BRING BACK LATER 12
シロウの右足首から先が見えない。
「っ……」
唇を噛みしめたシロウに気づき、アーチャーはそっと肩を抱き寄せる。
「っ、アーチャー、俺は……」
その先が声にならず、シロウはアーチャーの胸に顔を埋めた。震える肩を撫で、そっとシロウを座らせ、アーチャーは何も言わない。その震えを受け取り、シロウを腕で包むだけだ。
やがて震えがおさまり、アーチャーが腕を緩めると、
「どうやって歩こうか……」
むむ、と眉間にシワを寄せてシロウは考え込んでいる。
(我慢をしている……)
そのまま泣きじゃくりたいだろうとアーチャーにはわかる。シロウは、消えたくないと必死に願っていたのだ、泣きたいに決まっている。
だが、周りを心配させてはだめだという気持ちが先に立つシロウは、今、決して泣きはしない。
「薄れていても、意識を集中させれば……」
薄っすら見える右足に集中し、シロウは立ち上がった。アーチャーはいつでも対処できるようにシロウの腕にそっと触れている。
「ど、どうにか、なる……」
縁側をヨタヨタと数歩歩いて、シロウはアーチャーを見上げた。
「ああ。だが、透けているから、靴下を履いておけ」
「そうだな。それにしても、」
なんとかなるものだな、とシロウはほんの少しだけ微笑を浮かべる。
ぽす、とアーチャーの手がシロウの頭に載り、そのまま、なでなで、と撫でた。
「よしよし、上出来だ」
「なっ! こ、子供、扱い、す、するっ、え? わ!」
シロウが再びバランスを崩し、アーチャーに支えられる。
「何をしている……」
呆れながら言うアーチャーに、
「アーチャーが、ど、動揺させる、からだっ」
悔しげに真っ赤な顔で睨んでくるシロウに、アーチャーはしばし、ぽかん、としていたが、
「……クッ、」
笑い出した。
「な、何を、わ、笑って、」
「ああ、お前が、どうにも、可愛いことを、言うから、くく……」
「か、可愛くないっ」
ぶすくれるシロウに、肩を揺らして笑うアーチャー。
その様子を隠れて窺う者が三名。
「あー……、あっついわねー……、あいかわらずー」
凛は団扇をパタパタさせつつ、うんざりとこぼす。
「ほんっと、他所でやってくれないかな、あいつら……」
士郎は目元に手を当て、もう目も当てられないと項垂れている。
「アーチャーは、やはり、ずるいっ」
悔しげに拳を握るセイバーは、それでも、と付け加える。
「シロウが楽しそうなので、許します」
「そうね」
「ああ」
凛と士郎も同意し、三名は静かに居間へと戻っていった。
***
「でーきた。どお?」
試着室の扉を凛が開け、自慢げに胸を張る。
「いい! とてもいいです! 凛!」
凛の選んだ服に身を包んだシロウは少々うんざりしながら宙を見ている。それも仕方のない話だ。何しろ、これで八回目の試着なのだから。
「遠坂……、お店の人にも迷惑だし、早く決めてくれ……」
シロウが服などなんでもいいと言うのに、凛はわざわざ新都まで出かけ、シロウに服を買い与える。ケチな、いや、倹約家の凛は、なぜかシロウの衣服に関しては大盤振る舞いなのだ。
「凛、決まったのか?」
先に試着した服を戻してきたアーチャーが、辟易しつつ訊く。
「どお? アーチャー。私の見立て」
アーチャーの質問に答えることなく、凛はシロウを示す。
「…………」
試着室に疲れた表情で突っ立っているシロウを見て、アーチャーの眉間のシワが深くなった。すぐさま売り場を一瞥し、すたすたと歩いていく。
「ちょ、ちょっと、アーチャー? どこ行くのよ!」
感想も述べずに、と凛は声を上げるが、すぐにアーチャーは戻ってきた。
「これを」
「何よ、私のコーディネートに水を差す気?」
言うほどのコーディネートでもないが、凛は自信満々だ。
「いや、そういうわけではないが、その服は、少々露出が多い」
「…………」
今度は凛が沈黙する。フレンチスリーブに近い袖、襟ぐりも肩の方まで大きく開いている。確かにいつもパーカーを羽織っているシロウの格好と比べれば露出は多い。
「そう言われれば、そうですね」
セイバーも、ふむ、と頷く。
「ほんっと、アーチャーって……」
むむ、と唸りながらも、凛はアーチャーの持ってきた涼しげなアウターを受け取った。
シロウはいつも着ていたパーカーを脱ぎ、アーチャーが持ってきたアウターに買ったその場で着替えた。見ているだけで暑い、と凛にくどくど言われたせいもあるのだが、服に頓着のなかったシロウが珍しく素直に応じた。
「暑くない」
デパートの外に出ると、残暑の熱気の中で満足したようにシロウは呟いた。しばらく、襟元を掴んだまま動かないシロウにアーチャーが首を捻る。
「どうした? 何か問題が?」
「……いや、何も、問題はない」
「ならば、何を突っ立って――」
「アーチャーが、選んでくれた」
シロウの言葉に、うれしそうに微笑を浮かべるその顔に、アーチャーは思わず抱きしめそうになり、ここが往来の真っ只中だということに思い至って堪える。
内心、舌を打っていた。
アーチャーは選んだつもりはなかった。何か上に羽織れる物を、と探し、目についた物でシロウに合うサイズと色合いを手に取ってきただけだ。
(こんなことなら、もっと真剣に選べばよかった……)
アーチャーは少し悔しい気がする。
こんな表情が見られるのなら、こんなにも喜ぶのなら……、と。
シロウに手を差し伸べれば、迷うことなくシロウは手を差し出す。その手にアーチャーは指を絡めた。
「わ……」
戸惑うシロウの手を握り、そのままアーチャーは歩き出した。
「あの、ア、アーチャー、あのっ」
少し遅れてついてくるシロウを振り返り、歩を緩め、肩を並べる。
「この位置だな」
しっくりいく、とアーチャーはひとり頷く。
「え? っと、バ、バス停、あっち、」
シロウの指さす、士郎と凛とセイバーの後姿を見遣り、再びシロウに視線を戻したアーチャーは、フ、と目尻を下げる。
「歩いて帰ろう」
「え……、あ……」
「嫌か?」
「…………嫌じゃない」
シロウは迷いなくアーチャーの向かう方に足を踏み出す。主たちの呼び止める声も、咎める声もなかった。
(きっと、仕方がない奴らだと、苦笑交じりに我々を見送っていることだろう……)
後々何を言われることやら、と、アーチャーは、シロウと家路を殊更ゆっくり歩いた。
オレンジ色に染まりはじめる空に浮かぶ細長い雲が、傾いた太陽に照らされて輝く。
残暑とはいえ、夕刻には幾分暑さがやわらいできている。
夕空の中、赤い橋梁の橋を渡り、川沿いの公園まで来ると、蜩の声が響いていた。
「夏が終わるな……」
「ああ、そうだな」
士郎と凛の夏休みも終わる。この夏季休暇中、ほとんどを蔵書あさりに費やしてくれた彼らに、シロウは、ありがたい、と心底思う。どうやって彼らに応えればいいだろうか、と、思案に耽り、差し当たって夕食は美味しいものを作ろうと結論を出す。
ふわ、とアーチャーが黒くしたシロウの髪が風に撫でられた。残暑はまだ厳しいのだが、夕方にはもう秋を知らせるような風が吹く。
柵の側で、並んで夕陽を見ていた。
作品名:BRING BACK LATER 12 作家名:さやけ