Blessing
「――――ああ」
「だったら。だったら、何か原因があるはずだよ。それ、ちゃんと確かめなきゃ」
それに、とそこで言葉を区切って振り返った遊戯は、悪戯っぽく笑って見せた。
「もしこのまま水位が上がったら、ボクの部屋も沈んじゃうでしょ?」
「それは…」
「キミ覗いてないだろうけど、既に色んなものが浮いてて凄い事になってるんだよ。それに、このまま放っておいたらカードも何処か流されちゃうかもしれないし、そうなったら落ち着いてデュエルもやってられないし」
「・・・・・・。」
「しかもキミの部屋好きなのに、水の中って流石に落ち着かないだろうし…」
それから、と。
指折り数えていく遊戯の顔は真剣だ。
もう一人の遊戯はしばしその、放っておくと困った事ラインナップに耳を傾けると、やがて、自然と口元に柔らかな笑みを引いた。
ふ、と肩から力が抜ける。
「・・・そうだな。オレも、」
ふ、と指先を遊戯の頬に滑らせながら至極真面目な顔をして。
「部屋でのんびり出来ないのは困るな」
色々と。
「・・・・・・。」
僅かな沈黙が落ちる。
今度は微妙に居たたまれなくなったのか、うろうろと辺りに視線を泳がせだした遊戯の手を取って、もう一人の遊戯は行こう、とその手を引いた。
「・・・遊んでるでしょ、もう一人のボク」
「そんな事ないぜ。オレの正直な気持ちだ」
小声の抗議も軽くいなされて、遊戯は小さく息をついた。
ぱしゃ、と水の跳ねる音が響く。歩む端から足を取られそうになって、繋いだ手に力がこもる。
「ボク泳ぐの苦手なんだけどね…」
「大丈夫だ。おぼれる事だけは無いからな」
軽い口調で返ってきた答えと、その手の温かさに、遊戯はひっそりと笑みを浮かべた。
――――気負わなくていいと。
不安なのは同じだからと。伝わっただろうか。
「・・・ありがとう、相棒」
小さく言葉が届ければ、繋いだ手に力を込めて、ぎゅっと握りかえしてくれる。
曖昧なこの世界で、ちゃんとここにいる、と伝えてくれる。
ただ、その力は軽い調子の言葉とは裏腹に痛いほどで。その中に籠められた不安もまた、ダイレクトに伝わってきた。
――――大丈夫、ここにいる。
だから宥めるようにそっと、親指で繋いだ指をそっとなぞった。
トプン、と。
確かに水に潜る感覚を感じて、一瞬目を閉じ、息も止めてしまったのに。
「相棒」
普段と同じように声は伝わって、軽く引かれる手に促されるままに目を開けた。
「うわぁ、何かキレイだねぇ…」
ほんの数段上に、薄明かりに揺れる水面が見える。
波紋を描いて不規則に揺れるそれは、確かに水に潜った時に見上げるあれと同じで。そして肌に触れてくるするりとした感触も、確かによく知る水のはずなのに。
「水の中で話が出来るって何か変な感じだよねぇ・・・」
「声が伝わってる事自体が、これは水じゃないって事なんだけどな」
階下へと降りていくもう一人の遊戯に手を引かれる形で進みながら、動きづらい水の中を歩んでいく。
何処からともなく漏れるような微妙な光はあるのだが、下手に手を離せばすぐに相手を見失ってしまいそうな暗がりだ。
徐々に暗さに慣れだした目には、水越しに見るのは不思議な光景だった。
普段と同じ(といってもこの辺りが迷宮のどの辺にあるのかはさっぱりだが)、パズルのような迷宮も、ゆらゆら揺れる視界によってあちこちが遮られたようになっている。
「…何かテレビで見た海底洞窟探検してるみたいな気分だよ」
「雰囲気は十分だな。じゃ、あとはおかしな水棲生物とか」
「それは怖いからいらない」
即答だ。
ついでに繋いだ手にぎゅっと力が込められて、振り返ろうとした先、視界の隅に何かが動いた。
・・・なんだ?
「? どうしたの、もう一人のボク」
この部屋で、自分たち以外に動くものがいる。
「何処かであったな、このパターン…」
「え、ホントに何かいるの?」
突然、傍らの分岐の方へ目をやったまま動きを止めたもう一人の遊戯の肩越しに、恐る恐るそちらへ目をやれば。
暗がりの通路の向こうへさっと過ぎる人影のようなものが。
「わ!」
「追うぞ、相棒!」
「わわわ、ちょっと待って!」
ぐん、と手を引かれ慌てて水をかく。
水の抵抗の為に動きの鈍いこちらに比べて、先を行く影は水の中とは思えない程軽やかだ。
それでも見失う事なく、いくつかの通りを抜けた先で、先に佇む影を見付けた。
「行き止まりか?」
「あれ扉だよ!」
人影の背後には石造りの扉がある。どうやら扉に阻まれたらしい。慎重に距離を取りながら、そっと近付いていけば、その影は酷く小柄な事がわかった。
「あれは・・・!」
「キミ・・・!?」
ゆっくりと振り返ったのは、幾分幼くなってはいるが、憶えのある赤の瞳。
記憶の旅の中で見た、彼だ。
彼は2人を一瞥すると、何事もなかったかのように扉に手を伸ばす。
触れられた扉は淡い光を発し――――
「…何か、前にもあったよね、似たような事…」
「前は吸い込まれたからな。今度は…」
重ねた手をきつく握る。
自分たちを取り巻く水が動いた事を、はっきりと肌で感じた。
反射的に身体を引き寄せ、肩に手をかけた瞬間。
溢れ出した暴力的なまでに強烈な水の流れに、なすすべもなく巻き込まれた。
流される――――!
「相棒ッ!」
「もう一人のボク…っ!」
そこで2人の意識は途切れた。