終わらない夕暮れに
家を出ると、そこはもう普段と様子が違っていた。
いつもはお互い顔見知りしかいない小さな島だけど、祭の日だけは違う。
海と空を真っ赤に染める夕焼けが数時間続く『終わらない夕暮れ』は、一年に一度、この島でだけ見ることができると言われている。
だからその『奇跡』を見ようと、祭の日は本土から大勢の人が来る。
それにしても、今年は一層観光客が多いように見えた。
前の道を掃除している住職さんに挨拶をしてから祭の会場へ向かう。
島民すべてを檀家に抱える薄明寺の住職さんは、祭の日は必ず町に出て、自ら掃除役を買ってくれている。
(でも以前は、彼の仕事だった)
ぼんやりと、そんなことを思いながら、ぼくは祭の会場へ向かった。
神社にお参りをしてから屋台を覗いてまわる。
途中、祭の運営を手伝わされてるギンタとジュウベエに会った。
二人とも今は島を出て本土の大学に通っているが、祭りのために昨日こちらに戻ってきたらしい。
ギンタは相変わらず人混みが苦手なようで不満顔だが、それをジュウベエがうまく宥めて動かしているみたいだ。
二人とは祭りの後で会う約束をして、その場を離れる。
ステージに向かうと、壇上には巫女姿のサツキがいた。
去年、高校生巫女として注目されたサツキは、周囲も驚くほどの人気を博した。
その好評に推されて、今年も任されたらしい。
さっきのジュウベエの話だと、本人は最後まで辞退を訴えていたようだ。
目立つことを嫌う控えめな性格の彼女なら、確かに自ら名乗り出ることはなかっただろう。
だが昨年、母親を代役にして祭りを抜け出していた引け目もあってか、今回も引き受けたらしい。
よく見ると、疲れているのか少し顔色が悪い。大丈夫だろうか……
心配になって見つめていると、サツキがこちらに気付いた。
ぼくが手を振ると、彼女は少し驚いた顔をして、それからはにかんだように笑った。
それを見て、観客たちがどよめきにも似た歓声をあげる。
去年よりも明らかに多い男性客たちが揃ってシャッターを切る音が、会場に響いた。
異様な盛り上がりを見せる会場をあとにして、ぼくは屋台で海鮮焼きそばを買って一度家に帰った。案の定、帰りを待ち構えていた父さんに袋ごと渡して、また外に出る。
少し離れた場所で掃除と続けている住職に会釈して、広場の方へと向かった。
島の中心にある広場は、すでに真っ赤に染まっていた。
終わらない夕暮れが始まったのだ。
ここから数時間、この島では夕焼けが続く。
広場にいる人のほとんどが感嘆の声をあげて空を見上げ、また談笑に戻る。
その大半は島の外から来た観光客だ。見知った顔は、そのなかに時々、ちらほらと見える程度。
ここ数年で一番の人出だと、げんなりした顔をしながらどこか楽しそうに家の手伝いをするトラヒコの背を見送って、振り替える。
その時だった。
「っ!!!」
どくり、と。大きく鼓動が跳ね上がった。
観光客だろう、見覚えのない人たちが集団で歩いている、その笑顔の向こうに。
『彼』がいた。
一つに束ねられ手拭いで覆われた髪も。
使い込まれた作務衣の薄青も。
口角を僅かに上げた優しくて穏やかな横顔も。
あの時と何一つ変わらない『彼』が、広場の中央に立つ木を見上げていた。
どこか遠くを見るように目を細めて、
何かを確かめるように木の幹に触れて、
ぽん、と軽く叩いてふっと笑う。
その横顔に、また心臓が大きな音を立てた。
「あ……」
その彼がくるりと向きを変えた。
ぼくに背を向け、ゆっくりと岬の方へ歩いていく。
もしかしたら、よく似た他人かもしれない。
今日は外部から大勢の人がやってくるから、あの人もその中の一人かもしれない。
でも今日は、まがとき祭の日だから。
もしかしたら。
そう思ったら、思わず動いていた。
「待って……」
踏み出した最初の一歩で、目の前の人に肩がぶつかった。
反射的に謝って、でも視線は遠ざかっていく背中から離さずに走り出す。
「待って、ください……」
縁日の屋台を見てまわる人の波を押し退けて前に出る。
なんで今年はこんなに人が多いんだろう。
このままでは見失ってしまう。
彼を。彼の、背中を。
「待って……待ってってば」
言いながら腕を伸ばす。指先が、青い絣地に触れ、必死になってそれを手繰り寄せた。
「ヘイキチさん!!」
「!?」
ぼくがその名前を読んだ瞬間、彼はピタリと足を止めた。
ゆっくりと振り返り、大きく見開いた目で僕を見て。
呟いた。
「シュウ、ヤ?……お前、どうして……?」
信じられない、と。
彼は小さく首を振った。