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　……バカだった。

　ワンダー・ウィーク最終日の今朝。銀くんから珍しくメールが届いた。というより彼と知り合ってからはじめてじゃないかしら。
　文面は
「今日の放課後、社会科資料室に来てくれませんか？」という素っ気ない内容。用件も何も書いていない。
　何の用かしら？と訝しむ。昨日の空の提案に同意したことを後悔しているとかそういう話しなのかもしれない。などと考える。
　例の約束もした直後には忘れてしまっていた。次の土曜日から強烈な事件が立て続けに起きていたから当の空も忘れていたと思う。
　社会科資料室のドアを開けるとすでに銀くんがいた。椅子を二脚、部屋の中央に引っ張り出して相対するように並べている最中だった。
「すみません、お忙しいのに」
　私の姿を見て頭を下げてくる。
「昨日は大変だったわね」
　まるで他人事のように声をかける。たしかに空の企みに直接手を貸してはいないけど、武人くんや銀くんの思惑を推測したり、空の考えにいくらかの修正を提案したりしているから、まったくの無関係ではない。
「はい、まいりました」
　銀くんは笑って応える。少なくとも昨日の件に関して後悔している様子はなさそうだ。
「それで何の用かしら？」
　銀くんが並べた椅子の一脚に座りながら問いかける。彼ももう一脚に座ってくる。ひとつ深呼吸をしておもむろに口を開く。
「明日香さん、埋火先輩の家で合宿をした時、空さんと一緒にお風呂に入りましたよね」
　この瞬間、忘れていた空との約束を思い出した。でも、まさかね……。
「それで……あの、こういうことを聞くのはどうかと思うんですが、その時ってどんな様子だったんですか」
　間違いなさそうだ。
「様子って？」
　私はとぼけて問い返す。ちょっと楽しい。
「えっと……はっきり言うと空さんの裸ってどんな感じなのか話してほしいんです」
　意外とストレートに返してきた。それでもやはり恥ずかしいのか顔を赤らめて俯いて目を合わせない。
　ビブリオバトルでテンパるのも見ていて面白いが、こういうのも面白い。自分のしていることが胸の張れることじゃないという自覚はあるのね。
「……そんなの空に見せてもらえば済むじゃない。あなたたち恋人同士なんだから」
　空との約束は伏せて、以前彼女に言ったことをそのまま告げてみる。
　彼はしばらく黙ったままボソリとつぶやいた。
「……もう、僕だけの空さんじゃありませんから」
　昨日の空の企みで彼女を独占することができなくなったからね。空の裸を武人くんと仲良く見るっていうのは理想だけど現実には難しいでしょうね。
　だからといってそれを私に尋ねていい理由にはならないけど。
「私に聞くことを空は知ってるの？」
　椅子に座ってからはじめて彼は私の方を向いた。そしてゆっくり首を横に振る。
「今日は埋火先輩の家にＳＦを借りに行ってるはずですから、今日だったら空さんはこの部屋に来ることはないと思ったんです」
　つまり知らせるつもりはないってことね。
　私は両手を組んで膝の上に乗せておもむろに口を開いた。
「一人の女性として、そしてＢＩＳの先輩として言っておかなくちゃいけないと思うから言うけど、あなたのやっていることは間違いなくセクハラよ」
　私はゆっくりと説く。
「私に対してはもちろんだけど、空に対してもそう。恋人がこんなことを別の女の子に聞いてると知ったら決していい気持ちにはならないでしょうね。
　あなたの言う『自分だけの空じゃない』っていうのは、たしかにその通りだけど、それをあなたは了承したはずよ。誰も傷つけないために空の案を飲んだんだからここで空を傷つけるかもしれない行為をするのは彼女に対する裏切りじゃないかしら？」
　銀くんは俯いて返事ができない。こんなことを言われなくてもわかっているはずだろうけど、どうしても聞かずにはいられなかったんでしょうね。
　私はカバンからｉＰａｄを取り出してタイマーを起動させる。ビブリオバトルの実演の時は部長の安土聡《あづちさとる》のｉＰａｄを使うけど、私も練習の時は自前のｉＰａｄのタイマーを使う。だから、タイマーはビブリオバトルの持ち時間の五分間に常にセットしてある。
　お説教はここまで。
「もっとも空と私が了承すれば問題はないけどね」
　銀くんがこちらを見る。
「空から頼まれてるのよ。もし、銀くんが合宿の時のお風呂の様子を聞きたがっていたら教えてあげてほしいって。まだ、あなただけが空の恋人だった時の話しだけど、たぶん今でも有効な約束のはずよ」
　銀くんの目の焦点がこちらに合わなくなってる。頬を赤く染め、口元が少しにやついてる。どうやら彼女に惚れなおしてるみたいね。
「私もその約束を引き受けたから話してあげるのは問題ない。ただ、私も明日の文化祭のビブリオバトルの練習ために時間を使いたいから、そんなに時間は取れないわ」
「僕もダンスのレッスンがあるので、そんなに時間はないです」
「だったら別の日にする？」
　銀くんは首を横に振る。
「いえ、今知りたいです」
　私は首肯する。ｉＰａｄを持ち直し指を「開始」ボタンのそばによせる。ふと思いついて
「……ねえ、例の掛け声かけた方がいいと思う？」と言ってみる。
　彼は一瞬考えた後
「『ビブリオバトル、ＧＯ！』ですか？」と聡の口調を真似して答える。
　私は頷いて
「私、あれ嫌いなのよね。あんなパフォーマンス、意味があると思えないんだけど」と愚痴ってみる。
「その割に律儀にやってますよね」
　私はうんざりした顔をして
「ルールが決まると守らずにいられないのよ」と返した。
　銀くんは笑いながら
「これはビブリオバトルじゃないから言わなくていいんじゃないですか。今日はそういうルールで」と言ってくれた。
　それを聞いて安心した。さて、では始めましょうか。銀くんが唾きを飲む音が聞こえた気がした。
　さあ、覚悟しなさい。作家志望の過去を持ち、ビブリオバトルで鍛えた表現力と観察力を駆使して、あなたの愛する伏木空の裸体の素晴らしさを余すところなく伝えてあげようじゃない。
　右手の中指がタイマーアプリの「開始」ボタンをタップする……。