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マトリョーシカ

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「それならいい。で、頼みというのは何だ」
「実は少し気になる人物がいるんだが、ちょっとした事情があって、私が大っぴらに調査するわけにはいかないんだ。そこで、もし君がハンガリー公安局の人間を何人か動かせるのなら、片手間にでも調べてくれるとありがたいんだが」
「まあ、調査対象人物をひとり追加するぐらい簡単なことだがな…」
 ミーシャは少し考えて言った。
「その事情というのを聞いてもいいか?」
「当然の質問だな」
 ザイコフはひとつ頷くと、順を追って話し始めた。
「調べて欲しいのはルカーチ・ユリアという女性なんだが…」
 ユリアがプレチュニク教授の秘書であること。彼女は教授やザイコフが諜報活動に関わっていることは知らないはずであること。にも関わらず、それに気づいている素振りがあること。そして彼女にその気があれば、教授の書類を調べるのは容易なこと。彼女の身辺調査はレジデントの長である参事官によって、すでにひと通り済んでおり、再調査は必要ないと言われたことなどを、ザイコフは手短に説明した。
「ふうん…」
 話を聞きおえると、ミーシャが鼻を鳴らした。
「つまり君は、参事官の調査が信用できないと考えているのか?」
「そういうつもりはないが…」
「十分そう聞こえるぞ」
 ミーシャは意地悪く言ってニヤリと笑った。
「自分でも心証が悪いと思うから、上に聞かれたくないんじゃないのか?」
 ザイコフは溜息をついた。ある意味では確かにその通りだった。だが、断じて参事官の調査結果を覆したいわけではない。むしろ信じたいのだ。
「ミーシャ。これだけは理解しておいて欲しいんだが、私は参事官の判断が正しいことを望んでいる。ただ、ちょっと引っかかることがあるので、それをクリアにしたいだけだ。実際、彼女が疑わしいと言えるほどの確証もない。本音を言えば、単に私の思い過ごしだという結論が欲しいんだ」
「…なるほど」
 少し厳しい顔つきになってミーシャは言った。
「ひとつ忠告しておくがな、サーシャ。そのユリアとかいう女秘書には必要以上に近づくなよ。今の君は少し危ういぞ」
 ザイコフは驚いてミーシャの顔を見た。何をバカなことを、と言おうとして口を開いたが、それよりも先にミーシャがたたみかけてきた。
「君が信じたがっているのは、参事官よりも女の方だろう。違うか」
 冷や水を浴びせられたような気分だった。ミーシャの言う通りかも知れない。いや、確かにその通りだ。
「…そうだな。気をつけるよ」
 ミーシャはちょっとすまなさそうな顔になったが、黙って2〜3度首を振ると話題を元に戻した。
「とにかくその女性に監視をつけて、不振な行動や怪しげな者との接触がないかをチェックしよう。まず1ヶ月は時間をくれ。結果の報告は来月18日、今日と同じ時刻・同じ店だ。それでいいか?」
 ザイコフは頷いた。
「よし、決まりだ。では1ヶ月後にまた会おう」
「よろしく頼む」
 二人は人民共和国通りの西の端で別れた。ミーシャはそのまま内務省へ向かい、ザイコフはデアーク広場から地下鉄で大使館へ向かった。


 プレチュニク教授がデブレツェンから持ち帰った情報の中には、発足したばかりのEECに関する貴重な情報も含まれていた。それらを外交嚢でモスクワに送ると、折り返し指示が降ってきた。EECが発足したことで、モスクワはCOMECONの枠組みを強化しようと神経を尖らせていた。例の外務省の役人から聞き出した話から、西側への接近を図るグループの主要な顔ぶれが判明すると、リーダー格の数名を失脚させるための工作が行わた。また底辺のメンバーに対しては懐柔や脅迫が行われ、グループはあっという間に崩壊した。皆、チェコのマサリクのような目には会いたくないのだ。
 そうした生臭い工作に加え、12月も半ばにさしかかると、各国大使館や政府の年中行事でパーティが増える。ザイコフは随員としてしょっちゅう駆り出され、きちんと正装しては大使や参事官の後をついてまわらなければならなかった。
 もちろん教授に対する訪問も定期的に続いていた。したがって当然ユリアとも何度か顔を合わせたが、大学でのユリアは相変わらず無表情だったし、ろくに口さえきかなかったから、ミーシャの忠告は無用になった。
 そのようにして種々雑多な用事に忙殺されるうちに、約束の期日はやってきたのだった。

 12月18日、早朝。
 『ルスケ』のカウンターからガラス越しに外を眺めていると、通りの向こう側にミーシャの姿が現れた。ミーシャの方も通りを渡る途中でザイコフの姿を見つけたらしい。大股でのしのしと歩きながら、にっと歯を見せて笑いかけてきたので、ザイコフもちょっと手を上げて応えた。
「どうした。朝から疲れた顔してるな、優等生」
 店に入ってくるなりミーシャはおかしそうに言った。
「優等生はよしてくれよ、健康優良児」
 ザイコフがやりかえすと、ミーシャは愉快そうに声をあげて笑った。
「はっはっは…。どうやら心配はなさそうだな。単に忙しいだけか」
「このところパーティ続きで、毎晩ひっぱり回されてるものでね」
「結構なことじゃないか。ぜいたくな料理やら上等の酒やらが出てくるんだろ」
「で、それを眺めながら手は出さずに、お偉方の後ろをついて歩くのさ。時々適当に相槌を打って、あとは終始にこにこしながら黙ってるんだ。なんなら替わってやろうか」
「ごめんだな」ミーシャは顔をしかめた。「君なら優雅にこなすだろうが、おれには我慢できそうにない」
 そう言って肩をすくめて笑って見せた後、ミーシャは真顔になってポケットから黒っぽい手帳を引っ張り出しながら「さて」と言った。
「本題に入ろう」
 ザイコフは、判決を待つ被告人のような心境でミーシャが報告を始めるのを待った。ところがミーシャは取り出した手帳を開きもせず、何から話そうかと思案するように黙り込んでいた。
「まず結論から言うと、彼女はシロだな」
 さんざん待たせたあげく、ミーシャはやっとそう言った。
「1ヶ月間、24時間の監視をつけたが、反革命的要素は認められなかった。それらしい個人や団体とは直接にも間接的にも接触はない。受け取った郵便物もないし、彼女の自宅には電話もひかれてない。念のために大学の交換台もチェックしたが、彼女宛にかかってきた外線も、彼女が発信した外線もなしだ。まるっきり世捨人の生活だな、あれじゃあ」
「…そうか」
 ザイコフは少しほっとした。そして多分ほっとしたような顔つきになったのだろう。ミーシャはじろりと一瞥をくれると、釘を刺すように「ただし」と言葉をついだ。
「不振な行動がまったくなかったワケじゃない」
 そう言うと、そこで初めて手帳をぱらぱらとめくった。
「この1ヶ月間で、彼女が大学へ出勤する以外に外出したのは3回。そのうち2回は先週と先々週の日曜日で、いずれも午後4時前後にヴィガドー広場に現れてる。そこで約2時間ベンチに座って過ごし、午後6時すぎに引き上げている」
「ひとりで?」
「現れた時も引き上げる時もひとりだ。おまけにベンチに座ってる間、これといって何もしないし、彼女に近づいた者もない。彼女が引き上げた後でベンチの周囲も調べたが、通信を残した形跡もなかった」
作品名:マトリョーシカ 作家名:Angie