琅琊閣小噺 弍
事案を覆そうとしている事に、常に「何故」という疑問が付いてまわり、長蘇に答えをもらっても、理解ができない。
藺晨は長蘇の芯というものを掴みきってはいないのだ。
そして、武人という人間の事も分からない。
━━━━なぜ、コイツはそこ迄して、第七皇子を帝位に付けようとするのか、、、、。
「七皇子と共に、国を動かしたいのか?」と、一度聞いたことがあった。
幼馴染みと贅を尽くしたいのかと思った。だがコイツは、「事が安定したら、自分は国を去るつもりだ、」と返した。
林家の再興なぞも、全く考えてはいない。、━━━━━
━━━━どうやって、赤焔事案を覆すのか、一度計画を聞いたことがあった。
じわじわと、足固めを堅固にして、二重三重の包囲網を張ってゆくような、、、刻をかけて、多少のしくじりがあっても、何ら揺るがぬような、、、。異常な程の周到さだった。
それだけ、いかに失敗の許されない事であるのかがわかる。
だが、コイツのやり方では、風雲は、残された時間を、目一杯使っても最期まで起こしきれるか、際どいところだ。
新たな皇帝と享楽など、味わう時間なと無いだろう。━━━━━
なのにそこ迄して何を得るのだろう、と、思う。
━━━━我が父とコイツの父、林燮は、お互いを生涯の友と認め合っていた。
武人を毛嫌いする父が、七万の赤焔軍を率いる林燮だけは、自慢であったのだ。
林燮は歩兵の一人をも大切にした。赤焔軍の兵を分け隔てなく慈しんだのだと。
七万の軍の統率は行き届き結束は堅く、他所の密偵など入る隙が無かったのだと、我が父は言っていた。
林燮の息子であるこの男。
その血と心を受け継ぎ、この男もまた父親と同じ、赤焔軍の一人だったのだ。━━━━
━━━━
大粱という国を、軍事で支えた武門、林家の男子なのだ。━━━━
外を見る長蘇の横顔は、涼しげだか、そ
の体の中には熱い焔を宿している。
━━━━自分より、人を想う。国を想う。国の人々を想う。
あの事案さえなければ、国を背負う筈だった男なのかも知れぬ。
今は、その必要も義理も、もう無くなったというのに、尚、その心を遠き都に馳せるのだ。━━━━
その見つめる視線の先に、何があるというのか。
、、、、、一体、今、何を見ているというのか。
━━━━七万の大隊の、一翼を担っていた男。
身体も力も失って尚、国の歩むその道を、正しく修正しようとしているこの男。
地獄に突き落とされて尚、立ち上がる、この不屈の魂。━━━━
一見涼やかな、その瞳の奥に映るものは、この、琅琊閣から見える景色などでは無い。
、、恨み辛みの怨念などでは無い、、、なにか、崇高な、、、どんな力を持つ者にも、決して侵されざる聖なるもの、、、、。
だからなのか、、、長蘇の眼はこんなにも清々しいのだ。藺晨は、それだけをただ感じている。
━━━━こんなにもコイツに、時間を尽くし、腕を尽くし、心を尽す必要は私にはないのだ。
なのに、私の力の全て尽くし、その志を遂げさせたいと思う、、、。私には何の得も無いだろう。
、、、、、、全く、私らしくないのだ。━━━━
藺晨は、この男の何かに、、魅了されてしまった事を、認めざる得ない。
言葉には尽くせぬ、何かなのだ。
藺晨にも、説明の出来ないものであった。
━━━━心配するな、決して死なせはしない、、、、。
この先、十年でも、二十年でも、五十年でも、生かしてやる。
絶対に死なせはしない。━━━━━
藺晨が、沈黙を破った。
「お前が何を考えているかなぞ、どうでも良いのだ。
どうせ、私の忠告なぞ聞く耳なぞ持たぬのだからな。」
藺晨は黎綱に言葉をかける。
「長蘇の症状は落ち着いた、今日から薬を変える。黎綱、薬房に取りに来い。」
そう言うと、颯爽と部屋を出ていった。
藺晨が去ると、程なくして飛流が外に面した障子から姿を現す。
やはり藺晨から隠れていたようだ。
にこやかに、長蘇の側へ来て座った。
「やっぱり逃げていたのか、、。」
黎綱が、そう言って笑っていた。
「そうなのか?」
飛流は長蘇の問に笑みで返す。
長蘇もまた、微笑んでいる。
「黎綱。」
長蘇に名を呼ばれて、黎綱は思い出す。
飛流が来た時のために、菓子を取っておいたのだ。
紙包を飛流に渡すと、嬉しそうに包みを開けた。
中から、蜜が包まれた餅が出てきた。
嬉しそうに口に入れた。幸せそうだ。
二つ、三つと、平らげていく。
その瞬間、、
「、、、、ほら、捕まえたぞ!!」
「私からは逃げられぬ!!」
背後からガッチリと羽交い締めにして、逃げられぬように、藺晨が飛流を捕まえる。
出ていったと思っていた藺晨がそこにいた。
いつ、戻ってきたのか、、飛流は気付かなかった。
「わぁぁぁぁ────!!」
「嫌だ!!離せ!!!」
驚いたのと、藺晨に捕まった事に焦り、飛流はじたばたと暴れ出した。
「ああっ、、コラ!!」
「何もせぬ、暴れるな!!」
本気で逃れようと、腕の中で暴れる飛流に手を焼いた。
もて余した藺晨に、隙が出来た。その隙を逃さず、まんまと飛流は藺晨の腕をすり抜け、一目散に外へと飛んで行ってしまった。
「飛流!!」
振り向きもしない。
あとには、呆れた顔の長蘇と黎綱がいた。
「なんだ、何が言いたい!!」
「文句があるか?!。これが、私の接し方だ!!」
声を張る藺晨だったが、飛流を捕まえ切れずに、悔しさも滲んでいる。
呆れた黎綱が、口を開く。
「何も文句は無いですけれどもね、、、。
こんな手荒な真似をしなくても、優しく接したら、飛流だって逃げやしませんよ。」
「猫じゃあるまいし、背後から捕まえようとするなんて、、。」
「一昨日だって、ちゃんと言い含めたら、ここの掃除だっててつだいましたよ、最後は逃げられましたけど、、。」
「飛流だって、人を見て、大事なことは聞くんですから、、、、あ、、、、。」
黎綱はそこまで話して、鋭い視線に気が付いた。
藺晨が、睨んでいるのだ、凄い形相で、、明らかに怒っている。
「、、、あ、、薬房に、薬剤を取りに行きませんと、、。」
黎綱は、そそくさと小走りに部屋を出ていった。
「おい、黎綱!!!まて!。」
「そこまでこの私に言って、ただで済むと思っているのか???。」
藺晨は後を追って、部屋を去って行った。
部屋は静まり返る。
随分とけたたましかったせいか、余計に静かに感じた。
だが遠くから、鳥のさえずりが聞こえる。
するとひょっこりと、飛流が空いた障子から顔を出した。顔だけ覗かせて、室内をぐるりと見回している。
「、、、、、大丈夫だ、、、、、藺晨は行った、、、。」
笑いかけると、飛流は安心して室内に入ってきた。
「、、飛流、、、、、もう少し、、、、、、開けてくれ、、、。」
長蘇の言葉に、頷いて嬉しそうに障子を開け放つ。
そこから、春の匂いがするような、暖かな風が入ってきて、長蘇の頬に優しく触れていくのだ。
────心地よい、、、、。
今日は、あのひどい咳から解放されて、体も回復してきている。
寒ノ毒の残るこの体も、温かさのせいか、幾分楽だ。────
飛流が隣りにちょこんと座る。その笑顔に、もう翳りはない。
いつもの屈託のない飛流に戻ったようだ。