螢
腹部に響きわたるような声である。
「霓凰、お前は自分の部屋に行きなさい。」
「連れて行け。」
従者が、霓凰を部屋へ連れて行こうとする。霓凰は抗う。
━━━━大丈夫だから、、━━━━
霓凰がふと林殊を見ると、そう目が言っている。
多分こうして、霓凰が抗ってもどうにもならないのだ。父親の顔を見れば分かる。
────節度があれば、大概のことはお父様は許してくれたわ。
でも、今日の事は絶対に許さないと思ったの。
だから黙って、お父様の留守の時に行こうと思った。小さな嘘の筈だった、、、。
今晩は戻らない筈なのに、、、。
まさか、こんなに早くお父様が戻られるなんて、、、、、。────
今更だが、ちゃんと許しを貰って、皆で行けば良かったと、、、、いくら反省してももう遅かった。
────お父様は、本当は全部知っていたのかしら、、、。
でも、それなら初めから行かせはしないわ。
なら、本当に偶然早く帰ってきて、偶然、私がこっそり出かけたのを知ったのね。────
運が悪すぎる、、、だが、そもそもは霓凰の嘘が招いたのだ。
父親に知れてしまったら、もう林殊とは会えなくなるかも知れないと、、、、考えなかったわけでは無かった。
────でも、、、、行きたかったの、、、、。────
もう、何を言っても雲南王は聞く耳を持つまい。霓凰は抗うのを止めて、素直に従者とこの場を去るが、何度も振り返り、林殊と雲南王を見ていた。
林殊は、穆王府の玄関に正座をして、林府の者が迎えに来るまで待っていた。
目の前には、少し離れて雲南王が椅子に座り、林殊をじっと見据えていた。
あまりの迫力に身動き一つ、、、いや、息をするのもはばかられた。
叱責するか、怒鳴られた方がマシだった。
何かを問い正す訳でもなく、ただじっと林殊を見ているのだ、とんでもない緊張感だった。
━━━━しかも、今、父上は金陵には居ない。多分、迎えに来るのは母上だろう。
この事を雲南王に言うべきか、、、、黙っているべきか、、、、。━━━━
例え言うべきでも、この重々しい静寂を、今の林殊か破れ様か。
泣きそうだった霓凰の顔が浮かんで仕方が無い。
━━━━大丈夫だろうか、、、。私が怒られるのはいつもの事だ。
余計な心配をして、泣いてなきゃいいけど、、、。━━━━━
どれだけ待っただろうか、、、。
林殊の母が、穆王府に引き取りに来る。
雲南王に事のあらましを伝えられ、母親の晋陽公主はただひたすら謝るばかりだった。
「霓凰も縁を結べる年頃に近づいていくのだ。」
「浮ついた評判が立ってしまっては困る。小殊にもその辺りを考えてもらわねば、霓凰の将来にも関わるのだ。」
「今後は、霓凰には関わらないでもらいたい。」
毅然と雲南王に言い放たれてしまった。
こう、ハッキリと言われてしまったら、林殊は「はい。」と、言うしかないのだ。
林殊が神妙に返答したのを聞いて、幾らか安心したのか、林殊と母親は帰る事を許される。
長い間座らされていたので、足が痺れ中々感覚が戻らない。
今はただ、霓凰の様子が心配だった。
二人が穆王府の門まで向かっていると、庭の奥から女の使用人が行灯を持って出てくるのが見えた。
林殊はその者に向かって、ヨロヨロと走って行く。
「霓凰の様子は?霓凰どうしてる?泣いてない?。」
若い使用人だった。霓凰がどうしているかは、よく分からない様だった。
「小殊ー。」
母親が門の下で呼んでいる。
こんな騒ぎを起こしたのだ、穆王府の庭先をあまりウロついてもいられない。
「あの、、、、霓凰に、大丈夫だから、心配するなって、伝えて。」
使用人に頼み、母の元へと走って行く。
━━━━霓凰に、ちゃんと伝わると良いんだけど、、、。━━━━
恐らく、林殊が言われた事を、霓凰も言われるに違いない。
━━━━悲観して泣いてなきゃいい、、、、、。━━━━
林家に帰ってからも、林殊は母親からたんまりと叱られた。
父、林燮が金陵に戻るまで、自分の部屋で謹慎していなくてはならなくなった。
父親は数日中に戻る予定ではない。林燮が帰るのはまだまだ先のはずだった。
一体、何十日籠らなくてはならないのか、、、、、。
霓凰が気になるが、こんな夜更けに塀を越えて、霓凰の部屋に行く訳にもいかない。
恐らく霓凰にも、林殊と同じ事が伝えられたに違いない。
━━━━大丈夫だから、、、、━━━━
いつかはこんな日が来るのだ。
霓凰の縁を、周りが意識しだしたら、、、、きっと、こんな日が来るだろうと思っていた。
実は以前、林殊は父に霓凰を迎えたいと伝えたことがあったのだ。
だがそれは、林府にも、穆王府にも、難しい事だろうと、、、雲南王が望まぬ筈だから諦めろと、言われた。
林府と穆王府と、、どちらかの家からだろうと、、、婚姻の話を持ち出し、近しい関係になったら、疑り深い陛下が両家の結び付きを、国家の力の均衡を崩そうとしている、その様に疑い出すだろうと。
或いは、別の王族を立て、両家で陛下の王権を奪おうしていると、、、。
陛下に疑われたら、両家の破滅になるのだと。
ただ霓凰が好きなだけなのに。霓凰だって林殊を好きでいる事のを感じているのに、、、。
どうしてこうも難しい事なのだろう、、、、、。
翌日、朝は神妙に部屋でうなだれていたが、林殊は隙を見て林府を抜け出した。
まず、霓凰の所に行ってみた。
塀の上から霓凰の部屋をうかがうが、部屋の前を数人の使用人が見張っており、中々忍び込むのは難しい、、、。
ひと目、顔を見せて、安心させてやりたい、、、それだけだったのだが。
多分、自分が塀を超えて穆王府に忍び込んでいるとは、雲南王は知らぬ筈だ。
これは霓凰が黙ってどこかに行ってしまわぬ様、、その為の見張りなのかも知れない、、、。
霓凰の所がダメならば、次の行き先は靖王府だった。
靖王、簫景琰は、今日は屋敷にいるはずだった。
景琰は、もう昨日の出来事を知っていた。
「軽率過ぎる。」
と、一蹴される。
「小殊、何故二人でなど行ったのだ。」
「、、、、だが、誰かが一緒に行ったところで、結局こうなるか、、、。」
━━━━結局こうなる?━━━━
「子供の婚姻は、親がきめる。霓凰もそんな事を考えねばならない年頃に近づいているのだ。」
「小殊のイタズラに付き合っていれば、霓凰の評判にも傷がつく、将来の婚姻の話の邪魔になる。」
「女子は、男よりも婚期が早く来るのだ。」
林殊は、書物を見ながら話す景琰の横顔を見ていた。
景琰なりに、色々と事態を聞いて、色々と考えたのだろう。
「雲南王も、そろそろ霓凰の婚姻を意識せねばならぬのだろうな、、。良い家に嫁がせたいのは親としたら仕方ない事だろう。」
「昔からお前達二人、気持ちがあるのは知っていたが、、、これも仕方のない事だろうな。」
━━━━そうだよ、いつかお互いが別の人と縁を結び、ただの幼馴染みになるのだ。
ずっと、分かっていたよ、、、、、、。
だから、私だって二人だけで行けると言われて、オカシイなと思いつつ、霓凰の話にのったのだ。
これが最後かも知れないと、そんな予感がしたのだ。