ギャンブルの神様
関わってはまずい奴に関わってしまったのかもしれないが、それでもまたあの場面に立てば、しげるを引き上げていただろうとも思う。カイジはそう言った場面を無視できるような男ではない。
放っておけばどこかに行くかと思いきや、しげるは拾った時からカイジについて歩いた。
まるでカルガモみてえだな、と思うと妙にくすぐったいような気分になった。
そのせいか、なんだか放っておけなくなって気が付けば傍にいることを許していた。
しげると一緒にいるからと言って、特に生活を変えはしなかったが、しげるはほとんど文句を言わなかった。
自販機の釣銭口を漁り、地面との隙間を見て、時折日雇いに出たりする。ある程度の収入があれば、競馬、競輪。公営賭博の競技場での当たり馬券拾い。
しげるは目が良くて、カイジよりも格段に小銭や当たり馬券を拾うのが上手い。
次第に一緒にいるのが当たり前になっていった。
「しかし、最近のパチンコ屋ってのはケチなんだね。遊ばせてももらえないとは思わなかった」
久しぶりにまとまった額が入ってパチンコ屋に足を運んだカイジに、しげるは付いて入って遊ぼうとして断られた。子どもの遊びと目をつむってもらうには、しげるは大きかった。
「ま、ガキじゃ仕方がねえな」
不服そうなしげるは子どもらしく見えて、カイジはからかうようにしげるの髪を撫でた。白い髪は案外固くて、ガシガシしていた。
あぁ、ろくにシャンプーもできないんだもんな。
ずきり、と胸が痛んだ。
食事だってコンビニやファストフードの廃棄か、よくてジャンクフードがやっと。寝る場所も、どうにか屋根のあるところを探して身を寄せ合うだけ。
こんな育ちざかりの少年がそんな生活をしていていいわけがない。
「……お前さー……どっか行って、誰かに助けてもらえよ。そういうの、よくわかんないけど、保護してくれる施設とかあるだろ」
しげるは首を傾げる。
「どうして?」
理解できないと言いたげにしげるは言った。
「オレはあんたと一緒にいたいよ」
何のてらいもなく、臆することなくしげるは言い放つ。
「子どもにこんな生活させてるの、まずいだろ。やっぱり。学校にだって行けてないし」
カイジが言葉を淀ませ呟くように言うと、しげるは「子どもじゃなければいいの?」と聞き返してきた。
「ま、ガキとじゃいろいろ気を遣うんだよ、大人は」
さして大人でもないくせにカイジが偉そうにのたまうと、しげるは「ふうん」とわかった風に呟いた。
それからカイジは、日雇いの仕事を増やし、逆にギャンブルを減らし、小金を貯めるようになった。
安いアパートを借りられるようになったのも、あっという間のことだ。
これという目的がある時のカイジは行動が早い。
けれど、カイジは働くのに向いていなかった。日々溜息は増え、辛そうな顔をしていることが多くなった。
「仕事、止めれば? 前みたいに、野宿しながらゴミ箱漁ればいいだろ」
しげるが言うと、カイジは青い顔で口角を吊り上げて見せる。
「ガキが余計な心配するな。オレに任せておけ」
その日から、しげるの成長は目覚ましかった。
比喩的な表現ではない。
めきめきと身長は伸び、骨を覆う筋肉は分厚くなって、気が付けばほとんどカイジと変わらぬくらいの姿になっていた。
「……嘘だろ、おい」
毎日毎日、気のせいだと自分に言い聞かせながら過ごしたが、身長まで追いつかれそうになっては、カイジも認めないわけにはいかなかった。
しげるは異常な成長を見せている。
「これなら、あんたと一緒にいられる?」
薄く微笑んだしげるは、もう中学生には見えない。
咥えた煙草も指先で弄ぶビールの缶もひどく様になっていて、カイジは我知らず息を飲んだ。
「なぁ、働くのなんて好きじゃないだろ? やめちまえよ。もっとあんたには似合いの稼ぎ方がある。違うかい?」
悪魔じみたしげるの誘いは、カイジの欲望に沿っていて、ひどく甘かった。
「あんたの隣に立ってやる。さぁ、あんたが望んだ世界に行こう」
しげるは、対人ギャンブルを好んだ。カイジのようにパチスロや、競馬競輪といった、駆け引きを介さないギャンブルは好まなかった。
成長を見せてからこっちは、むしろしげるがカイジを連れ回すことの方が多かった。
特に好んだのは麻雀で、新顔をカモにしようとするような雀ゴロがいれば進んで卓についたし、容赦なくむしり取った。
勝負をするときのしげるは、金銭よりももっと何か違うものを相手から奪い取っているようにしか見えず、カイジはそんなしげるを空恐ろしい思いで眺めるしかなかった。
「……オレいらないんじゃねーの?」
勝負相手を弄んで笑う圧倒的なしげるの姿に、カイジはぽつりと呟いた。
しげるがむしり取ってきた金でパチスロに足を運び、金をすっては溜息を吐く日が増えた。
しげるが幼かった頃は、守ってやらねばならないという、重たい使命感に喘いでいたが、今はしげるの傍にいるのも恐ろしい。
今のしげるの傍にいると、自分が持ち合わせているとは思わないが、人間として何か大事なものを失いそうだ。
それが何かはわからない。
その日もしげるに連れられて雀荘を訪れたカイジは、ふっと自分の存在の頼りなさに眩暈を覚えて、ふらふらとその場を後にした。
いつだったか、遠藤が訪ねてくる前の日々では、何度も覚えのある感覚だ。
自分が何者かがわからない。何者になれるとも思えない。
何があったわけでもないのに、むやみに情けなくて泣きたくなるような気持ち。
自分が悪いことはわかっている。
真っ当な人生を歩んでこなかった自分だから、こんな風にまともに生きられないし、毎日が不安定で不安なのだ。
道行く人々は、日々を積み重ねて今日を生きている。
積み上げるべきものを投げ捨てて、今日をきちんと生きてこなかった自分が、未来が見えないなどと嘆くのは余りにも厚かましい。
急に胃が重たくなって吐きそうになる。
すがりつくものが欲しい。
どうにかして、路地の壁にへたり込んでいると、近づいてくる足が見えた。
「どうしたの、カイジさん」
「不安なんだ」
カイジは吐き出した。
「このままでいられるわけがない。多分働かなきゃいけない。そんなことはオレだってわかってる。でも……でも……」
世間がオレを受け入れてくれないかもしれない。きっと受け入れてくれないだろう。こんなクズみたいなオレのままじゃ。
誰かに支えてもらわなきゃ、立って歩くこともできる気がしない。
「……はは、そんなこと、お前に言うべきじゃないな」
カイジは顔を歪めて、しげるに謝罪した。
「どうして?」
「だって、他人に縋られたって困るだろう? ましてオレの方が年上なのに、情けないこと言ってごめん」
父親がいたら相談とかできたのかな、と呟いたのには、なんの他意もなかった。
母子家庭に育ったカイジには、父親という存在に対する憧れがあった。
母親には男の矜持として頼りきれない部分もあるけれど、それが父親であるならば、黙って酒を酌み交わして支えてくれるのではないか、などという、絵にかいたような憧れが。
その日からみるみるしげるは老けていった。