BRING BACK LATER 12
また季節が過ぎた。
なんの手だても見つからないまま、理由もわからないまま、シロウの状態は悪化している。
常に身体の一部分が薄れるようになった。いまやシロウが五体満足でいる時はなくなっていた。
一箇所が薄れ、二日ほどで元に戻れば、また違う箇所が薄れてまた戻る、を繰り返している。
衣服で誤魔化せる箇所ならどうにかなる。だが、隠しきれない箇所が薄れた時に居候以外の者が衛宮邸に居るときは、シロウは部屋でおとなしくしていることになる。
「シロウくん、また体調が悪いの?」
大河が居間にいないシロウのことを心配して訊く。
「あ、うん、ちょっと、ほら、季節の変わり目って、身体がついていかないこととかあるだろ、それみたいだ」
「ふーん。早く元気になるといいのにねぇ」
大河は疑うこともなく、士郎の言い訳を鵜呑みにしている。
「ね、アーチャーさん。早く一緒にご飯食べられるようになるといいですねー」
屈託のない大河の言葉に、アーチャーは少し苦い表情で頷く。
「そうですね。早く……、ええ、早く……」
アーチャーが言葉に詰まったことに驚いた士郎だが、その顔を見ることができなかった。
わかりきっている。
アーチャーの表情は苦しさに彩られている。シロウの前では決して見せないアーチャーの顔だ。わざわざその顔を見ることは士郎も気が進まない。
「あの、アーチャーさん?」
大河が気遣いの色を浮かべたのに気づき、アーチャーは慌てて立ち上がる。
「少し、様子を見てきます」
大河の応答を聞く前にアーチャーは居間を出て行った。
「ねえ、士郎」
「なんだよ?」
「アーチャーさん、どうしたのかしら? なんだか、辛そう」
「…………心配なんだろ」
そう言うしかなかった。
アーチャーがシロウを心配しているのは間違いない。ただそれは、病気などではなく、存在が消えてしまうかもしれない、ということなのだが。
「早く元気になればいいわね……」
何も知らない大河の言葉に悪気はないのだが、士郎は思わず拳を握りしめる。そういうことではないのだ、と喉まで出そうになって飲み込む。
何もできないことが歯痒い。
たとえ苦しんでいるのがアーチャーであっても、何か自分が手助けしてやれることがないかと思ってしまう。
確かにアーチャーに罵られることは茶飯事で、いつも喧嘩腰で、たいがい言い負かされ、目の上のタンコブみたいな存在だとしても、あの二人が穏やかに過ごしていないと気持ちが沈む。
シロウもだが、アーチャーもやせ我慢していると士郎にはわかる。どうにもならない状況を、ただ指を咥えているしかないことに、憤っているとわかる。
“見ていることしかできない”
その点に関しては、みな横一線で同レベルだ。凛も士郎もセイバーも、そして、何よりシロウが消えることを望まないアーチャーも、なんら手を打てず、傍観しているしかない。
誰でもいいから、どうにかしてやってくれと切に願う。
他力本願は士郎の忌避するところだが、もう、この、のっぴきならない状況が、見ているだけでも辛い。
(あいつらが一緒に、穏やかにって、思うだけなんだけどな……)
何がシロウの現界を妨げるのか。
何をもってシロウをこの世界の異物だとするのか。
ただ、アーチャーにくっついて召喚されただけだろう、あいつの意志じゃないだろうと士郎も憤る。
誰にも、どうすることもできない。
シロウのタイムリミットが近づいていると感じながら、みながみな、口を閉ざしていた。
***
「紅葉狩りですよ、先輩」
「は?」
桜が勢い込んで言い切った。
「そろそろ紅葉がきれいだって、ニュースでもやっていますよね? だから、みんなで」
「なになにー? 何がきれいだって?」
風呂上がりに居間に入ってきた凛が話に加わる。
「紅葉狩りに行きましょうって、言っていたんです」
桜がやけに意気込みを見せている。
「紅葉狩り? 天ぷらにして食べるってやつ?」
「い、いえ、食べないですけど……」
「食べるのですか? 天ぷらとは、あの衣をつけて揚げる、という?」
食べ物の気配にセイバーが前のめりになって話に加わる。
「セイバー、紅葉の天ぷらなんて、そんな腹の足しにはならないし――」
「ですが、紅葉はわんさと葉を茂らせているではないですか!」
セイバーはよほど美味い物だと思い込んでいるようだ。見かねた士郎がきちんと訂正を入れる。
「あー、あのさ、紅葉狩りっていうのは、いちご狩りとか、ブドウ狩り、とかとは違って、紅葉を見ることだよ」
「へー」
「へー、って、遠坂、まさか、紅葉の天ぷらが紅葉狩りって思ってたのか?」
「ええ」
悪びれもせず答える凛に、思わず士郎は額を押さえた。
「遠坂、魔術ばっかじゃなくて、他のことにも目を向けた方がいいぞ……」
「そうですか、天ぷらではないのですか……」
「セイバー、そこは残念がらない。紅葉狩りで腹は満たされないけど、心は満たされるんだから!」
「心……」
セイバーは、むむ、と眉根を寄せる。
「セイバーは、ほんっとに食べ物がないと……」
「はっ! わ、私は食いしん坊ではありません!」
「れっきとした食いしん坊よ……」
凛が、ぼそり、と言えば、
「り、凛っ! ま、またっ!」
凛の腕を握り、撤回してください、とセイバーは揺すっていた。
「お前らも行くだろ?」
朝、何やら出かける支度をしている士郎に言われ、シロウは首を傾ける。
「紅葉狩り。ちょうど見頃だ」
「紅葉……」
いまいち反応の薄いシロウの前に立ち、士郎は少し見上げて、ぽん、とその頭に手を置く。
「いろいろさ、うまくいかないけど、ちょっとだけ忘れよう、な?」
なでなで、とシロウの頭を撫でて、士郎は琥珀色の瞳で真っ直ぐに見つめる。
「士郎……」
シロウは微笑を浮かべた。少し寂しげで、少し困ったような感じで、士郎も胸が苦しくなるような微笑みだった。
「泣きたきゃ、泣けばいいんだぞ」
シロウの頭を肩に引き寄せ、士郎は黒く変色したシロウの髪を撫で梳く。
「なんにも役に立てないだろうけど、俺だってお前がいなくなるのは、嫌なんだからな。ほんと、お前、どうしようもない奴だけど、ここにいていいんだぞ。この家にいて、いいんだ……」
士郎自身、こんなことを言う気はなかった。すべてアーチャーに任せておこうと思っていた。だが、今、伝えておきたい。こんなにも、シロウがこのまま消えてしまうことは納得がいかない、という気持ちを。
「アーチャーと、ずっと、ここにいればいいんだ」
シロウの手が士郎の袖を掴み、握りしめる。
「……うん」
小さな返事に士郎は頷く。
「そんじゃさ、準備して、出かけ、ひっ」
士郎はそれ以上声を出すことができなくなった。頭を鷲掴まれ、その指に次第に力が籠められているのがわかる。こんな真似ができるのは、一人しかいない。士郎には思い当たる者がたった一人しか浮かばない。
「小僧、貴様、何をしている」
低く、そして、やたらとスローに吐かれる声が、恐ろしい響きを奏でている。士郎は嫌でも震える手をシロウの頭からどうにか放す。
「な、な、に、も……」
作品名:BRING BACK LATER 12 作家名:さやけ