赦される日 - Final Episode 2 -
新年からロジェストヴォ、そして旧新年にかけての2週間は、ロシア人にとってはほとんど大型連休のようなものである。まともに働く者はほとんどおらず、したがって職場はどこも開店休業で、家族や友人知人が集まっては飲んだり食べたりの宴会が始まるのだ。マーシャの家にも村人たちが入れ替わり立ち替わりやってきては、賑やかに談笑を始め、そのたびに何かしら食べ物を出したりするので、マーシャは大忙しだった。もともと世話好きな性格だから、そういう忙しさは苦ではないが、マクシモヴィチの所へ行く時間は取れそうになかった。
もちろん、こうした新年の忙しさは例年のことだ。だからマーシャは12月の終わりに、年明けの2週間は普段通りに来られないだろうと、マクシモヴィチに伝えてあった。老人の方も、それがどういう時期かは百も承知しているらしく、マーシャが理由を言う前に「分かってるよ」と答えたのだった。
そんなわけでマーシャは、しばらく彼のイズバには行かないつもりでいたのだが、1月4日の朝、弟のヴァロージャから、ロジェストヴォを一緒に祝うつもりでマーシャを訪ねるという連絡が入り、その日の夕方にはレーナやアリョーシャを連れてやって来たのだった。伯母の家に到着するなり、アリョーシャは早速ジェードゥシカ・サーシャに会いに行きたいと言い出した。
「僕ひとりで行けるよ。ジェードゥシカだって、この前そう言ってたじゃないか」
アリョーシャは平気な顔でそう言うが、夏とは違って今では深い雪道である。除雪され、踏み固められた街中の雪道しか知らない子供を、ひとりで行かせるわけにはいかない。だがヴァロージャは、初めて訪ねて行った時に気難しげな応対に遭っているので行きたがらず、マクシモヴィチには会ってもいないレーナはなおさらだった。
「じゃあ、明日の午後、伯母ちゃんと一緒に行ってみようか」
いくら忙しいと言っても、午後に2〜3時間の外出ができないほどではないし、客に菓子を出すぐらいはレーナが代わりにやってくれるだろう。マーシャとしても、ちょっと様子を見に訪ねて行きたい気分はあったので、アリョーシャの訪問はいい口実だった。
マーシャがそう言うと、少年は「うん!」と嬉しそうに頷いたのだった。
翌日の午後2時すぎ、マーシャはアリョーシャを連れてマクシモヴィチのイズバへ出かけた。数年前まで下の息子のジェーニャが使っていたスキーをアリョーシャに履かせ、自分の前を歩かせた。アリョーシャがスキーに慣れていないので、いつもより少し時間がかかったが、それでも村のはずれから半時間ほど歩いたところで老人のイズバが見えてきた。その途端、マーシャはちょっと不安になった。というのも、イズバの前に黒塗りのメルセデスがうずくまっていたからだ。
村からここに至る道には車のタイヤ跡などなかったから、おそらくヤロスラヴリ街道から間道に逸れて森の縁をぐるりと回って来たのだろう。村を通るのを避けたのかも知れなかった。
もしかして、まずい所へ来ちゃったかしらね…
過去の経歴については、マクシモヴィチは固く口を閉ざしている。そしてモスクワナンバーの黒塗りの高級車は、その前歴に関係があるように思われた。別に詮索するつもりで訪ねてきたわけではないが、何やら覗き見をするような居心地の悪さを感じて、マーシャはこのまま訪ねて行っても良いものかと躊躇った。
しかし幼いアリョーシャの方は、無理からぬことではあるが一向に頓着せず、マーシャが注意する間もなく無邪気な歓声をはりあげた。
「チョーチャ・マーシャ! 見てよ、すごい車が止まってる! ジェードゥシカ・サーシャの知り合いなのかなあ」
少年の高い声はよく通る。きっとイズバの方まで聞こえたに違いない。もう今さら引き返しても仕方がない。名前まで呼ばれてしまっては、自分が一緒にいることもバレバレだ。そんな事を考えている間にも、アリョーシャはずんずん歩いていく。マーシャはもう肚を決め、少年の後に続いた。
雪の前庭に、マクシモヴィチが立っているのが見えた。そのすぐ傍には、いかにも上品な感じの小柄な老紳士の姿も見えた。おそらく黒塗りの車の主だろう。
「あっ、ジェードゥシカ・サーシャ!」
少年が大声で呼ぶと、マクシモヴィチは振り向いて、少し驚いたような顔をした。
「おや、君だったのか」
それから少年の後ろにいるマーシャに目を向けた。
「やあ、あんたも来たのかね。しばらく来ないだろうと思っていたが」
そう言った声にも、表情にも、特に不愉快そうな様子はなかった。
「いえね、この子が久しぶりにお会いしたいって言うもんだから、あたしも新年のお祝いぐらい言おうと思ってついて来ちゃったんです。でも、お客様がいらしてるんならお邪魔でしょうから、また明日にでも出直しますよ」
「なに、それには及びませんよ」
そう答えたのはマクシモヴィチではなく、一緒にいる老紳士の方だった。にこやかな笑みを浮かべた、見るからに温厚で人当たりの良さそうな老人だった。お世辞にも愛想がよいとは言えないマクシモヴィチとは対照的だ。
「私はもう帰るところだし、せっかくここまで来て、引き返すこともありますまい」
そう言われてみれば、メルセデスはエンジンのかかった状態で、後部ドアの横には運転手と思しき人物が、いつでもドアを開けられるように控えていた。老紳士はマクシモヴィチの方に向き直って言った。
「それじゃ、私はこれで失礼するよ。君の方も次の客人が見えたようだし、ここでぐずぐず立ち話をしていると、私の運転手が風邪をひいてしまうからね」
「久しぶりに勝負ができて楽しかったですよ、ペトロヴィチ」
マクシモヴィチがそう言うと、老紳士はおどけたように肩をすくめた。
「そりゃ君は楽しかろう。いつだって君の勝ちなんだ。私の方はいいカモだよ」
「あなたが手加減するなと言ったんでしょう」
「そうとも。君に勝ったら、花火を打ち上げてやろうと思ってるんだ。手加減されちゃ意味がない。次はもっと勉強してくるよ」
老紳士はそう言って笑うと、門を出てメルセデスに歩み寄った。運転手がすかさずドアを開け、老紳士が乗り込むのを待ってドアを閉めると、車の後ろを回り込んで自分も運転席に収まった。
車が高性能のスノータイヤの轍を残して行ってしまうと、マクシモヴィチは改めてアリョーシャとマーシャの方に向き直って言った。
「さて。わざわざ訪ねて来てくれたのだ。まずは中に入りたまえ」
「あの人、知り合いなの?」
門を入りながら、アリョーシャは訊いた。
「あんな車で来るなんて、すごいね。もしかして偉い人?」
「さあ。偉い人かどうかは知らないが、私の古くからの友人だ。良いチェスの相手だよ」
「チェス、強いの? いつもジェードゥシカ・サーシャの勝ちだって言ってたね」
「そうだな、これだけは負けたことがないよ」
作品名:赦される日 - Final Episode 2 - 作家名:Angie