終わらない夕暮れに
ヘイキチさんは、ぼくが何を言おうとしているのかちゃんとわかってる。わかった上で、逃げようとしている。
だけどぼくも逃がすわけにはいかない。
おへそに力をいれて、顔をあげる。
「ぼくは弱虫で、自分では何も決められない子供だった。喧嘩が怖いから自分の意見もまともに言えなかった。誰かと揉めるくらいなら自分なんかいないほうがいいって思ってた。だから!……だから、イヅルがサツキを好きなら、お似合いだねって笑って身を引こうと思ってたんだ」
「シュウヤ……」
「自分の気持ちなんて消してしまっても平気だって……本気でそう思ってるような、弱虫だったんだよ」
言いながら11年前を思い出す。お泊まり会の時のこと、サツキの好きな人を聞いてしまった時のこと、イヅルに勝負を挑まれた時のこと、それから……
「おまえは弱くなんかない。人一倍、優しいだけだ」
記憶の中の声に呟く声が重なる。思わずくすりと笑ってしまうと、怪訝そうな顔をするヘイキチさんと目があった。
「……それ、昔イヅルにも言われた」
「…………ははは」
しばらく考えてから思い当たったのか、ヘイキチさんも小さく笑った。
少しだけ、この場所の空気が緩むのがわかって、ぼくは一歩、ヘイキチさんに近づいた。
「ヘイキチさん、覚えてるかな。ぼくはここでヘイキチさんに背中を押してもらったんだ」
「ん?」
「サツキの気持ちと、自分の気持ちを大事にしろって」
「……」
「男同士の約束は、本気でぶつからなきゃ駄目だって」
「シュウヤ……」
「ぼくはあの時、ヘイキチさんに勇気をもらった」
あの一言が、ぼくを変えた。
あの一言が、ぼくにイヅルとの勝負を決めさせた。
その結果、悲しくて辛いことも多かったけど、ぼくは後悔していない。
「ぼくは、自分の気持ちもサツキの気持ちも大事にしようって、そう決めた。……だから気付けたんだ。今のぼくはあの頃と同じように、サツキを思えていない」
「…シュウヤ」
ヘイキチさんの顔が苦しそうに歪む。
「それなのに、このままサツキと一緒にいていいのかなって。ぼくの気持ちが変わっているのに、それを隠して付き合うのは正しい姿じゃないんじゃないかなって。二人の気持ちを大事にするなら、このままじゃダメだって思った」
「…シュウヤ、やめるんだ」
「サツキのことをちゃんと想えないぼくが、サツキの気持ちに応えるなんて、絶対にしちゃだめだってわかったんだ」
「もうやめてくれシュウヤ!」
「いやだ、やめない!!ちゃんと聞いてよヘイキチさん!!」
気づけばぼくはそう叫び返していた。驚いたように口をつぐんだヘイキチさんに小さく謝ってそれから一度、深呼吸する。
大丈夫、そう自分に言い聞かせて。
泣きそうになる自分を奮い立たせてヘイキチさんに向き直った。
「……ぼくのこと、見守ってくれてたんでしょ?」
「……」
「守り神さまになって、みんなを見守ってくれてたんでしょ?」
「……」
「なら知ってるよね?ぼくの好きな人は、サツキじゃない」
そう言うとヘイキチさんの眉がひくりと動いた。
その表情に、ぼくの本当の気持ちを伝えた時のサツキの顔が重なった。
唇が震えて、何かを言おうとして言えなくて、喉が何度も動いていた。ぼくはそんなサツキを見ていられなくて、すぐにうつむいてしまったけれど。サツキはしばらくしてから、ふっと笑って言った。
知ってたよって。
シュウヤくんの心に他の人がいること、それが誰かはわからないけれどちゃんと気づいてたって。
正直に話してくれてありがとうって。
泣きそうな顔で、でも涙は見せずに。
サツキはそう言って笑っていた。
……サツキを傷つけてしまったことは申し訳ないと思っているけれど。
気持ちを隠して、サツキを騙すようにして一緒にいることは、もっとサツキを傷つけてしまうことだと思うから。
だから、全部伝えて別れたことに、後悔はない。
ぼくはもう一度ヘイキチさんを見た。
「ぼくが好きな人は……サツキじゃ、ないんだ」
「……」
「リノでもチカゲでも……イヅルでもないよ」
「……」
やっぱりヘイキチさんは答えない。
けれどもう、ぼくを止めようともしていない。
だからぼくも、止めようとは思わない。
あの日、終わらない夕暮れに消えた時に感じた気持ち。
今日、終わらない夕暮れの中で見つけた時に感じた気持ち。
それを言葉にする。
「ヘイキチさん。ぼくはあなたが……すきです」
静かに。ただそれだけを告げると、ヘイキチさんは両手で顔を覆って天を仰いだ。