東方『神身伝』
「そうかそうか、じゃあ上に話しとくから明日にでも必要な物とか伝えるよ。
んで準備が整いしだい本社に一緒に行こう。」
「はい、よろしくお願いします。」
冬馬は深々と頭を下げる。
子供のように歓喜の声を上げたい気持ちを押さえながら、冷静に振る舞い洗い物の続きを始める。
それからは、忙しくなることはなく、閉店の時間までゆっくりと時間はながれていった。
「よしっと、おわり。」
床にモップをかけて、テーブルの上に上げていた椅子を全て下ろし、店内の片付けは全て終了した。
「ご苦労様、今日は本当に助かったよ。」
「いえいえ、じゃあ僕も上がりますね。」
「うん、お疲れさま。じゃあ、明日に詳しい話をするから宜しくね。」
「はい。」
元気に返事を返し、スタッフルームに入りそそくさと着替えを済ませ帰る準備をする、ふと携帯を見ると夜の9時を表示していた。
「さてさて、帰ってから直ぐに寝ないと。確か明日は朝からバイトだったからな。」
そんな事を言いながら、いそいそと店を出て自転車を走らせる。
「……琴美はかえったかな。」
帰りながら、琴美の事を思い出していた。
あの後ちゃんと帰れたかどうか電話で確認しようと思ったが、別段、急いで確認することも無いだろうと判断した冬馬は、取り出そうとした携帯電話を、再びポケットの中にしまい込んだ。第一章 『出会い』
家を出る間際に書いたメモ帳には、『帰るなら、鍵はポストに入れといてくれ』と書いた。
鍵は置いて出てきたし合鍵は俺が持ってる、だからそんなに心配することもないだろうと思ったからだ。
考えるのを止めた冬馬は、自転車のペダルを力一杯踏み込み家路を急いだ。
帰り道は、家に近づくにつれて静けさが増していく。
駅周辺は栄えてはいるが、少し外れてしまえば民家やマンションが並ぶ閑静な住宅街になる。
何時も通っている帰り道を、何時もより少し早い速度で自転車を走らせる。
日中などは、子供や買い物に行く人などでそれなりに人通りも多いのだが、夜の9時を回ってしまうと殆ど人影は無い。
そんな静けさの漂う中、帰り道の途中にある小さな公園に差し掛かったときだ。
ピシイ・・・・・・・・ドサ。
何かに亀裂が入るような聞きなれない音が鳴り響き、それと同時に何かが茂みの中に落ちるが目に入った。
「ん?なんだ」
キイイイ
「んん〜、思わず止まってしまったが触らぬ神になんとやらかなぁ〜。しかし……怪我人でも居たら……。ああああ、もうっ。」
暫く悩んだあげく、一様確認する事にした。
頭を掻きながら面倒臭そうに公園の入り口に向かう。彼は何だかんだ文句を口にはするが、基本的に自分の事以外を優先して行動してしまう。
言わば「お人好し」なのだ。
その公園は小さいと言っても滑り台やブランコなど遊具はしっかりと揃っていて、周りには背の高い木が、公園を囲むように生えている。
その木々が並ぶ場所には、何ヶ所か草木が高く生い茂った場所がある。
冬馬が公園の入り口に自転車を止めて中を見渡すと、その草木が生い茂っている一ヶ所で、淡い光がぼんやりと灯っているのが目に入った。
「何だ?」
正体不明の光を、少し警戒しながらもゆっくりと近づいて行き、生い茂る草木の裏側を覗き込んだ。
そこには、白銀と言っても差し支えが無い程に白く、光沢の有る綺麗な毛並みをした一匹の狼が倒れていた。
淡い光は、その狼から直接放たれていて、何か幻想的な物を思わせる。
「犬?いや狼犬?ハスキーか何か?でも大きいな、それに何で光ってんだ?」
ぶつくさ呟きながら考察していたが、一瞬にして思考が止まる。
よく見ると、狼は後ろ足から大量の出血をしていて、その綺麗な白い毛の一部が、真っ赤に染まっていたのだ。
「怪我?」
狼から出ている血は、横たわっている地面すら真っ赤に染めていた。
「おいおい、洒落になってないんじゃないか。」
傷を確認した彼の顔から血の気が引く。
狼の後ろ足は、右側が完全に根元から千切れていたのだ。
よく見れば見るほどにその出血の酷さが解ってくる、誰の目から見ても、このままでは命に関わる程の出血だ。
息はしているが、見るからに弱々しく、眠るように意識を失っている。
「ととと、取り敢えず、何か止血するもの。」
現状に焦りながらも、一番にやらなければ事を成すために、周りに目を向ける。
しかし周りには止血の役にたちそうな物は無い、それどころか、夜の人通りの少ない場所では助けすら求められない。
「……っく、仕方がない。」
悩みに悩んだ末、上着を脱ぎ中に着ているシャツを歯で裂いて、それを包帯の代わりにして、狼の足の根元を縛り止血した。
「ぐぅ………。」
不意に唸り声の様な声が聞こえる。
「ん?うわ。」
声のした方をみると、狼がいつの間にか意識を取り戻しこちらを見つめていたのだ。
『噛まれる、もしくわ食われる。』そんな思考が浮かんだ冬馬は、咄嗟に身構えてしまうが、狼の瞳からは不思議とそういった恐怖は感じなかった。
むしろ、その瞳は吸い込まれてしまうと思うぐらい綺麗で、その表情は優しさに満ちているようにさえみえた。
何故かは分からない。
だが、冬馬は暫くその瞳から視線を逸らす事が出来ずにいた。
そして、口を開く。
「大丈夫、絶対に助けるから。」
言葉なんて通じない。解っていても自然と口にしていた。
応急措置の続きに戻った冬馬は、最後に傷口を覆う様にして上着で狼の後ろ足を縛り応急措置を終えた。
「よ、よし、取り敢えず後は誰かに助けを。」
現状で出来ることをやった彼は、次に何処かの民家に助けを求めようと周りを見渡す。
「あ…が…とう。」
「ん?」
そんな彼の頭の中に、弱々しいが若い青年の声が確かに響いた。
「助かりました。」
今度は、はっきりとした言葉が頭に鳴り響く。
その言葉は耳で聴き取っていると言うより、頭のなかに強制的に言葉が浮かぶような感覚だ。
「なんだ?頭の中に声が。」
頭のなかに自分ではない何かが居るような、妙な感覚にとらわれる。
周りに誰かが居て変なしゃべり方でもしているのかもしれない。そう思い周りを見渡すが先程から辺りに人の気配はない。
「ど、どうなってんだ。」
訳が分からない冬馬は、その事に恐怖を覚える。
取り敢えず頭に感じる妙な感覚を振り払う為に、試しに頭を横に振ってみる。
「あ、あの大丈夫ですか。」
そこに、追い打ちを掛けるように再び頭に声が響く。
「誰だよ!」
得体の知れない声への恐怖から、冬馬は少しだけ声を荒くして叫び、再び周りを見渡す。
「ん?」
その時に、ふと目の前に横たわる狼の姿が目に入る。
狼は上半身をお越して、先程と同じようにこちらを見つめているが、その額が蒼白く光を放っているのが目に入った。
「あの〜、本当に大丈夫です?」
狼が心配そうな面持ちでこちらを見つめてくる。
そして、それと同時に頭の中に言葉が響く。
「まさか、お、お前が言葉を?」
彼は信じられないといった表情で狼に指を刺して質問する。
「え?は、はい、そうですが。」
その問いに答えるように再び言葉が頭に響く。
「お、おお狼が喋った。」