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奏で始める物語【夏】そのいち

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 ドキリ、と鼓動が打った。
 土方は本当に嘘を吐けない。
 今、神楽が聞いている『好き』の意味が教師を慕う生徒のものだと分かっていても、自分がそれを口にする時には恋情に変わってしまう。だから、土方は銀八を好きになってから一度たりとも言葉にした事はなかった。言えば己の気持ちを全て曝け出してしまう気がしたから。
 しかし、神楽のあまりにも素直で、何の思惑も見えない瞳で見つめながら問われて、つい土方も吐露してしまった。
「……ああ、好きだよ」
 言葉にしてみて数秒後、じんわりと身体中に染み渡ってくる。

 好きだ。好きなんだ。好きになってしまったんだ。
 昨日も今日も明日も、好きなんだ。

 思わず膝に顔を埋める。
 堪らなかった。一年経っても何一つ変わらない、いや、更に大きくなっている銀八への想いが自分をこのまま押し潰してしまいそうで。
 でも、それでも止める事の出来ない事実に。

「マヨラー?」
 突然押し黙ってしまった土方を気遣うように神楽が「どうしたネ? 腹でも痛いアルカ? マヨネーズにあたったのカ?」とおどおどと声をかけてくる。
 あの神楽が自分の心配をしていると思うとおかしくて、つい笑みを零してしまう。しかし、それは泣きそうな顔と相まって酷い表情だろうと分かっていたので、土方は顔を上げる事が出来なかった。
「何でもねーよ。ただ、ちょっとねみぃだけだ」
 搾り出した声は震えていなかっただろうか。苦し紛れの言い訳が神楽に通じるだろうか。
 そんな土方の心配は神楽の「そうアルカ」という言葉で払拭される。しかし。
「お前も思ってたより銀ちゃんが好きだったアルナ。これってあれアル。仲間意識ってやつネ」
 頭に感じた小さな手は優しく数度叩き、その後ぐしゃぐしゃと掻き乱した。
 何をするんだ、と漸く顔を上げてみれば、神楽が先程までの表情から一転、満面の笑みで土方を見ていた。
「これ、私もよく銀ちゃんにしてもらうアル。元気が出るおまじないネ」
 不思議と見抜かれているという恥ずかしさは感じなかった。ただ、目の前の神楽を見て。
――ああ、やっぱおめぇはそっちの顔の方がいいな。
 と、思った。


◆ ◆ ◆ ◆ ◆


 準備室の窓からは校門は見えず、銀八はわざわざ見える廊下まで移動して生徒がわらわらと集まるその場所を見つめた。
 窓枠に肘を立て、頬をつく。一見やる気の無さそうに見えるその姿は、しかし、目では目的の姿を一心に探していた。そして、綺麗な黒髪の生徒を見つけると、頬を緩める。
 参加表に名前があったとはいえ、前日まで部活動続きだった彼が当日キャンセルする事も考えられた。だが、生真面目な彼はちゃんと登校してきた。折角の休みにわざわざ出勤してきた甲斐があったな、と考えていた銀八に背後から声がかかる。
「前々から思ってたが、どーしておめぇみたいなのが生徒に人気あんのかねー」
 首だけ振り向くと、同じく当直でもないのに今日の勉強会の為に出勤してきた服部が半ば呆れたような顔をして立っていた。
 何も答えずに再び視線を校門に移した銀八の隣に服部が立つ。彼もまた校門へ視線をやる。
「まあ、せいぜいあいつらの気持ちを裏切らねーようにな」
「――何だそれ。あいつらが俺に何を期待してるっつーんだよ」
「期待じゃねーよ。おめぇに何を期待するかっつーの。――きっとよ。あいつらはおめぇが居るだけでいいんだよ。おめぇとくだらねぇ話をするだけでいいんだよ」
 特にZ組の奴らはな、と服部は付け加えた。
 云わんとしていることは分かった。自然と自分の学生時代が脳裏に蘇る。
 その先生はいつも微笑み、いつも生徒を見守っていてくれた。ろくでなしと烙印をつけられた自分でさえも。
 差し伸べられた手を一度は拒絶した自分を、それでも微笑みながら何度も何度も受け止めてくれた先生を銀八は今でも忘れていない。
 大人になり、自身も教師になった今も先生のことは時折思い出す。
 自分にとってのその先生の存在が、今の彼らにとっての自分なのだろう。
 特殊なことをしてもらいたいとは願わない。ただ、その手を離さないでほしい。そして、何があってもこの手を掴んでいてくれるという信頼。
 自分で言うのもおこがましいが、きっと彼らにとって自分はそういう存在なのだ。
 生徒にとって教師とは学問を教えるだけの存在ではない。
 学生生活の殆どを一緒に共にするのだ。その背中は親の次に大きな影響を与えるといっても過言ではない。銀八にとって、思い出の先生がそうであったように。
 こんなろくでもない自分が彼らの『何か』になれるのだとしたら、教師としても嬉しい。そう素直に思えるようになったのは成長かもしれない、と銀八は思った。
「……このままの俺がいいっつーなら、言われなくても俺は一生このままだよ」
「ならいいんだけどよ」
 二人の男が校門で楽しげに話す生徒達を見つめる。その表情は立派な教師の顔だった。


◆ ◆ ◆ ◆ ◆

 勉強会の会場となったのはZ組の教室と並んだ他の二つの教室だった。あまりの人数に銀八、坂本、服部とそれぞれが教室の中心で己の受け持つ教科を担当する事になったのだ。土方と神楽の危惧していたことは見事に的中してしまった。
 しかし、神楽に関しては国語を重点的に勉強すべきだということで銀八に教えてもらえることになった。教室に入っていく際に神楽は銀八の背中に飛びついて怒られていた。だが、彼女の表情は至極楽しそうで、服部の受け持つ教室に入ろうとしていた土方は校門前での神楽を思い出し安堵すると同時に、寂しさに胸を締め付けられた。
 近藤は坂本の、沖田は土方と同じく服部の――これは土方へちょっかいを出す為に選んだんじゃないだろうか、というのが銀八の見解だ――それぞれの教室へ生徒が皆入ったところで勉強会は開始される。
 服部は寡黙だが、的確に教えてくれるおかげで土方は中々覚えることが出来なかった歴史の語呂合わせを、アドバイス通りにすることによって要領良く幾つか頭にスーッと容れることが出来た。教室内では「あ、なるほど!」や「こういう仕組みになってたんだ」等、服部の指導の成果が次々と挙がってくる。
「お前ら本当にやる気あんのか!?」
「当たり前アル!」
「先生こそ煙草は止めてくださいって言ってるじゃないっすかー」
「だぁかぁらぁ! これは煙草じゃなくてレロレロキャンディーだっつってんだろ」
 予想通り銀八の教室は開始早々賑やかさで包まれ、その声に度々土方は気を取られがちになった。
「土方? どうした?」
「え、あ、ごめんなさい。何でもないです」
「あー、隣が気になるのか? あいつらうるさすぎるだろ……」
 服部が壁一枚向こうにある教室へ向かって嘆息を吐いた時。その真逆から派手な音が立つ。
 何事だ、と一斉に皆の視線が黒板――の向こうにある教室――へ動く。
「お妙さん! 俺とお妙さんとの間の関係を数式で是非解いてくださいぃぃぃぃっ!」
「ゴリラとの関係に解は全くないっつってんだろ! とっとと雌ゴリラと交わって人生の公式終わらせんかい!」
「おりょうちゃん! わしの言う通りに電卓に数字入れてくれんか!?」