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ミスターN
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『ともだち』

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 天海さんがじろじろと部屋を見渡した。
 物がないだけだ。
「ねぇ早速だけど、このリンゴ食べない?冷蔵庫で冷やしてたわけじゃないから、冷たくはないけど、味には自信があるんだ。どう?」
 こうなってしまった以上、断るのも難しいだろう。おなかが減っていないわけでもない。私は、うん、と頷いた。
「そうこなくっちゃ!キッチン借りていい?私が剥いてきてあげるから。如月さんは座って待ってて。」
 そういうとリンゴを1個取り出して、キッチンのほうに向かってしまった。
 私は四角いテーブルのところに座布団を敷いて座り込むと、深くため息をついた。そしてこの子を部屋の中に入れてしまったことをひどく後悔した。天海さんが、リンゴだけ食べておとなしく帰ってくれる性格でないことは、自分がよく知っていたはずなのだ。天海さんは、あんな手こんな手使って私を慰めようとしてくるに違いない。
たった数分前のことなのに、私の中ではわからないのだ。どうして彼女を入れてしまったのだろうか。リンゴなんて、どうせ誰かが車で運んできたに違いないのだ。持って帰らせたって、彼女が苦労するわけではないし、何の問題もないはずなのに。
 そんなことを考えていると、天海さんが1個のリンゴを、数個のかわいいうさぎ型に整えてお皿に乗せてやってきた。彼女が私の隣に座る。
「見て見て、かわいいでしょう!」
 確かに、かわいい。はしゃぐ天海さんの笑顔がまぶしい。
 私は表情を変えないまま、うん、と頷いた。
「私得意なんだ。リンゴの皮むき。昔からリンゴばっかり食べてたからね。小さい時から、お母さんにリンゴの剥き方いろいろ教わったんだ。」
 私は頷いた。だけどそれ以外の反応を見せようとは思わなかった。
 天海さんは、何かを思い出したようにハッとして、自分が持ってきたバッグの中からノートとボールペンを取り出した。
「如月さん、これでおしゃべりしようよ。」
 私に筆談しろ、ということらしい。
 私はどぎまぎしていた。天海さんとは、話したくないといえばうそになる。だけど、積極的に話したいとも思わない。
 私の無表情の沈黙を肯定と受け取ったのか、早速天海さんが話し始めた。
「如月さん、最近何してる?ずっとおうちの中にいるの?テレビとか見てる?何もしないで家にいるんじゃ、暇だよね?」
 私はしぶしぶまっさらなノートを開き、そこに書き込んだ。
〈見てない。〉
「じゃあ、何してるの?」
〈寝てる。〉
「ずっと?ずっとってことないと思うけど。」
 私はじっと睨みつけるように天海さんを見つめた。私は本当に何もしていなかった。何かをする気力が全く起きなかった。歌しか取り柄のない私から声を奪ったら、後には何も残らない。
「そう・・・。じゃあ私が見たテレビについて話すね。私ね、最近、刑事ドラマにはまってるんだ。」
 刑事ドラマ?って表情をした。
「『相棒』って刑事ドラマやってるでしょ。最近それにはまってて、レンタルショップでDVD借りて見てるんだ。あっ、もちろん本編の放送のほうも見てるよ。如月さんは、刑事ドラマとか好き?」
〈あんまり。〉
「そっかー。じゃあ、如月さんはどんなテレビを見てるの?普段。やっぱり歌番組とか?」
 私は、うん、と頷いた。
 歌番組は研究のために録画してみている。目標にしているアーティストが出演している回は、必ず永久保存しているのだ。
「私も歌番組は好きだよ。ミュージックステーションとか。如月さんも見る?」
 私は首を縦に振った。
「私、平原綾香が好きなんだよね。彼女の透き通るような声がかっこよくて、あこがれるんだ。」
 目の付け所はいいように思う。私も平原さんの歌は好きだ。私が目標としているアーティストの一人。
 私は、うん、と頷いた。その時、天海さんの顔がほころんだ。
「如月さん、やっと笑ってくれたね。」
 その時初めて気が付いた。頬が緩んでいたのだ。気づかないうちに、笑みをこぼしていたらしい。
 天海さんが爪楊枝をさしたリンゴを持ち上げた。
「はい、食べよ。長く置いとくと乾いちゃうよ。」
 私は彼女から、ウサギ型に成形されたリンゴを受け取った。彼女もリンゴが刺さった爪楊枝を持ち上げた。
「いただきまーす。」
 シャクリ
 瑞々しい音を立てて、彼女がリンゴを口に運ぶ。
「おいしい!如月さんも早く食べて食べて!」
 促されるまま私もリンゴにかじりつく。
 シャクリ
 なるほど確かにおいしい。普通のリンゴより少し甘いかもしれない。天海さんが自慢するのもよくわかる。
「これね、『弘前ふじ』っていうリンゴなんだよ。ふつうのリンゴより少し糖度が高くて、たまに蜜が入ってたりするんだよ。」
 へえー、そうなんだ。
 私は二口目にありついた。
「気に入ってもらえた?」
 私は、うん、と頷いた。
「よかったー。もし気に入らなくて、『全部持って帰れ』って言われたらどうしようかと思ったよ。」
 私は微笑して、「そんなことさせませんよ」と伝えるために首を横に振った。
「足りなかったら言ってね。また剥いてくるから。今度はハート型に切ってこようかなー。」
 天海さんは不自然なほど上機嫌だった。私を元気にしようと必死なんだろう。気持ちはうれしいけど、そんなことをされる筋合いはない。私は彼女に多大な迷惑をかけているのだ。デビュー曲のレコーディングを間近に控えておきながら、私のせいで全てが台無しになった。罵られこそすれ、心配されるような立場ではないのだ。
〈ごめんなさい。あなたに迷惑をかけて。〉
 私はそう記して、彼女に見せた。
 天海さんは、私に屈託のない笑顔を見せるのだ。
「気にしないで。ゆっくり直していこうよ。ユニット、解消しないからね。」
 えっ!どうして・・・。
私は驚いて顔をゆがませた。慌てて天海さんにその理由をノートに書いて尋ねた。
 彼女はこう答えるのだ。
「だって、ユニットを解消しちゃったら、如月さん、独りぼっちになっちゃうでしょ。」
 独りぼっち・・・。確かにその通りだ。ユニットがなくなってしまえば、私の居場所は失われる。だけどそれでいいのだ。私自身それを望んでいる。
 天海さんは続けた。
「私びっくりしちゃった。如月さんのご両親が離婚したって聞いて。だって、如月さん、自分の事何にも話してくれないんだもん。それに、一人暮らしを始めたって聞いた時にはもっと驚いた。どうして、どちらの親御さんとも同居しないんだろうって。」
 私はうつむいた。心の奥底を見透かされているような気がしたのだ。
「ねえ、如月さん。私、前からずっと気になってたんだ。前にも一度話したけど、如月さんってどうしてあんなに辛そうに歌を歌うの?もしかして、それって、如月さんのご両親が離婚したことと関係があるの?」
 私は、ノートに書いて、それを天海さんに見せた。
〈帰って〉
「帰らないよ。」
 私は力を込めて、もう一度その〈帰って〉を指さした。
「如月さんから事情を聴くまでは・・・帰らない。」
 この子、やっぱりそれが目的だったのね!
 私は勢いに任せて殴り書いた。天海さんを見つめる。
〈余計なことしないで!私のことなんて、放っておいてよ!〉
 天海さんは真剣な目を向けて、はっきりと述べる。
作品名:『ともだち』 作家名:ミスターN