琅琊閣小噺 弍
これから起こる、辛さや苦しさは全ては、長蘇が自分で選んだ道なのだ。━━━━
この、自分の不安も、飛流にも長蘇にも悟られてはならぬと、藺晨は思う。
「長蘇の元に行かぬのか?」
飛流は、目を伏せて首を横に振った。
「お前を心配していたぞ。」
顔を上げて、一瞬明るくなるが、すぐにまた目を伏せて、首を横に振った。
「、、、、行かない。」
「そら!、今行かねば、一生、傍に行けぬぞ。」
「行け。」
「一人で行け。」
藺晨は飛流を、長蘇の部屋へ向け、肩を押した。
行きにくそうに、ノロノロと足を進め、飛流は長蘇の部屋の前まで辿り着いた。
それでも何か怖いのか、障子戸を開けられずにいた。
また、藺晨の顔を見る。
━━━━大丈夫だ、行け。━━━━
ニコリと笑って、行け、と手で合図する。
藺晨の表情に決心がついたのか、少しだけ障子戸を開け、中を覗いているようだ。
いつもとは違う飛流の様子に、苦笑せずにはいられない。
やがて、中の長蘇が気付いて、手招きでもしたのだろう、思い切り障子戸を開け、飛び込んでいった。
━━━━ほら、大丈夫だったろう。
まったく、、、私の顔も見ずに、中に飛び込んでいったな。
手間のかかる連中だ。━━━━
━━━━さて、飛流に背中を濡らされてしまった、、着替えるか、。
アイツ等には構っておれぬ。私は暇では無い。━━━━
藺晨は踵を返し、去ろうとしたが、何か心にざわつきを感じていた。
━━━━何だ、このもやもやとした感情は、、、、、。━━━━
━━━━、、、、、、私は、あの連中が羨ましいのか?━━━━
暫く、考えていた。
「ヤキモチなぞ、妬いてはおらぬぞ。」
振り切るように、進んで行ったが、五、六歩進むと、また歩みを止めた。
藺晨は振り返り、眉をひそめ、長蘇の部屋の方を暫し見ていた。
あの後、長蘇の部屋に入った飛流は、黎綱に部屋の拭き掃除をさせられた。
始めは素直に、黎綱の言う通りに拭いていたが、やはり黎綱の細かい注文には応じきれなかったようで、半分終わった所で、水を汲みに行かせたら、それきり帰ってこなくなった。
始めの内、黎綱は怒っていたが、思っていたよりも自分の言うことを聞いて、手伝ったのかもしれないと思い直した。
長蘇は2日ほど寝ていた。
咳と腫れのために、まだ声は元通りという訳にはいかなかったが、皮膚にできた赤みなどは綺麗に消え、見た目はほぼ変わりがないほど、回復した。
三日目に、藺晨が脈を診に来た時、長蘇は床を上げようとしていた。
「無理をするな、まだ喉と肺に熱がこもっているはずだ。」
「今、無理をすると、後が酷いぞ。」
藺晨が、真顔で言うのを聞いて、黎綱が長蘇に言う。
「ほら、やっぱりもう少し休まれた方が良いんですよ。」
長蘇は飛流にいつも通りの元気を取り戻して欲しかったのだ。
自分のせいでこうなったと、、、、普段の明るい飛流なのだが、何処か責任をまだ感じているようで、何となくギクシャクしている。
床をあげれば、天真爛漫な飛流が戻って来るような気がしたのだ。
だが、藺晨がそう言うなら、聞くべきであろう。
無言でフンと鼻を鳴らして藺晨が催促すると、黙って長蘇は腕を出す、若干不服そうであるのも、いつもの流れのようなものである。
それを無言で脈診し、藺晨の顔が険しくなる。
流れは変わることがない。
「良くはないな。」
長蘇は鼻で笑う。
────酷く悪い訳では無いという事だ、、、、。
、、、、良くなど、、、なる事は無いのだ。────
長蘇は自嘲する。
「飛流はどこだ?ここにいたのだろう?」
藺晨が辺りを見回すが、それらしい気配はない。
「さっきまでいましたよ、この部屋に。閣主が来るまではそこで外を見てたんですよ。」
「どこかに行ってしまったようですね。」
「そこから呼べば来るんじゃないですか?」
「一昨日は閣主の背中にしがみついて可愛らしかったそうじゃないですか。」
黎綱が、茶を入れながら言った。
呼んでも来ない事は、皆、知っていた。飛流が藺晨から逃げ回っている事は、藺晨自身も承知している。承知はしているが、認めたくはないのだ。
「一昨日の飛流が、まるで特別だったみたいに聞こえるぞ、私が来たから逃げたと言いたいのか?。」
「、、、いつからそんなイヤミになった?!」ここだけポツリと呟く。
それは、ここであなたに鍛えられたからですよ、、あなたの気まぐれに付き合ってたら、誰でもこうなります、、、と、思いつつ口には出来ない黎綱だった。
時に思い付きで長蘇を動かす事もある、具合が悪そうでも、今日は大丈夫だ、と、構わずに連れてゆく。
体を鍛えるためだ!!と、たまに、何かにと理屈をつけて、連れ回して、長蘇をクタクタにするのだ。
長蘇も満更でもないのだが。
元々は野営をしたり、野駆けをするのが好きなのだ。
二人で、気晴らしが過ぎる事も時々ある。
疲れはてきめんに体に現れ、疲れて寝込まれたりされる、黎綱はどうして良いのか分からなくなる。
長蘇がそうならない為の対処は、鍛えられる。
だが体の事は、藺晨に頼るしかないのだ、そう怒らせてもいられない、、。
仕返しの一つ位は、チクリと言葉に盛れるようになってしまった。
「まぁ、飛流が来ても邪魔はせぬだろう。数日は無理をせず寝ていろ。」
「考え事も、そもそも良くない。針か薬で昏睡するか?」
藺晨の言葉に、長蘇はようやく聞き取れるようになった、かすれた声で返す。
「、、、、、寝ていても、、、、、思考をめぐらす事は止まらん。」
「、、、悪夢を見ぬだけ、、、、、、、覚めている方がマシだ。」
「フン、赤焔事案赤焔事案!!寝ても覚めてもそればかりだな!」
「折角、生かされた命を、、無駄にしているとは思わぬのか?。」
「何なのだ、一体!お前にとって赤焔軍とは!。」
藺晨には、同じ問いを何度もされた。
長蘇は、真っ直ぐな目で、藺晨を見つめる。
そしてその視線を、幾らか開いた障子の外に向けた。
「、、、、赤焔軍は、、、家族なのだ。」
かすれてはいたが、力強い声だった。
隣りにいた黎綱は、涙ぐんでいる。
────藺晨には分からぬ。────
長蘇はそのまま外を見つめていた。
今日は更に春めいて、温かい日になる様子だ。
────苦楽を共にしたどころか、ぐるりと敵に囲まれる戦いで、背中合わせで、互いの命を守り合ってきたのだ。
黎綱程ではないが、私も幼き頃から父に連れられ、赤焔軍に出入りをしていた。私はあの場所で育ったのだ。
武術の技、人との関わりをあの場所で学んだ。
私の青春が、あの場所にあるのだ。────
「フン、7万人とは大所帯だな、。」
「、、、武人とは、みなそうなのか?。」
一呼吸おいて、藺晨は核心を問う。
「何故そこまで出来る?滅ぼされた赤焔軍に報いる為なのか?
それとも、幼馴染みの友の為か?」
長蘇には聞こえていた筈だが、藺晨の問に対する応えは無かった。
────何度説明しても分かるまい、、、藺晨には、、、、
私が何の為に動くのかなど、、、。────
暫し無言の、静かな刻が流れていく。
誰も口を開く事は無かった。
藺晨には不思議でならないのだ。