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彼にまつわるいくつかの

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 向かう先では、小平太を殴り飛ばした委員長が待ち構えている。これから一体、なにをされるのだろうか。不安が胸いっぱいに広がって、喉の奥がすっぱい。
「先輩。四郎兵衛がおびえています。なにがあったのか説明してください」
「お前こそ、後輩を泣かせてどうする。任せたはずだぞ」
 背の高い人の前にふたり揃って立つと、真っ直ぐその人を見上げる滝夜叉丸。それを苦笑しながら見下ろす人は、四郎兵衛のほうに視線を向けて、頭をくしゃりと撫でてくる。
「小平太へのアレは愛の鉄拳制裁だ。気にしなくていいからな」
 爽やかな笑顔に乗せて出て来るのは、爽やかとは真逆の言葉。絶句して固まってしまうのを、誰が責められようか。
「……先輩」
 そんな四郎兵衛と委員長の顔を見比べながら、滝夜叉丸も少しばかり不安げな様子をみせる。しかしこれも笑って、年上の人は応える。
「優秀な滝夜叉丸なら、後輩の面倒ぐらい見られるだろう?」
「あ、当たり前ですっ! 私は武芸にも学問にも秀でた滝夜叉丸ですっ」
「うん、だから任せる。小平太にも口出しさせない」
 フンと鳴らされる鼻に、むっとしたような顔。それが、委員長の手が滝夜叉丸の頭に触れるだけで、いきなり笑みに変わる。
 劇的な、一瞬の変化。今までの冷たい印象が冬の木枯らしだとすれば、これは芽吹く春。
「ずるいなーっ! 私は撫でてくれないのにっ」
「っ!」
 唖然と見上げていれば、いきなり背後から声がかかる。びっくりするのとほぼ同時に横の滝夜叉丸の身体が沈むと、繋いでいた腕もグンと引かれる。
 わけがわからないうちに鼻が熱い。口の中がじゃりじゃりする。肩だって痛い。
 もう、さっきからなにが起きているのか。混乱が胸の中で爆発する。
「う…うわぁぁぁぁぁんっ」
「し、四郎兵衛!?」
 堰を切ったように溢れる涙。誰かが頭や肩に触れてくるけれど、嫌々と身をよじる。もう家に帰りたい。こんなところ嫌だ。
 わんわんと声を上げて泣く四郎兵衛に、払われた手をどうしたらいいものか。たまらず滝夜叉丸も年上の人たちを見上げてしまう。小さい子供の世話など、これまでろくにしたことがないのだから。
「…先輩、どうしたら」
「だから優秀な滝夜叉丸に任せたよ。本当に無理なら助けるけど」
 そう言えば、絶対滝夜叉丸が助けを求めないのを知って、委員長は語りかける。意地の悪い人だと思うが、手を出すなと言われているので小平太も黙る。
 案の定、唇を噛んで顔をしかめた滝夜叉丸は、首を横に振る。
「じゃ、私たちは校庭にいるから、四郎兵衛が泣き止んだらつれておいで」
 ポンと滝夜叉丸の肩を叩くと、他の忍たまたちに声をかけて委員長はさっさと歩いていく。小平太も頭を掻いてその背を追いかければ、なぜか手で追い払われる。
「お前は、四郎兵衛を泣かしたのを謝ってから来い」
「えー」
「鼻から血が出てただろう」
 そういう理由はあっても、おそらくは最初ぐらい助けてやれということだろう。回りくどい言い方をしなくてもいいのに、面倒な人だと思う。もっとも周りに言わせれば、小平太は直球すぎだということらしいが。
 振り返れば、泣いている四郎兵衛の前で、またも滝夜叉丸は突っ立っている。あれはどうしていいかわかってないのだ。泣いている子供をどしたらいいかなんて、考えなくてもわかるだろうに。
 地面を蹴って駆け寄ると、すがるような視線を向けられる。そんな滝夜叉丸ごと、小平太は四郎兵衛を抱きしめる。
「もう泣くな、四郎兵衛。滝夜叉丸も困っているぞ」
「困ってなど、いませんっ」
「そうか? とにかく、男なら泣くな!」
 そう言って乱暴に頭を撫でるから、奇妙な音が四郎兵衛の口から漏れる。それに顔を青くした滝夜叉丸が、慌てて止めに入る。
「止めてください! 四郎兵衛の首が折れますっ」
「折れるものか」
「駄目です!! さっきも転ばせたじゃないですかっ。止めてくださいっ」
 半ば強引に、四郎兵衛を自分の腕の中へと囲い込んで、背で庇う。それを面白がってか、小平太が今度は滝夜叉丸を撫で始めるのだから、腕の中にいる四郎兵衛はたまったものじゃない。
 めまぐるしい展開に涙はいつの間にか止まっている。胸に押し付けられる鼻が、ヒリヒリと痛い。でも、頭上から降ってくる悲鳴交じりの非難に、知らず安堵の息を吐く。嵐は頭上にあって、自分の身に降りかかっているわけじゃない。なんだか、もう一週間分ぐらい疲れた。
「……四郎兵衛?」
 着物を引っ張られる感覚に、滝夜叉丸は胸の中の子供を覗き込む。
「あーあ、寝ちゃった」
「え…!?」
「泣き疲れたんだろう。医務室にでも連れて行ったらいいさ」
 勝手に決めると、小平太の手が四郎兵衛を奪う。呆然とする滝夜叉丸を促して立ち上がらせると、その背にいとも簡単に乗せてしまう。もはや荷物かなにかか。
「じゃ、後は任せたからなっ!」
「え……ええっ!?」
 ―そうして四郎兵衛が気づいたとき、すぐ横には滝夜叉丸の姿があった。スースーと寝息を立てて、長い睫毛が微かに揺れている。
「…………先輩?」
 なんでこの人が自分の横で寝ているんだろう? 首を傾げながら起き上がれば、衝立の向こうで声がする。
「気がついた? だったら滝夜叉丸も起こしてあげて」
 いきなりそんな難しいことを注文しないで欲しい。
 でもここがどこかわからないし、頼れるのは一応この年上の人だから、恐る恐る肩を揺する。それだけで、一応気がついてくれたらしい。大きな瞳が見開かれて、ぱちりと睫毛が音を立てたような気がした。
「…あの……」
「………もう、どこも痛くないか?」
 相変わらず、じっと見つめてくる瞳。それに頷くと、ちょっとだけ表情が緩む。
「ほら、心配ないって言っただろう」
 さっき衝立の向こうから聞こえていた声が、また響く。こちらへやって来た紫の忍服の人―言わずも知れた善法寺伊作だが―は、滝夜叉丸の横に座ると優しく微笑む。
「ここは保健室だよ。でも、痛いところがなかったら、もう部屋に戻っていいから。滝夜叉丸、送って行ってあげてね」
 優しい言葉に、気恥ずかしさで顔が熱くなる。思い出せば、大泣きして寝てしまっただけなのだから。
「ですが……いきなり泣いて気を失ったんです」
「だから、びっくりして疲れて寝ちゃったんだよ。身体に異常はないから大丈夫」
 ね、なんて同意を求められて、反射的にコクコクと頷く。でも、滝夜叉丸はといえばひどく不安げな顔をして四郎兵衛の顔を見つめてくる。
「だから、大丈夫だって」
 苦笑する伊作が派手に滝夜叉丸の背を叩いて、ようやく認めたのか、しぶしぶといった態で目を伏せる。
 それを横目に、促されるままに立ち上がる。鼻が相変わらずヒリヒリするけれど、擦り傷になっているから仕方ないらしい。
「善法寺先輩、お世話になりました」
 四郎兵衛に代わって頭を下げる滝夜叉丸。慌てて四郎兵衛も習えば、お大事に、なんて優しい声が返ってくる。さっきまでの体育委員会と、なんだか雲泥の差だ。
 優しい先輩っているんだ。感動に目をうるませていれば、横から視線を感じる。本当に今日一日で、一生分ぐらい見つめられているんじゃないだろうか。
 ちらりと見上げれば、すっと差し出される白い手。
「戻るぞ」