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ミスターN
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『雨上がりの夜』

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 しばらくして、美希は私が用意した服に着替え終わっていた。髪を乾かすためにドライヤーを起動させている。ウィーンという独特の音が、雨音に交じって響き渡る。
 やがて髪を乾かし終わると、今度は洋服を乾かし始めた。あれだけびしょぬれだったのだ。乾かし終わるまでにはまだ時間がかかるだろう。美希はずっと無言で、洋服をドライヤーに当てている。
 私は目の前の資料作りに集中しようと試みるのだが、美希の様子が気になって何度もちらちら覗いてしまう。普段、美希は端正な顔立ちで、目も輝いているように見える。しかし、この時ばかりは違った。美希は、どこかぼーっとしていて、目は虚ろなのだ。こんな美希は、私、いままで見たことがなかった。
 私は思わず声をかけてしまった。
「どうして散歩なんかしてるの、こんな日に。」
 なんだかトンチンカンな質問になってしまったような気がする。
 美希がドライヤーを止める。
「気分転換なの。」
「雨が降っているのに?」
「気が付かなかったの。」
「結構降ってたと思うけど。」
「ザーザーになって、初めて気づいたの。」
「でも・・・」
 美希は私の問いを拒むように、再びドライヤーのスイッチを入れた。仕方がない、そう思って私は再びパソコンとにらめっこをするのだが、やはりどうにも集中できそうにない。
 今日はもう作業を止めてしまおう。思いのほか資料作りは順調だ。焦らなくても、十分納期には間に合う。それよりも、美希のことが気がかりだった。
 何とかして美希から話を聞こうと考えるのだが、話のとっかかりがない。それに相手は、ドライヤーの音で耳を閉ざしている。さて、どうしたものか。
 10分くらい考えて、冷蔵庫の中に冷え冷えのプリンがあることを思い出した。本当は誰かのものなのだろうが、今は非常時だからしょうがない。誰かのプリンは、話のタネとして犠牲になってもらおう。
「そうだ。冷蔵庫にプリンがあるのを思い出した!」
 私はわざと美希に聞こえるように、比較的大きな声でそういうと、すくっと立ち上がり、冷蔵庫のほうへと足を進めた。案の定、冷蔵庫の中には、少し高そうなプリンが2つ。それを取り出すと、私は給湯室でスプーンを二つ取り出し、美希が座っている長椅子の向かい側に座った。
 改めて美希の顔を覗き込んでみる。美希はいつもの元気をすっかりなくして、しょんぼりとしている。
「美希も食べる?」
 少し間があって美希が答えた。
「・・・いらないの。」
「じゃあ、私だけ食べちゃおっかなー。」
 わざとらしくそういうと、私はプリンの蓋を開けた。黄金色のプルプルしたおいしそうなプリンが私を出迎えた。スプーンで一口分すくい上げ、美希に見せるようにしながら、口へと運ぶ。卵の上質な甘みが口の中に広がってくる。
「おいしーい。美希食べないんだ、もったいないなー。」
 そういってまたスプーンでプリンをすくい上げ、口に運ぶ。
「・・・わざとらしいの。なんか春香みたい。」
 やっとまともなリアクションをしてきたか。
「悪かったわね。演技が下手で。」
 実のところ、私は美希とは違って演技は苦手だった。私が芝居をすると、どうも不自然でわざとらしくなってしまうらしい。自分では自覚がないのだが。
「別にそういう意味じゃないの。」
 美希がドライヤーのスイッチを切った。服を持ち上げてパンパンと服を叩いて、乾き具合を確かめている。どうやら服は乾ききったようだった。
「美希、本当に食べなくていいの?すごくおいしいのに。夕ご飯も食べてないんじゃない?」
「うん・・・食べてないの。」
「じゃあ、せっかくだから食べなさいよ、ね。」
 美希は少し戸惑いを隠せないでいる。だが、空腹からくる食欲にはかなわなかったようだ。
「うん・・・。」
 私は美希の前にプリンを置いた。美希も渋々プリンを手に取った。やがて、プリンの蓋を開けて美希がプリンを口に運ぶ。
 しばらくして、美希が発する。
「・・・おいしいの。」
「でしょー、美希にふるまった甲斐があったわ。」
「これ、律子が買ったの?」
「『律子』じゃなくて、『律子“さん”』でしょ。はい、もう一回!」
 美希のいいところは、誰に対しても気後れせず堂々と話すことができることなのだが、私から見ればただ単に世間知らずで、ナイーブなようにしか見えない。うちの事務所にいるときは問題ないのだが、いざそんな口調で部外の人と接したら、「失礼だ」と相手が怒るのは必定。だからせめて、私に対しては呼び捨てにはさせないで、『さん』付けすることを徹底しているのだ。
「律子・・さん・・が買ったの?このプリン。」
「いや、違うけど。冷蔵庫に入ってるの知ってたから。名前も書いてなかったし。いいかなって。」
「ミキ、知らないからね。」
 私は微笑した。
「はいはい、わかってますって。またどこかで買ってくればいいんでしょ。」
「これ、社長が銀座のコージーコーナーで買ってきたメチャメチャ高いプリンだよ。」
「えっ!そうなの!?」
「しかも、今度来るお偉いさんに振舞う予定だったやつだよ、これ。」
 えー!そうなの!?だとしたらまずい!社長に怒られちゃう・・・。
 私が内心「やばい」と動揺が隠せない中、美希はフフフと笑っていた。
「な、なにがおかしいのよ。」
「ごめんごめん。冗談なの。ミキ、本当に誰のプリンだか知らないよ。」
 な、なーんだ。社長の接待用のプリンじゃなかったのかー。それを聞いてほっとした。危うく私の首が飛んでしまうところだった。
「まったく・・・驚かさないでよね。」
「フフフ。ごめんなの。」
 びっくりはさせられたけれど、美希に少しだけ笑顔が戻った。わずかだが話しやすい空気になったのは、幸いだった。
 今度は美希が私に尋ねてきた。
「お仕事、やらなくていいの?」
 どうやら、私がパソコンを投げ出して、プリンにありついていることを気にしているようだった。
「ああ・・・いいのよ。大分いいところまで進んできたし。今日はこれくらいにしておこうかと思っててね。」
「ごめんなさい。ミキのせいだよね・・・。ミキが、仕事をしている律子・・さんを邪魔しちゃったから。」
 美希にも自覚があったらしい。でも、美希が悪いわけではないのだ。私が集中できないだけなんだから。
「いいのよ、気にしないで。仕事は本当にひと段落ついているから。」
 私は笑顔を作って、手を横に振ってみるのだが、美希の顔は浮かないままだ。
「忙しいんだよね、『竜宮小町』の仕事・・・だから、律子・・さんもずっと残業続きなんだよね。」
「ええ、まあそうね。彼女たちにとって、今が一番大事な時期だから。」
「輝いてるよねー、凸ちゃんも、あずさも、真美も。・・・律子・・・さんも。」
 凸ちゃんとは、伊織のことだ。美希だけがなぜか彼女をそう呼ぶのだ。
「私も?」
「うん。律子・・・さん、アイドルを辞めて、『竜宮小町』の仕事を始めて、何だか・・・すごく・・・イキイキしてるかな。」
 少し言い含んだのが気になったが、美希が褒めてくれるなんて珍しい。少し気恥しい、
作品名:『雨上がりの夜』 作家名:ミスターN