DEFORMER 9 ――オモイコミ編
どくん、どくん、と鼓動が跳ねる。
俺の手を温めてくれたのは……?
「俺の……手……」
両手を見つめて、冷たいそれを握り込む。
「そりゃ……、ドッグフードなんか、食べないよな……」
少し笑えて、やっぱり泣けた。
何はともあれ、不可思議なことは師匠に訊いてみることにする。
どのみち、アーチャーが座に還っていないことを伝えなきゃならないし、遠坂が預かった犬にアーチャーが勝手なことをしたとわかったら、遠坂が怒るかもしれない。
「遠坂、クロスケにアーチャーが入ってたとかって、可能性はあるか?」
遠坂が帰宅して、単刀直入に訊けば、
「あるわね。もしかして、出てきたの?」
驚きもせず、遠坂はそんなことを訊く。
どういうことだ?
出てきたって……?
なんだか遠坂がアーチャーに何かしたみたいな……。
「と、遠坂、まさか……?」
「珍しく察しがいいわねー」
信じられない思いで訊いてみれば、遠坂はにっこり笑って大きく頷いた。
「ええ、そうよ」
遠坂は胸を張って肯定している。まるで、褒めなさい、とでも言うように……。
呆然とするしかない。
もしかしたら、アーチャーが消えるギリギリのところでクロスケに乗り換えたんじゃないかって仮定してみたけど、アーチャーじゃなく、遠坂が何かしたなんて……。
「な、なんで、そんなこと!」
「あいつがウジウジしてるからよ」
「そんっ、で、でも、」
「士郎の想いを噛みしめろって、クロスケに移したのに、出ちゃったのね」
「え……。俺の、想い? いや、それよりも、え? 移す? 出ちゃったって、どういう……」
「簡単に出られるはずがないのよ。フォルマンほど完璧じゃなかったけど、私の魔術は成功していたわ。完全にアーチャーをクロスケの身体に移植したの。だから、あの肉体同様、勝手に離れることはできないはずなんだけど、出ちゃったんでしょ?」
「う、うん……」
「至難の業よって言ったのに……。それに、無茶をすればすぐに魔力が切れるって教えてあげたのに、あいつ、やっぱり、無茶したのね」
「そ、それって……」
「クロスケの中にいる時は、魔力は一定量保たれていたわ。何しろ、そこのクロスケ、魔術師の相棒だったのよ。士郎よりも魔力を蓄えているもの」
居間で、満腹になったクロスケは、腹を見せて爆睡している。
犬だ……。完っ全に、犬だ……。
なのに、俺よりも魔力があるって……。
「ぅぐぐ……」
嬉々として話す遠坂に、俺はやっぱり打ちのめされてしまう、いろんな意味で……。
「だから、出ちゃったら、もう魔力の補給はできない。士郎と契約しているけど、士郎からの魔力はほとんど流れていないだろうから、時間の問題よね」
「そ、れなら……、アーチャーは……」
「ええ。もう座に戻るわね」
冷えた掌が汗で濡れる。
(アーチャーが……、座に還る……)
今度こそ本当に……。
消えてしまったと思っていたのに、まだ現界していて、なのに、魔力が足りなくて、結局……。
「供給は、どうするの?」
「え……?」
「まあ、もう、しなくてもいいんじゃない? あんたも、あいつに振り回されたくないでしょ? あいつも諦めるわよ」
「だけ……ど……」
「士郎」
遠坂は厳しい顔つきになった。
「同情とか、諦めとか、そういうのでアーチャーに魔力供給はしないことよ。いい機会だから言っておく。あんたは、あんたの気持ちで判断しなさい」
「俺の、気持ち……」
「流されちゃダメ。大事なのは、あんたがどうしたいのか、よ。アーチャーとこの先も一緒にいたいのか、それとも、もうこりごりなのか。
あんただって、同情で一緒にいられたってうれしくないって思うでしょ? それは、アーチャーも同じはずよ。同情なんかで魔力供給なんかすれば、それこそ何様だって話よ。
今、消えそうだから、なんとなく供給するんじゃなくて、あんたの想いをきちんと自分の中で形にして、どちらかを選んで、アーチャーにきちんと伝えるのよ」
遠坂にいろいろと釘を刺された。流されてはいけない、俺の気持ちをはっきりさせろって。
アーチャーを引き留めたいという気持ちは、俺の甘えか、それとも……?
答えなんか、すぐに出そうにない。
だけど、時間は幾ばくも無い。
(どうするのが、俺には……)
知らず握りしめた拳は冷たくて、あっためてくれたアーチャーの手の温もりが恋しくなる。
(そんなことで引き留めるのか?)
湯たんぽじゃないんだぞ、アーチャーは。
そんなことで、守護者なんて英霊を、俺が引き留めるとか……、横暴すぎる。
「士郎、あんたはどうしたいの?」
「俺は……」
好きなんだ。傍にいてほしい。だけど……。
「好き? 嫌い?」
「え? そんな簡単なことじゃ……」
「それだけよ」
「そ、そんなので……」
「いいのよ。アーチャーだって、おんなじようなことで、しつこく現界なんてしているんだから」
「そんな……こと、は……」
「あんたが好きだって言うなら、離したくないって言うんなら、協力は惜しまないわよ」
「なん……、そ、そんなの……」
顔が熱い。
遠坂は、なんだってそう決めつけちゃうんだ……。
「あんたが結論を出すまでは、手を貸してあげるわ」
「手を、貸す?」
「ええ。たぶん、今の精神状態じゃ直接供給は無理でしょ。だから、私がアーチャーを留めておいてあげる」
「遠坂……」
「だけど、あんたが半端なことをしようものなら、私がアーチャーを消すわよ」
「…………」
「世の中、そんなに甘くはないのよー。だから、あんたは、自分の気持ちに整理をつけなさい。それから、アーチャーとも向き合うこと、いいわね?」
向き合う……。
そんなことができるだろうか?
俺は、引き留めてしまってもいいんだろうか?
答えはやっぱりすぐには出ない。俺がどうしたいかは決まっているようなものの、アーチャーが何を望むのかで、揺らぎそうになる。
アーチャーは自分の想いだって言った。あの肉体の想いじゃないってわかったって言った。
(だけど、また違った、なんて言われたら、俺は……)
時間が欲しい。今すぐに答えなんて出せそうにないから……。
「…………遠……坂……、あり、がと……な……」
頭の中がぐちゃぐちゃで、今、何をすべきかとか、俺が何を望むんだとか、アーチャーに何を言えばいいのかとか、考えれば考えるほど答えが遠退いていく。
「……っ、っく……っ……」
「はーいはい、泣かないのー」
遠坂の前で泣いてしまった。子供みたいに、ぐずぐずと……。
「士郎、アーチャーはね、結果的にはバカみたいな考えに至っちゃったんだけど、あの行動は、あんたのことを一番に想っていたからだと思うわよ」
ぽすぽすと、俺の頭を軽く撫で叩きながら、遠坂は静かな声で言う。
「そう、なのかな……?」
「肉体に気持ちが引きずられている、なんて、普通なら考えないじゃない。だけど、アーチャーは、そんな、あるかどうかもわからない僅かな可能性が引っかかった。それって、裏を返せば、自分自身の想いだけじゃないと、我慢がならないっていうことでしょ?」
「遠坂は……アーチャーのことが、よく、わかるんだな……」
「だって、あんたたち、わかりやすいもの」
作品名:DEFORMER 9 ――オモイコミ編 作家名:さやけ