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マトリョーシカ

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 ザイコフは苦笑した。こんなものを彼女に預けておくとは、迂闊にもほどがある。どうやら今回は彼女は中を見なかったようだが、それは単に幸運にすぎない。もし中身を見られて、それを誰かに話されでもしたら…。それどころか、これが人手に渡ったりしたらどうなることか。考えると冷汗が出た。教授には厳しく言っておかねば。
 それにしても…。議事録の写しを封筒に戻しながら、ザイコフはまたユリアのことを考えた。まるっきり無感動なのかと思っていたが、それなりに感情の起伏はあるようだ。どうやら彼女がいつも無表情なのは、自分で感情表現をうまくコントロールできないせいらしい。表に出さずに抑え込むか、抑え切れずに噴出するか。そのどちらかしかないのだろう。いずれにしろ、彼女にはよく驚かされる。

 もう少しで30分が経過しようという頃になって前室のドアが開く音が聞こえ、続いて教授のしゃがれた話し声が聞こえた。どうやら会議が終ったようだ。ザイコフは椅子から立ち上がって教授が入ってくるのを待った。すぐに執務室のドアが開き、教授の愛想笑いと小柄な姿が現れた。ザイコフはいつも通りの優雅な会釈をしてから「お邪魔しております、教授」と言った。
「すまなかったね。急な会議だったもので。ああユリア、私のことは構わんでよろしい。すぐに彼との用件に入るからドアを開けないように」
 後半の言葉をドアの向こう側に投げると、教授はきっちりとドアを閉めてザイコフの向かい側に腰かけた。教授が座るのを見届けてから再び腰をおろしたザイコフは、声を殺して教授に抗議した。
「教授、いったいどういうおつもりです!」
 プレチュニク教授は一瞬きょとんとした顔になったが、すぐにまた愛想笑いを見せた。
「いや、待たせて悪かった。だが教授会だと言われて断わるワケにもいかんだろう」
 どうやらザイコフの抗議の内容を取り違えているらしい。
「そんな事ではありません。こんな物を秘書に預けて、中の文書を見られたらどうするんです?」
「ああ、それなら心配はいらない。あの子は中を覗いたりしないよ。下手に『郵便箱』を使うより、あの子に持たせておく方が安全なくらいだ」
「なぜそんなことが分かるんですか。勝手に決めつけないで下さい」
「なぜって君、あの子は他人のことに興味なんかないんだよ。こちらから見ろと言わない限り、自分からは見ようともしない。何に限らずそういう子だよ。2年前の動乱の時だって、街中の人間がデモで大騒ぎしている時に、ひとりシレッと図書館にいたくらいだもの。あれは君、人形だよ」
 教授はそう言ってからからと笑った。ザイコフは呆れてしまった。
「いいですか? あなたがどう思おうと彼女は人間です。自分でどこへでも歩いて行けるし、しゃべりたい事があれば口もきける。そして我々と彼女との間に契約はない。そういう人間の手に、たとえ一時的であれ、こんな機密文書を勝手に預けられたのでは、我々としても非常に困る」
 すると教授はあからさまに不機嫌な顔になった。
「君、そんな言い方はないだろう? 私は君に無駄足を踏ませては気の毒だと思ってそうしたんだよ?」
 恩着せがましく言われても、ザイコフは引かなかった。
「お気遣いには感謝します。しかし万一の事態を考えれば、私が無駄足を踏んだ方がずっと良いのです。今回のような場合には、私の方でお待ちするなり日を改めて伺うなりの対応をしますから、こういう物は必ず私に直接手渡すよう徹底していただきたい」
 教授はひどく不愉快そうだったが、ザイコフが「よろしいですね?」と念を押すと、渋面を見せながらもようやく頷いた。そこでザイコフもそれ以上くどく言うのはやめて、本来の用件に移ることにした。



「ああ…。あの気味の悪い美人か」
 参事官はそう言って鼻先でフンと笑った。
 大使館の『情報室』に戻ったザイコフが、今日の教授の迂闊な行為を報告した後で、ユリアの身辺調査の必要性を進言した時のことだ。あれだけ強く念を押したから、今後は教授もユリアの手に機密書類を預けはしないと思うが、考えてみればユリアは教授の不在時に自由に執務室に立ち入ることができるのだ。今日のことを振り返って見ても、ザイコフが訪ねた時には執務室のドアは開け放たれていた。いくら機密をしまうファイル棚が施錠され、カムフラージュされていても、ユリアに捜そうという意志さえあれば、発見のチャンスはいくらでもあることになる。
 ザイコフがそう指摘すると、参事官はあっさりと「今さら調べる必要はない」と言い切った。
「あの女については、教授の秘書になった時点でひと通り調査したが、まったく心配には及ばんよ。あれは思想など何も持っていない、いわば生きた人形だ」
 参事官も教授とまったく同じことを言う。
「そもそも交友関係というものがないんだよ、あの女には。親しい友人というのも見あたらないし、近くの街に住む両親とすら行き来がないらしい。まあ、あの風貌にあの無愛想では無理もないがな」
「彼女が秘書になった時点というと、いつ頃ですか?」
「一昨年の7月だ。それから3ヶ月ほど様子をみていたが、毎日ただ自宅と大学を往復するだけだ。その他には特に外出もしないし、訪ねて来る者もいない。まあとにかく単調なもんだったよ」
「それ以後は?」
「何を言っとるのかね、同志。一昨年の10月末にはあの騒ぎだ。さして問題もなさそうな女の監視など続けていられたと思うかね?」
「すると、動乱以後の彼女の身辺については、何の調査もされていないわけですね?」
「…何が言いたいのかね?」
「改めて調査した方が良いのではありませんか?」
 参事官は椅子の背にふんぞり返って、不機嫌そうな目つきでザイコフをじろじろと眺め、それから急に野卑なニヤニヤ笑いを浮かべた。
「…もしや君、あの女に個人的な興味でもあるんじゃないかね? 気になる女のことは調べたいものだ」
 あまりにも低俗な解釈に、ザイコフは憤慨した。
「そんな思惑はありません! 職務上、必要だと思ったから申し上げたのです!」
 ザイコフの抗議にも参事官はまったく態度を変えなかった。相変わらずニヤニヤしながら、意地の悪い目つきでこちらを見ている。
「そうムキになるな。図星だったことがばれるぞ。まあ気持ちは分からんでもない。確かに美人だからな。だが、あまり良い趣味とは思えんなあ…」
 下衆め! とザイコフは腹の中で怒鳴ったが、なんとか口に出さないだけの分別は残っていた。代わりに思いきり参事官の机をバンッ! と叩いて語気を強めた。
「私はただ、2年もたてば周囲の環境が変わることもあり得るので、慎重を期した方が良いのではないかと言っているんです!」
 参事官はふんと鼻を鳴らして背もたれから身を起こし、机の上で両手の指を組んで上目遣いにザイコフを睨んで言った。
「あの動乱以後は、声高に反体制を扇動する者はいなくなった。2年前の調査報告をかんがみても、君の言うような可能性はない。今さらあの女を調査するのは時間と労力の無駄だ。この私がそう判断しているんだよ。それとも君が調べれば、私が見落としている点が見つかるとでも言うつもりかね? だとしたら大した自信家だな、君は」
作品名:マトリョーシカ 作家名:Angie