せない。シンクで今夜のデザートとなるビワを洗っていたシロウが、味見と称してアーチャーに旬の初物をこの屋敷の誰よりも早く勧めた。
「そうか」
アーチャーも断ることなくシロウの手ずからビワをかじる。
「甘い」
穏やかなアーチャーの横顔に、士郎は不思議そうな顔をする。
「果物の甘さは大丈夫なのか?」
「ああ。お前もだろう?」
「うん」
そんな話をしながら、半分ほどかじったアーチャーは、
「お前も味見をしておけ」
そう言って口元を緩ませた。アーチャーが試食した残りのビワをシロウも口に入れる。
「うん。甘い」
冷やしておこう、と洗ったビワの水気を拭き、冷蔵庫へとビワをしまった。
「あとは、何をする予定だ?」
「胡麻和えでもするか」
「ほうれん草でいいか?」
「茹でたものが冷蔵庫に残って――」
「ん。あった」
アーチャーの言葉をみなまで聞く前に、シロウは冷蔵庫のタッパーを取り出した。それに頷くアーチャーは少し目尻を下げ、手元へと顔を戻す。
調理台へと戻ったシロウはアーチャーと並び、何事かを相談しながらほうれん草の胡麻和えを作っているようだ。
衛宮邸の台所では、アーチャーとシロウが、阿吽の呼吸でテキパキと働いている。
夕食の準備をする二人の様子を、居間から眺めていた凛は、うんざりして頬杖をついている。
「あま―――――――――――い。どうしちゃったのよー? あの二人ぃー」
凛が頬杖から座卓に顎を落とし、誰にともなく訊けば、
「一歩進んだんでしょうか、うふふ……」
桜が勝手な想像を膨らませて赤くなり、やはり座卓に顎を載せる。
「…………うぅ」
そして、セイバーは意気消沈している。
「衛宮くんがいたら、きっと吐くって言うわね……」
「先輩が、ですか? どうしてです?」
「あ、あーっと、ほら、一応、衛宮くんは男だしー、ね?」
「は、はぁ……」
桜がわかったような、わからないような、という顔で相槌を打つ。
「シロウは、シロウは、やはり、アーチャーなのですね、お姉さんでは、ダメなのですね……」
ううう、と悔しげに呻くセイバーは、弟を取られたような気分なのだろうか。
「セイバー、元気出しなさいよー。シロウが幸せならいいじゃなーい」
「ええ、もちろんですぅ……」
座卓に顎を預けた三人娘は、台所から漏れてくる甘い空気に、ため息をつき通しだった。
***
前を歩く背中。
揺れる白銀の髪。
時折振り返る精悍な横顔。
シロウはその光景が好きだった。
アーチャーと二人で歩く時はいつも手を引かれている。これがはじまったのは、まだ、シロウがどうしようもなく嘘に縛られていた時だった。
「士郎」
アーチャーはシロウを呼び、立ち止まった。
「アーチャー? どうかしたか?」
シロウも足を止め、少し前で振り向くアーチャーを見上げていると、空いた手で手招きされ、素直に近づく。
「何かあっ――」
「ここで」
「え?」
アーチャーと肩を並べるように立つシロウに、アーチャーは小さく笑う。
「この位置で」
アーチャーの言う意味がやっとわかって目を瞠り、シロウはうろたえながら視線を落とす。顔が熱くてしようがない。
「こ、こんなの、は……、あの、い、いつも、と、お、おんなじ、で……、い、い」
シロウが必死に声を絞って離れようとすれば、繋がれた手の指にするりとアーチャーの指が絡み、ぎゅ、と握られる。
「っ!」
シロウの鼓動はバクバク跳ねまわり、眩暈まで起こしそうになる。
「う、は、恥ずか、し、い、」
自分自身を保つために、シロウはこんな状態からいち早く逃れたい。アーチャーにやめてくれと願う。だが、
「いいだろう? 夫夫なのだから。商店街でも、もう公認だ」
アーチャーの言う通り、すでに商店街ではこの特殊な夫夫のことは認められている。はじめこそ訝しげな顔で遠巻きにしていた商店の人たちも、二人が揃って買い物に行くうちに受け入れていった。
それには、藤村大河の盛大な口コミが効いている。
見た目はやや抵抗感のあるアーチャーだが、実のところ人畜無害、しかも気の利く好青年と太鼓判を押されており、シロウの方は、やや傷持ちだから、そっと見守ろう、ということが暗黙の了解となっている。
その上、大量購入が日常と化した衛宮邸の住人は、やはりいい常連客でもあるのだ。多少の違和感など即刻飲みこんで、最近では二人が買い物に来ると、商店街では温かく出迎えられている。
「手を引かれるのと大差ないだろう?」
「そ……、そ、う、だけ、ど……」
いまだ身を固くして離れようとするシロウに、アーチャーは痺れを切らしたようだ。
「行くぞ」
握られた手を腕ごと引かれ、シロウはアーチャーの傍らについて歩かないわけにはいかない。アーチャーの腕が絡むようにシロウの腕を固定している。
おかげで肩も、もちろん腕も、ぴったりと触れ合っている。
アーチャーの背中を追うように後をついて歩くのがシロウは好きだった。
だが、この、落ち着かないが、体温を感じることのできる距離も、アーチャーの見ている景色をともに見ているという感覚も、悪いどころか、むしろずっとこうしていたいと思わせる。
(ああ……)
シロウの胸が重く軋む。
好きな人と同じ光景を見ているというこの瞬間が、切り取れるものならば切り取って、大切にしまっておきたい。
本当ならば泣きたかった。
どんなに想ったところで、成就はしないこの恋は、いずれ自分の中で腐っていくだけのものだとシロウは知っている。
だというのに、この瞬間は、何気ない日常の景色でさえ煌めいて、緩い風、吹き流されたような雲、時折聞こえる鳥の声……。
作品名:BRING BACK LATER 8 作家名:さやけ