『ともだち』
天海さんのことも、少しは受け入れてあげようと思っていた。別に天海さんに心を開こうと思ったわけではない。同僚として、同じパートナーとして、表面的でもいいから、少しは打ち解いておかないとユニットを維持するうえで支障があると思ったからである。
確かに天海さんのことは好きじゃない。だけど、天海さんへの悪感情を引きずりながら一緒にやっても、いい歌が歌えるはずがない。だから私は、少しだけ天海さんと親しくすることにした。
案の定だったのだが、天海さんは、私の態度が変わってから、益々ベタベタとくっついてくるようになり、それまで以上に話しかけてくることが多くなった。私は適当な相槌を打っているだけ。
最初は本当にうっとおしかったが、最近はそれほど嫌でもなくなっていた。天海さんととりあえず仲良くやっていこう、と自分に言い聞かせていたのが良かったのかもしれない。
天海さんはどんどん歌に自信をつけていった。そしてそれと同時に、彼女の歌唱にある変化が出始めていることに気が付いた。
ある日の午後のことだ。私たちはいつものように先生を交えて、ボイトレに精を出していた。しばらくして、先生が小休止を入れてきた。
「天海さん、最近本当によくなったわ。それに楽しそうに歌っているのも良いわ。」
天海さんは笑顔を振りまいて一礼した。
「ありがとうございます!」
「聞いていて、こっちが楽しくなる、そういうところはまさにアイドル向きと言えるわね。」
「はい!早くみんなに私の歌を聞かせてあげたいです!」
「でも、焦りは禁物よ。確かに上手にはなってきているけど、まだまだプロとしてやっていくには未成熟。如月さんのいいところを手本としなくちゃだめよ。」
天海さんは私の方に振り向いた。
「はい!如月さんは、最も手厳しい鬼教官ですから。」
失礼しちゃう。先生は笑っていた。
「ハハハハハ。如月さん、天海さんをしっかりと支えてあげてね。」
「はい、しっかり指導します。」
「うん。ただ如月さん、『楽しそうに歌う』っていう姿勢は天海さんから学んだほうがよさそうね。」
「はあ・・・。」
私は先生の言葉を訝っていた。
「如月さんの静かだけど力強い歌声は、バラードには合っているけど、今回のデビュー曲を歌うなら、『明るさ』が大事。そういうところは、天海さんから学んだほうがいいと思うわ。」
「・・・わかりました。」
先生の言うことは間違っていないと思う。デビュー曲のジャンルを考えれば、「楽しそうに歌う」ことは必要だ。だけど正直気が向かなかった。歌のことで、私が彼女に鼻をあかされるなんて、認めたくはなかったからだ。
私は天海さんを睨み付けるかのように一瞥した。天海さんは少し居所が悪そうに、苦笑いを浮かべて、頭を掻いていた。
その日の夕方のことだ。ボイトレが終わって、そのまま私は事務所が使っているスポーツセンターで汗を流した。その帰り道のことだった。
事務所の近くには河川敷がある。普段ならここを通ることはないのだが、スポーツセンターから駅までの近道になっていて、今日はたまたま通りかかっていた。
すると河川敷の遠くの方から、誰かの発声が聞こえてきた。最初は気にも留めなかったのだが、その声が近づくにつれ、それが天海さんのモノだと気づいた。
こんなところで一人で練習をしていたってわけね・・・。
最初は気にもせずに、そのまま彼女の遠くを通り過ぎようと思っていた。だけど彼女の表情が見える位置まで来て、私は酷く驚いた。練習で歌っている彼女の顔が・・・とても「嬉しそう」だったのだ。
想わず私はその場で立ち止まってしまった。よくよく観察してみると、彼女はずっと笑顔だった。どうしてなんだろうか・・・。笑顔を作る練習をしているのだろうか、確かに、デビュー曲に向けてそういう練習もありかもしれない。きっとそういうことなのだろう。そうでなければ、誰もいない小川に向かって笑顔を振り撒けるはずがない。
私は自分をそう納得させて、その場を静かに立ち去った。
一回は納得したのだが、帰りの電車の中で、また気になりだしてしまった。
レッスンでもなんでも、彼女が歌っているときは、常に笑顔だった。今まで特に気にしになかったから気づかなかったのだが、歌唱力がついてきた最近、彼女が歌う時は常に笑顔だったのである。
歌がうまくなったことがよっぽど嬉しいのだろう。レッスンの成果が出てきたということだ。それなら私としても教えた甲斐がある。まさか・・・誰も聞いてくれていなくても歌うことが楽しいというのだろうか。そんなバカな・・・。
それにしても、あんな所で自主トレをしていたとは知らなかった。いつから始めていたのだろうか。それに何時までやっているのだろう。確か彼女の家は、とても遠かったはず。そんなに練習していたら、家に帰るのが遅くならないのだろうか。
何が彼女をそこまで駆り立てるのだろうか。これだけの短期間で上達するなんて、よっぽど練習しているに違いない。現にああやって練習をしていた。人に見えないところで。普段は楽天家でちゃらんぽらんに見えるけど、実はやるべきことはしっかりやっているのだろう。
あれやこれやと考えて、私はふと気づいた。不覚だったが、私は天海さんに少し興味を持ち始めていたのだ。
その数日後、夕方に事務所を出た私は、駅に向かう道すがら、ふと思い立ち、あの河川敷を訪れてみることにした。彼女がどんな風に練習しているのか、覗いてみたくなったのである。
「あ〜あ〜あ〜」
河川敷に近づくと、あの声が近づいてきた。天海さんは、この日も練習していた。
今日は少し彼女の声に耳を傾けてみた。リラックスして、腹に力を溜めすぎず、自然な形での発声、私が、そしてコーチが教えた通りの発声法だ。彼女はここでその発声法を練習していたのだ。
私は彼女から少し離れた木陰で、彼女の様子を見守っていた。天海さんはひとしきり発声練習をし終えると、私たちに与えられたデビュー曲「自分REST@RT」を歌い始めた。
「♪輝いたーステージにたーてば〜♪」
天海さんの声には、とても張りがある。そして何より本当に「楽しそう」だった。
誰も聞いていない小川に向かって、まるで観客に向かっているかのように笑顔で歌っている。明るくハキハキと、それでいて力強い歌声だ、必ずしもうまいというわけではないが、先生が言うように、聞いていて、こちらが楽しくなるような歌い方だった。
最初は楽しそうに歌う練習をしていたのだと思っていた。だけどしばらく聞いていて、私にはそれが演技だとは思えなくなってきていた。
やがて私は腕時計に目を落とした。
彼女の歌に聞き惚れていて気付かなかったが、すでに10分以上彼女の歌に耳を傾けていたらしい。私もそろそろ帰らなくては。そう思って、木陰から道路に出て、駅へと向かおうとした。そのとき、不意に天海さんが何気なくこちらの方を振り返ったのだ。
やばっと思ったのも束の間、天海さんにたちどころに見つかってしまった。
「あっ・・・如月さん!」
私は焦ってどぎまぎしながらも、軽く一礼をして、逃げるようにその場から立ち去ろうとした。
「待って!」