DEFORMER 2 ――キズモノ編
伸ばしそうになった手が、ぴく、と痙攣して、どうにか思い留まった。
「さっさと手を動かせ。呆けているなら、台所から閉め出すぞ」
「あ……、あ、いや、って、お、お前にそんなことする権限はないだろ!」
衛宮士郎は、ぶつぶつと文句を言いながら調理を再開した。
***
マンションに帰り着き、飯でも食いながらアーチャーと話そうとしたものの、アーチャーは全く取り合わない。
これじゃ話し合うこともできない。
「アーチャー、魔力は大丈夫なのかって訊いてるだろ?」
「問題ないと言ったはずだ」
「けど、俺の魔力はたいして流れてないって、」
「これがあるから、問題ない」
アーチャーは、あのガラスケースの底にあった魔石をシャツの胸ポケットから取り出して見せる。
「本当か?」
「本当だ」
結局、何も話し合えないままに、夕食は終わった。
湯船に浸かり、冷えた手足が温まる。夕食を食べた時はあったまったと思ったのに、しばらくするとすぐに手と足の指先から冷えてくる。
緊張してるからかもしれない。
アーチャーと同じ空間にいるという現状が、常に俺を緊張状態にする。しかも、自宅ならいざ知らず、この1LDKのマンションでは、必ずその姿が目に入ってしまう。だから、気分的に休まる時間があんまりない。
アーチャーは、俺に触れもしない。
触れるどころか、顔も見ようとしない。目が合うのなんて滅多にない。
あの魔石のおかげで、魔力はどうにかなってるみたいだけど、調子がいいようには見えない。
(うまく、話せない……)
アーチャーと何を話せばいいのかわからない。
俺はあいつと斬り合った。意地を張り合って、あいつを打ち負かして、あいつは負けを認めて……。
なのに、そんな奴を好きになるって、どういうことだよ、俺!
いくら記憶がなかったからって、飛躍しすぎだろっ!
せいぜいお友達くらいですまなかったのかよ……。ヤることはやっちまってるし、あー、まあ、魔力供給の必要があったから仕方がないけどさ……。
やりにくいとしが言いようがない……。
あの時の俺には、今の状況なんて予想もしなかったことだけど、アーチャーと一緒に生活するなんて、心底疲れる……。
せめて、ワンルームとかでいいから、別々の部屋にしてくれるとか、そういう気遣いはなかったのか、魔術協会……。
「あー、でも……」
俺と主従関係だからってことなんだよな、やっぱり……。
協会にしたら、俺たちはセット扱いだ。魔術師と使い魔っていう俺たちの関係なら、こうなるか……。
風呂から出て、ちらり、とリビングの奥――掃き出し窓の方を見る。
壁にもたれ、立てた片膝に頬杖をつき、ベランダとビルの隙間から見える夜空を見上げている。
ずっと、あそこにいる。
昨日から、ずっと……。俺を見ることもなく、ずっと……。
視線を引き剥がして、自分の部屋に入り、脱力してベッドに転がった。
「疲れた……、あー……、違うな、居心地が……悪い……」
あいつとどう接すればいいか、見当もつかない。
あのミュージアムにいた俺は、俺じゃない。ヤシロっていう、ただの女の子だ。いや……、ただのってこともないな……。
あいつを好きとか、冗談じゃない。しかも、LIKEじゃなくてLOVEの方だとか……。
「ありえないだろ、あいつ、俺だぞ? いくら記憶がなかったからって、いくらあいつが優しかったから……って……」
そうだ、あいつは優しかった。
俺を見つめる瞳も、触れる手も……。
さわさわと皮膚が泡立つ。熱いものが下腹に集まっていく。
あいつが触れて、あいつが開いた俺の身体は、どうしようもないくらい、あいつを求めてるみたいに思える。触ってほしいと、はしたなく濡れて、あいつを見るたびに、あいつが一瞬でも俺に目を向けるたびに、期待してる。
だけど……、あいつは俺を真正面から見ることはない。俺もアーチャーのことを言える立場じゃないけど……。
向き合っていても、俺をあの鈍色の瞳に映すことはない。
いたたまれなさは互いに感じてる。居心地が悪いのもお互い様だ。
「話……しなきゃな……」
それでも、あいつの意思を訊かないと。
あいつは、どうしたいのか?
契約を言い出した責任とかそういうのは無しにして、あいつがこれからどうしたいのか、座に還ると言うんなら、それもやむなしだと思うと、俺は伝えなきゃいけない。
でないと、あいつは、還りたくても還りたいとは言えないだろう。
(胸が……)
胸が苦しいと感じてるのは、きっとヤシロだ。
俺じゃない。
俺は、あいつが座に還ろうが……、俺は……全然……。
枕に顔を埋めた。
衛宮士郎が、己の元が、こんな身体で、あいつは反吐が出そうだろう。
アーチャーは、俺といることなんて、望んでいない。
「俺は……、望んでるのに……」
ハッとした。
望んでいる?
俺は……、ヤシロじゃなくて、俺が、望んでいる?
俺は、あいつに、ここにいてほしいって……?
そんなバカな……。
ヤシロの気持ちに引きずられてどうするんだ。俺は、ヤシロじゃない。あれは、記憶を失った、ただの、女の子だ。
俺じゃないんだ、俺じゃない。あいつが、求めるのも……俺じゃない……。
痛い……。
いつまで続くんだ……。
喉元からはじまって、今、腰のあたり、下腹の方……。
暗い部屋だ。ベッドはあるけど、そこに俺は寝ていられない。
身体が痛い。
チクチク、ズキズキ、ギシギシ、ミシミシ、ガンガン……。
のた打ち回っても、痛みは逃せない。
俺は、痛みに慣れていた。
傷を負っても平気だった。
何度血をぶちまけても、俺は誰かのためにこの身体を盾にしようとした。
「セイ……バ……」
彼女はどうなっただろうか?
聖杯戦争は?
遠坂も、捕まったのか?
いや、遠坂に限ってそれはない。
無事なら、いい。
遠坂がこんな痛みを感じていないなら、いい……。
意識が濁っていく。
痛みがあれば、意識を保てるはずなのに、どうしたんだろう?
もしかして、死ぬのか?
正義の味方には、なれずに……。
誰も、救えずに……。
――お前が倒せ。
あいつの声が聞こえる。
俺に後を託したあいつの、声が……。
あいつの信頼に足る者であろうと、俺はギルガメッシュを倒して、あいつに結局は助けられたけど、それでもまあ、清々しい気持ちだった。
あいつとわかり合えた、とまでは言えないかもしれないけど、俺は満足だった。あいつも、満足だったらいい。それで、あいつの運命はやっぱり過酷だと思うけど、あいつが前を向いて歩いて行くことができればいいって……思う……。
俺は、無理そうだ……。
なんだかわからない奴らに捕まった。
この先があるのかなんてわからない。
俺の理想は、理想のままで、この胸に灯ったままで、萎れていくんだと思う……。
「わる……ぃな……」
掠れた声が、なんだか自分の声じゃないみたいだ。
痛みに軋む身体を横に向けて、少し丸くなった。
痛い……いたい……いた……い……。
「はっ!」
身体が硬直して動かない。
呼吸が滞って苦しい。
「っ……、ぅ……」
作品名:DEFORMER 2 ――キズモノ編 作家名:さやけ