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BRING BACK LATER 8

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「ああ、そうか。オレだから? エミヤシロウだからだというのか? ならば、なぜ、こんな感情が芽生える。間違いだというのなら、こんな感情を抱かせなければいい。こんなもの……、好物を見せつけておいて、目の前で掻っ攫うのと変わらない。どうしようもなく欲しいと思わせておいて、手に入った瞬間、消し去られるようなものだっ!」
 神というものが本当に存在するのなら、どうして禁忌を犯すような感情を抱かせるのか。間違いだというのなら、こんな感情を抱かせるなと、アーチャーはどこぞの神に毒を吐きたくなる。
「くそったれ!」
 悪態をついたとて、何が変わるわけでもない。目の前に神というものがいるのなら、即刻射殺してやるが、それも叶わない。
「っ……、ふざけるな!」
 握った拳を振り下ろす先が見当たらず憤る。
 人間世界のために――誰かのために、と憤って握りしめていた拳は、今、アーチャー自身のために握られている。こんなことは初めてだった。
 誰かをこんなに想ったことなど、今まであっただろうか、と自問して、いやないな、と自答する。
 この浅黒く変色した拳は、いったい今まで何を掴み、何を取りこぼしてきたのだろうか。
 掴んだと思った矢先、指の合間からこぼれていった命は数知れない。救えないことに憤った生前も、殺戮の装置となった死後も、己は何一つ、自身のためには何も求めなかった。
 だが、それが、今はどうだ。
 何よりも欲しいと思い、無理を通してでも貪り、余所見をしようものなら嫉妬に狂い……。
「どうしようもないな、オレは……」
 やっと頭が冷えてきたアーチャーは、床に腰を下ろし、ドアに背を預けた。
「は……」
 シロウが微笑っていると思っていた。
 自分を受け入れ、微笑んでいるものだと思っていたというのに、それは仮初だった。
「どうしてくれよう、あのたわけ……」
 だんだんと腹が立ってくるのも仕方がない。
 こんなにも動揺させて、こんなにも奈落に突き落とすような真似をして、こんなにも己をかき乱して、こんなにも、こんなにも……。
「お前を好きだと、思わせて……」
 クッ、とアーチャーは喉で笑う。
「ああ、まったく……、惚れた弱みとは、このことだな……」
 撫でつけた髪をかき乱し、天井を見上げ、目元を両手で覆った。
 これほどに翻弄されていてなお、抱きしめたいと思う。傍に在りたいと思う。そして、やはり傷つけたくないと思う。
 苛立って、ふざけるな、と突き放しても仕方がないことをシロウにやられたと思う。だが、それでも消えてしまえ、とは思わない。
「オレは……、どうしようもなく、お前のことが好きなのだな……」
 確認は済んだ。
 次はどう動くかだ。
「もちろん、手に入れる」
 手を下ろし、鈍色の瞳は天井の一点を見据える。
「手に入れるには……」
 アーチャーは立ち上がった。
「とにかく、追う」
 部屋を出て、台所へと向かい、シロウのあとを引き受けて夕食の支度をしている士郎に声をかける。
「遅くなる。もしくは、今夜は戻らん」
「は? え?」
「わかったな」
「あ、う、わ、わかった」
 有無を言わせないアーチャーの勢いに頷くより他なく、士郎はアーチャーを見送った。



***

 アーチャーから逃げてきたシロウは、新都へと続く赤い橋のたもとに着き、辺りを窺う。さいわい人の気配はしないため、実体になった。
「笑えてなんて、いなかったのか……」
 必死にアーチャーに笑おうとしたのだが、シロウは失敗した。
 確かに微笑ってはいたのだ。だが、アーチャーの視線が逸れると、微笑は泣き顔に近いものに崩れていった。その瞬間を士郎に目撃され、アーチャーの知るところとなった。
「は……」
 川べりまで来て柵に手を置く。ため息ばかりがこぼれる。
 うまくいっていると思っていたというのに、全く何もうまくいってなどいなかった。そんな重大なことに気づかされ、そして、これからどうすればいいのかと考える。
 考えたところで答えは出ない。
 項垂れた先の足下を見つめて、シロウは自分自身に呆れた。
 靴を履いていない。
 霊体のままでここに来たため、部屋にいたときと同じ状態だった。
「何を……やっているのか……俺は……」
 己が何をしたいのかもわからない。
 ただ、アーチャーに恋をした、それだけだ。
 だが、そんな自分は、アーチャーを困らせてばかりだということを改めて認識することになった。
「困らせたいわけじゃない……、ただ、俺は……好きだというだけで……」
 声にすれば、胸が締めつけられたように苦しい。
 アーチャーを想うだけで、とてつもなく幸せで苦しい。
「好きだなんて……、苦しいだけだ……」
 報われないとわかっていて進んだ結果にシロウは打ちのめされる。自分自身が可笑しいと思うのに、もう嗤うこともできない。
「恋心なんて、抱くものじゃない……」
 報われないとわかっていて突き進むことの愚かしさに、シロウは笑えるものなら笑いたい。だが、わかっていても抱いてしまうのが、恋心というものだと、シロウは理解している。
「わかっていたんだ……、どこにも進めはしないって……」
 それでもアーチャーを想っていたかった。ここに存在したことを消える瞬間に後悔しないように。
 絶命の刹那、シロウは後悔だけに囚われていたような気がしている。
 はっきりとした記憶などないが、ただ、どうして、どうして、どうして、と小さな子供のように疑問を浮かべ、自身の運命を後悔せずにはいられなかった。
「あんなのは……、もう、嫌なんだ……」
 今度こそ間違いたくない。人の生であれば二度目などないのは当然だというのに、自分にはそれが巡ってきた。あんな思いをしたのだからやり直せ、と許された気になってシロウはこの状況に甘えることにしてみたものの、
「結局……、俺は何も変わらないじゃないか……」
 何もかもを受け入れるだけで、踏み出しはしなかった。
 この世界の凛や士郎やセイバー、桜、大河がシロウを真っ当にと心を砕いてくれていることに胡坐をかいて、シロウは享受するだけだった。
 アーチャーのことにしてもそうだ。気持ちがわからないから、ただ自分自身の想いだけを育てようと……。
「言わなければな……」
 せめてアーチャーには、きちんと自身の気持ちを伝えようと、ようやくシロウは踏ん切りをつけた。
「帰ろう……。帰って、アーチャーに伝えて……」
 そのあとは、とシロウは歯の根の震えを噛み締めて抑え込む。
「かえ……ろう……」
 声に出さなければ、また逃げてしまいそうだった。何度もアーチャーと歩いた道へ向かおうと柵から手を離し、踵を返す。
「あ……」
 数歩先には見慣れた姿が立っていた。
「…………アーチャー……」
 驚きですぐに声が出なかったが、シロウはどうにか声を吐き出した。
「士郎……、その……」
 言葉を探して言い澱むアーチャーに胸が痛む。
「……いいんだ、アーチャーは、何も悪くないんだ」
「そ、そんなわけが、ないだろう!」
「俺が、意気地がなくて……、俺が、何も……伝えようと、しないから……」
「士郎?」
 アーチャーを見ていることができず、シロウの視線は落ちていく。
作品名:BRING BACK LATER 8 作家名:さやけ