マトリョーシカ
1958 〜 59年 ブダペスト
ザイコフがKGBの勧誘を受けたのは1955年、彼がまだモスクワ大学で法律の勉強をしながらコムソモールの活動に加わっていた頃のことだった。それはちょうど時代の大きな変わり目でもあった。53年にスターリンが急死すると、続いて彼の恐怖政治の片棒をかついでいた秘密警察長官・ラヴレンティ・ベリヤが失脚し、翌54年には「まったく新しい」国家保安組織としてのKGBが創設されたのだった。その編成にあたってはスターリン時代の反省が活かされ、ひとりの独裁者が自らの野望のために国内外の保安業務を支配し利用することができぬよう、共産党による統制が敷かれ、それによって一般市民の法的権利も強化されたという話だった。
この新しい組織は、若いザイコフの目に「これまでの秘密警察とは違う」愛国的で名誉ある組織と映った。だから勧誘を受けた時には迷うことなく応じたし、合法情報官となるために法律の道から外交の道へ転向することにもすんなりと同意した。
こうして1958年9月、外務省高等外交官養成学校を卒業したザイコフは、KGBの合法情報官として在ハンガリー・ソ連大使館の『駐在部』に外交官補の身分で着任したのだった。
当時の駐ハンガリー・ソ連大使はユーリィ・ウラジーミロヴィチ・アンドロポフ。後にKGB議長を経て、最高権力の座についた人物である。その頃の彼はまだKGBに属していなかったが、KGBのもたらす情報に対して優れた分析能力を発揮し、時には情報活動に関する独自の考え方から適切で有益な助言をすることさえあった。また、2年前のハンガリー動乱に際しては、事態の収拾に大いに貢献したことで知られており、特に時のナジ政権に閣僚として名を連ねていたカーダール・ヤーノシュを説得し、ナジに代わって親ソ政権を樹立させた手腕は有名だった。こういった実績から、アンドロポフ大使は当時すでに、モスクワからも一目置かれる存在になっていた。
そんな前評判を聞いていたザイコフは、いかにも野心に顔をぎらつかせた居丈高な男を思い描いていたのだが、着任の挨拶のために執務室を訪れると、そこにいたのは意外にも品の良い物静かな紳士で、ひどく驚いたのを覚えている。長身で身だしなみがよく、眼鏡をかけており、全体としては学者を思わせる風貌だった。言葉づかいや物腰も穏やかで人当たりが良く、ただ、目だけが鋭かった。
ザイコフはこの大使に一目で好感を持った。これから外交官の身分で活動していく自分にとって、範となる人物だと思った。事前に思い描いていた人物像とのギャップが大きかった分、その印象も強かった。そして、最初の任地がこのような大使の下であった幸運に感謝した。
一方『駐在部』の責任者であり、KGB情報官としての直接の上司にあたるアナトーリ・ボロディン参事官には、少なからずがっかりさせられたのを覚えている。アンドロポフ大使の強烈な印象を割り引いて考えても、実に凡庸な男だった。少々のリスクを負いつつ有意義な業績をあげるよりは、自らの保身を優先してほどほどの評価に甘んじるような、いかにも官僚的なタイプに見えた。
ともあれこれが、外交官としてもKGB情報官としても駆け出しのザイコフに与えられた環境だった。
着任後まもない9月8日月曜日、ザイコフはペテーフィ橋に程近いブダペスト経済大学へと足を運んだ。国際経済学者であり、ハンガリー政府の経済政策顧問でもあるプレチュニク・カーロイ教授に面会するためだった。この男は49年のコメコン発足以来、ハンガリー国内経済、及び東欧圏の協力関係について政府に助言を行ってきた人物で、現在では各省庁に豊富な人脈を築き上げており、政策決定のオブザーバーとして強い発言力を持つまでになっていた。そして、その立場を利用して密かにソ連のために働いている、いわゆる「影響力を行使できるエージェント」のひとりでもある。
ザイコフは、自分と入れ代わりにアルジェリアの大使館へ転任したステパン・イェレンコ三等書記官から、このプレチュニク教授の担当連絡官の職務を引き継いだのだった。訪問の名目は「ソ連のハンガリーに対する経済援助について助言を求める」ことだったが、実際にはモスクワからの指示を伝え、教授からは活動の成果を受け取るのがザイコフの役割だった。
大学の3階にある教授のオフィスのドアを見つけてノックすると、しゃがれた男の声で「どうぞ」という返事が聞こえた。ドアを開けて中に入ると、まず小さな前室があり、向かって左側には片袖の事務机が据えられていた。机の上には小型のタイプライターが置かれ、そのわきにファイルされた書類の束や数冊の辞書などが整然と並べられている。見たところ秘書の机のようだったが、秘書らしき人物の姿はなかった。そして正面にもうひとつのドアが開け放たれてあり、どうやらその奥が教授の執務室らしい。
秘書がいないので、そのまま執務室へと進むことにして足を一歩踏み出した時、開いたドアの向こうから愛想のよい笑みを浮かべた小柄な老人がひょいと顔をのぞかせた。
「失礼。プレチュニク・カーロイ教授でいらっしゃいますか?」
「いかにも」
「ソ連大使館から伺いました」
「おお、すると君がイェレンコ君の後任の…?」
「はい。アレクサンドル・ザイコフといいます。以後、お見知りおきを…」
「こちらこそ、よろしく頼むよ」
教授はそう言って片手を差し出した。ザイコフは自分より20cm程も背の低い教授に対して、ほんの少し上体を折って敬意を示しながら握手に応じ、社交用の過不足ない微笑を見せた。初対面の相手に堅苦しさを感じさせない、といって決して馴れ馴れしすぎない適度な微笑。どういうわけかザイコフは、こういう笑い方が自然にできる男だった。KGBが彼を外交官に仕立て上げることを考えたのも、ひとつにはこの優雅な微笑のせいだったかも知れない。
入り口での挨拶がすんで執務室に入ると、教授はザイコフに椅子を勧めた。
「ひとまず、かけてくれたまえ。今、秘書は事務局に書類を届けに行っているんだが、戻ってきたらお茶を入れさせよう」
執務室は前室の4倍ほどの広さがあった。窓際には本や資料が山積みになった教授の机が置かれ、その反対側の壁は天井までぎっしりと本のつまった書棚になっていた。そしてそれらに挟まれるように、小ぶりのティーテーブルがひとつとひじ掛け椅子が3脚。ザイコフはそのひとつに腰をおろした。
その時、前室の方でドアの開く音が聞こえ、人の動く気配があった。
「おお、ちょうど戻ってきたようだ」
教授は自分から前室の方へ出てゆき、ふたことみこと声をかけて戻ってくると、「君も今後たびたびここへ来ることになるのだから、秘書を紹介しておいた方がいいだろう」と言って、意味ありげに笑った。
「だが、先に心の準備をしておきたまえ。ちょっと珍しいものを見ることになるから」
言われたことの意味が分からず、ザイコフが返事に困っていると、教授はますます面白そうな顔になって言葉を続けた。
「なに、秘書としての能力には申し分ない女性なんだが、初めて見る者には少々心臓に悪いかも知れないと思ってね。まあ、見ればすぐに分かるよ」