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DEFORMER 9 ――オモイコミ編

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 私は、訊きたいことが山ほどある!
 衛宮士郎に、お前にとって私はどんな存在なのだ、と問い詰めたい。
 できることなら座に還るまでに……、私を好きだと言ったお前を記録の底に沈めてしまう前に……。


 夏の夜、風を通すために開け放ったガラス戸からは、虫の声が絶え間なく聞こえる。
 今時珍しく、蚊帳を張った自室の布団で衛宮士郎は眠っている。暑いからか、掛布団は足元にたたんだままで、身体を丸めて……。
 何度も、こういう格好のこいつを見たことがある。
(手足が冷たくなり、息を詰めて……)
 監禁されていた時の夢を見て、身体を強張らせて、呼吸すらままならなくなり、そうして衛宮士郎は横向きになって身体を丸める。
(いまだに治っていないのか……)
 衛宮士郎はあの魔術師と相対して克服したはずだ。なのに、今も悪夢にうなされているのか……。
 たし、たし、と畳を踏みしめるたどたどしい足音がやけに響く。鼻先で蚊帳の裾を上げ、蚊帳の中へと潜り込んだ。
 電池式蚊取りの薬液の臭いが鼻につくが仕方がない。犬の嗅覚は人よりも優れているのだから。
 丸めた背中を額のあたりで押せば、衛宮士郎は目を覚ましたようだ。
「あえ? ど、した? 水?」
 寝ぼけ眼で起き上がったその傍らに、ばふ、と伏せる。
 少々、疲れた。
 居間からここに歩いてくるまでで疲れるとは、この身体は厄介だ。
「クロスケ? あの……」
 私が布団に寝そべったことに、衛宮士郎は驚いている。
 それはそうだろう。驚くに決まっている。だが、説明することもできないので無視だ。
 私自身、何をしているのかと腑に落ちない。
「えっと……」
 戸惑いながらも私の横に寝転んだ衛宮士郎は、そっと頭を撫でてくる。
(冷たい手だ……)
 ちらり、と目だけを向けて窺えば、緩く目を細め、夜目にもわかる琥珀色の瞳が少し潤んでいて、ほころんだ唇は、微かだが笑みの形に刻まれている。
 女性の口を“薔薇の唇”などと表現することがあるが、なぜ今、衛宮士郎を見てそんな言葉を思い出したのか……。
「あったかいな、お前……」
 なぜか、ずきり、と胸が痛む。
 老犬のため、身体にいろいろと支障を来しているのだろう、と……思いたい。
 うとうとと微睡む衛宮士郎の手が少し温まってきている。
 “士郎……”
 つい、その名を呼んでしまったが、かふ、と息が漏れただけだった。
 犬の身体で助かったと、冷や汗をかいた気分に陥った。



***

 クロスケがごはんを食べなくなってもう五日くらい経つ。
 野性動物は死期を悟ると、食べなくなったり、姿を隠したりするとかって聞いたことがある。
「まさか……?」
 居間で寝そべるクロスケを見やる。いつもこんな感じだと思うけど、やっぱり、どことなく元気がないようにも見える。
 俺の主観が入りすぎているだけなのか?
「遠坂に訊いても、大丈夫だって言うだけだし……」
 学校の生物の先生に訊いてみて……、ああ、俺、あの先生、苦手だった……。
 気軽に電話して訊ける相手じゃない。
「病院、行った方がいいのかな……?」
 暑さでバテている可能性もあるから、氷水を器に入れてクロスケに差し出す。
「やっぱり具合、悪いのか?」
 訊いたところで返答は返ってこない。当たり前だ、犬なんだから。
 だけど、クロスケは俺たちの言葉を解しているような感じがしてならない。
 だから、ついつい話しかけてしまう。
 クロスケは氷水にペロリ、と舌を伸ばすけど、やっぱり、飲むには至らない。飲まず食わずでは、身体が弱る一方なはずなのに……。
「暑いからか?」
 俺がいるだけなのに、昼間からクーラーなんて、と片意地張ってる場合じゃないか。人間はいいけど、犬は毛皮を着てるのと同じなんだ。夏なんて、しかも連日三十度を超える猛暑日なんて、年老いた犬には、死と隣り合わせの毎日だろう。
「すぐに涼しくなるからな」
 エアコンの入ボタンを押して、クロスケの頭を撫でれば、ふす、と鼻息を吐いた。
 まるで、返事をされた気がする。
「ほんとにお前、話ができるみたいだなぁ」
 少し可笑しくて笑ってしまった。


 縁側で干した布団をしまい、洗濯物を取り込んで俺の部屋の前に戻ると、クロスケがゆっくりとした足取りでやってきた。
「クロスケ、どうしたんだ?」
 家の中でクロスケによく遭遇する。普通の家なら当たり前の話だけど、このだだっ広い屋敷ではウロウロしていれば遭遇する確率は低くなる。クロスケか俺か、どちらかが意図をもっていない限り出会うのは難しいと思う。だから、クロスケは俺を追いかけているんじゃないかって、だから、よく出会うんじゃないかって、そんな気がする。
(下校のときみたいだ……)
 俺の帰る時間と、アーチャーの帰る時間とは違っていたはずだ。なのに、いつもアーチャーと校門のあたりで遭遇した。
 思い出してしまって、すごく胸が痛くなる。
 約束もしないのにアーチャーと会える嬉しさが、そんな思い出が、今の俺には胸苦しいだけの記憶として残ってしまった。
 この身体と同じ、元に戻ることのない時間たち。
(アーチャーと過ごした時間は……)
 多くはなかった。
 だけど、アーチャーが消えて、こんなにも俺の何もかもをごっそりと奪ってしまった。
 みんながいるから普通に過ごしている。みんなに心配をかけないように、俺は元の……、聖杯戦争の以前の、アーチャーを知らない時の俺を引っ張り出してきて、なんでもないんだって過ごしている。
 もう少し時間が経てば、慣れるだろうか?
 こんな上っ面だけの生き方で、いいだろうか?
 みんなが俺を探してくれてたのに、まともじゃない俺でも……、いいんだろうか?
 かふ。
 その声に瞬く。
 クロスケは縁側で寝そべるみたいだ。
 俺もここで洗濯物をたたむから、クロスケの調子もわかっていいか。
(そういえば、夜、俺の布団に入ってくるよな……)
 人恋しいんだろうか。
(やっぱり、飼い主さんと離れるのはきっと、寂し――)
 クロスケの寂しさが、痛いくらいにわかるのは、やっぱりアーチャーが消えたことを、俺がまだ吹っ切れていないからだ。
 たたむつもりで手に取った衣類を握り込んでしまう。冷たい手はもう、熱を持つことはないかもしれない。
(もう……あんなふうに……)
 誰かを好きになることはないと思う。
 そもそも俺は男なんだし、身体が女になったからって……。
(だけど……)
 アーチャーと抱き合うことに抵抗なんてなかった。そりゃ、斬り合ったとか、いがみ合ったとか、そういうことを抜きにはできなかったけど、俺はアーチャーに触れてほしいと思った。熱く求めてほしいと思った。
(アーチャーも……)
 こんな身体になったことを、衛宮士郎であることを申し訳ないと言えば、そんなことは些末事だって、お前はどうしようもなく可愛いんだって……。
(あの気持ちが、アーチャーのものじゃなかったなんてな……)
 気持ちとか想いとか、目に見えないモノに白黒つけることは難しい。そういうモノに絶対なんてありえないんだから、俺にアーチャーの気持ちをどうこう言うことはできない。
(もう無理だろうな……)