『ともだち』
「歌うって楽しいんだよ!千早ちゃん!苦しまなくたって、いいんだよ!そんなの、だれも望んでいない。優くんも、私も、リスナーも、みんなそう!」
楽しく歌う・・・。歌うことが幸せ・・・。いいの?本当に?私なんかが・・・楽しんでしまって・・・。
「楽しく・・・歌っていいの・・・たのしんで・・・うたって・・・。それが・・・優の・・・望み?・・・」
「そうだよ!千早ちゃん!優君は、千早ちゃんが楽しんで歌っている姿を見たいんだよ!もがき苦しんでいる姿なんかじゃない!」
楽しんで・・・笑って・・・。それが優への・・・贖罪?
「遺された者は、託した人の分まで幸せに生きなくちゃいけないんだよ!だから!もっと楽しもうよ!・・・二人で一緒に!」
天海さんと・・・二人で・・・。
本当に、優は許してくれるというの?私が・・・幸せになる。楽しく歌って・・・楽しんじゃって・・・本当にいいの?
私は天を仰いだ。そこには真っ白い天井があるだけ。私は目を瞑った。瞼を閉じれば、あの頃の記憶が鮮明によみがえってくる。優と一緒に遊んだ日々、楽しかった日々、そして・・・あの日のことも。
そして心の中で優に語り掛けるのだ。
“優・・・お姉ちゃん、歌を楽しんでしまっていいの?・・・楽しく歌うこと、あなたは許してくれるの?優・・・あなたはきっと許してくれないでしょうね。私に怒っているから・・・。あなたを・・・見殺しにしてしまったから・・・。”
「・・・ちゃん。」
声が聞こえる。これは・・・この声は・・・優!?
「おねえ・・ちゃん・・・。」
「優・・・。」
暗闇の中で姿は見えない。だけど、確実にその声が聞こえるのだ!
「おねえちゃん・・・だいすき・・・。」
「優!どこにいるの!?」
暗い闇の中で、私は手をばたつかせて、優の姿を探ろうとする。だけど、声がする方に手を伸ばしても、何の手ごたえもない。
「優!!優!!!」
「おねえちゃん・・・だいじょうぶだよ・・・。」
「優!私!あなたに、聞きたいことがっ!ねぇえ!!」
叫んでも、手を伸ばしても、何をしても、優には届かなかった・・・。
「・・・ちゃん」
「・・・ちゃん!」
気づくと体が揺れている。誰かが叫んでいる。私はその不快な揺れで目を覚ました。目を開けると、そこには天海さんが心配そうなまなざしで、上からのぞき込んでいた。
「千早ちゃん!大丈夫!?」
「天海さん・・・。」
どうやら気を失ったようだ。私は仰向けに倒れ込んでいた。最近あまり食べてないから、目が眩んだのだろう。
「大丈夫!?どこか苦しいの!?」
私は彼女の問いに答えるように、ゆっくりと体を起こした。
「大丈夫・・・。最近、ちょっと食欲が無くて。それで目が眩んだだけだから。」
「よかったー、もう、どうなったかと思ったよ・・・。」
天海さんが安堵の声を上げていた。
「心配かけてごめんなさい。」
私は完全復活したことをアピールするため、爪楊枝のリンゴに一口かじりついた。そして、今さっき見た不思議な光景について話すことにした。お互いに見つめ合っている。
「倒れていた時に・・・夢を見ていたの。」
「夢?」
「そう。優が、私に話しかけてくれる夢。」
「優君は、千早ちゃんに何て言っていたの?」
「・・・おねえちゃん・・・だいすき・・・だいじょうぶだよって・・・。」
涙が胸の奥底から噴き出しそうになる。たとえ夢の中だったとしても、弟の声を聞けたことが嬉しかった。
「千早ちゃん。」
天海さんは笑顔になった。
「きっとそれは、優君が、千早ちゃんのことを許してくれたってことなんじゃないかな?」
許した・・・私を・・・?
「優君は千早ちゃんに、歌を楽しんでほしいって思ってた。だから、優君が、そのことを伝えに千早ちゃんの前に現れたんじゃないかな?『僕のことはもう大丈夫だよ』って伝えようとしたんじゃないかな?」
そうなのかな。そうであってほしいな。
「優君はさぁ、そういう優しい心根の持ち主だったんだよね?」
「そうよ。」
「じゃあ、千早ちゃんのことをずっと恨んでいるなんて、あり得ないんじゃない?」
そうか・・・そうだよね・・・。あの優しい子がそんなに恨むなんて、よく考えればありえないことだ。どうして今まで気づけなかったんだろう。
恐らく、私はずっとそう思わされていたんだろう。両親が植え付け得た贖罪意識が、優へのイメージを歪ませていたのかもしれない。
「優が・・・許してくれた。」
「そうだよ!だからもう苦しみながら歌う必要なんて無いんだよ!それで千早ちゃんはどうしたいの?楽しく歌いたいの?歌いたくないの?」
私は・・・歌いたい。天海さんと一緒に、歌いたい。
「私は・・・あなたと一緒に・・・歌いたい。天海さんと一緒に楽しく歌いたい!」
天海さんはニンマリと笑った。
「ちょっといいかな。」
天海さんはそういうと、私から離れて、数歩後ろに下がった。そして目をつぶった。
「昨日までの生き方と〜♪」
天海さんは忽然と、私たちのデビュー曲『自分Rest@rt』を歌い始めた。驚いた。天海さんはさらに上達しているのだ。
私は思わず目を丸くした。
「びっくりしたでしょ。レッスン、ちゃんと続けてたんだよ。千早ちゃんがいない間にね。いつ帰ってきてもいいように。」
「天海さん・・・あなた・・・。」
「ほら、千早ちゃん。声、戻ってきているよ。」
「えっ・・・あ〜あ〜、本当だ。」
今気づいて自分でも驚いた。声が・・・出ているのだ!
「失声症の最大の治療法は、心のつかえを取ることなんだよ。千早ちゃん!」
「あなた・・・それが狙いで・・・。」
天海さんはパアーっと明るい笑顔を見せた。
「ここまでうまくいくとは思わなかったけどね。」
天海さん・・・。
胸がズキズキする。間欠泉が湧き上がるように、涙が吹きあがってくるのを感じた。
「まったくもう・・・。」
気づけば、涙がぽろぽろと頬を伝っていた。悲しみの涙ではない。嬉しさの涙だ。こんな気持ちになったのは、いつ以来なのだろうか。私は・・・独りぼっちなんかじゃなかった。空っぽじゃなかった。私には・・・歌と同じくらい・・・いや、きっとそれ以上に大事な人がいる。
「さぁ、歌おうよ、千早ちゃん!ボイトレだよ!あっ、ちょっと待って。」
天海さんは何かを思い出すと、自分のカバンの中を探し始めた。
「どうしたの?」
「あった!」
そういって取り出したのは、1枚のCDだ。
「それって?」
「『自分Rest@rt』の音源だよ。これを使って練習しよう!」
天海さんが私の部屋のCDコンポを起動させる。慣れた手つきでコンポを操作して、しばらくすると、力強いメロディーがスピーカーから流れ始めてきた。
「さぁ!歌うよ!千早ちゃん!」
「ええ!」
声が出ているのだ。これまで歌おうとしてもこわばって、喉が、お腹が動かなかったのに、今は不思議と、何もかもが復調してきているのだ。
私はうれしくなって、天海さんのほうを向いて笑顔を向けた。天海さんもうれしそうに笑い返してくれた。
楽しい!楽しいよ!こんなに楽しい気持ちで歌えるなんて、本当に久しぶり!
天海さんと一緒に歌えて楽しい!天海さんともっと歌いたい!