景琰と林殊
小春は鯉の餌を取りに行って、池に帰って来たら、景琰と林殊の姿が消えていたのだ。
池には林殊付きの乳母だけが残され、池での顛末を話してくれた。
小春は、二人はきっと御花園にいるとふんで、御花園の周りでずっと出てくるのを待っていたのだ。
「小殊が、、小殊が、、、。」
もう泣きそうな景琰の顔と声、、。
只事ではないのを察して、小春は景琰を力付けるように頷いた。
景琰から林殊を受け取り抱き上げると、景琰よりも先に立ち、小走りにシ羅宮へと向かって行った。
後から景琰が、続いて走って行く。
シ羅宮に着き、事情を聞いた静嬪が林殊を診ようとしていた。
ぐったりとした林殊が寝かされ、静嬪が林殊の脈を診ていた。
しばらく緊張した時間が流れる。
景琰も官女も、気が気では無かった。
静嬪が、ふっと微笑み、景琰の方を向いた。
「大丈夫、頭は打っていないようだわ。」
幾らか安心して、景琰の顔が緩む。
「どうして小殊は、目が覚めないの??病気??。」
静嬪は少し笑いを殺すように言った。
「小殊は、眠っているだけみたいね。どこも何とも無いようよ。」
「ええ───っ、、、、、眠ってる、、。」
景琰は小春と並んで立っていたが、力が抜けて、二人床に座りこんでしまった。
「寝てるだけなんだ、、、、。」
「ふう────、良かった、、、。」
「でも、念の為、暫く寝かせておいた方が良いわ。」
詳しく知るこの小春が、その旨を林殊の母親の晋陽公主に知らせに行った。
「なぁんだ、、、寝てたんだ。」
「ビックリしちゃった。」
景琰に笑いが込み上げる。
━━━そうだ、そう言えば途中で欠伸してたんだ。
太皇太后や皇后の所にも、一緒に挨拶に行ったって言ってた。
小殊は、くたくただったのかも、、。━━━
まぁるい頬を指で突こうが、話しかけようが、揺すり起こそうが、体のどこを動かそうが、全く起きる気配がなく、されるがままの状態で熟睡している。
本当に、子供の景琰から見ても、無邪気そのもの、
━━━可愛らしい。━━━
その一言に尽きた。
「大変だったわね。」
静嬪が微笑んで景琰の頭を撫でた。
血の繋がった弟はいても、こんなに懐く事はなく、林殊程、可愛いとは思えなかった。
祁王の様な兄になった気がして、大きくなった気がして、何だか幸せだった。
林殊とでなければ、こんな気持ちにもなれないのだ。
小春は、林殊の母親に会い言伝を貰い帰って来た。
林殊の母親は、事情を良く理解し、皇后に牡丹の件を謝罪して、林府に戻るそうで、我が子林殊は、時間を見計らい迎えに来るという事だった。
対応が早かったお陰で、御花園に忍び込み、花を折った事はそれ程の騒ぎにはならなかった。
正直、林殊のこの手の問題は、初めての事では無い。
皇宮に来れば、必ず何らかの騒ぎを起こす林殊。
だが、皇后も夫の妹の子供がしたことと、大らかな対応を受けて、不問にされた。
林殊の様な小さい子を本気で叱り、罰を与えれば、皇后の度量が小さくなってしまう。その辺は、皇后も心得ていた。
皇后への謝罪が済むと、大急ぎで林殊の元にかけつけた。
晋陽公主はシ羅宮に飛び込む様に入ってきた。
林殊の姿をその目にし、静嬪から具合を聞いて、晋陽はほっと一安心をした。
晋陽は、静嬪の医女という過去に、どうしても静嬪を下に見ずには居られなかったのだが、夫 林燮の妹、楽陽が祁王を出産した折、見事に原因を突き止めて改善させたのを知り、そして静嬪が善良でもある事から、信頼を置くようにはなった。
静嬪が、頭を打ってはいないようだが、念の為、一晩様子を見させてはもらえないかと提案をした。
晋陽は幾らか悩み、お願いをすると返した。
晋陽は、せめて林殊が目覚めてから帰ろうと待っていたのだが、中々目覚める様子もなく、ぐっすりと眠っている。
いつもこうなのだと、散々動き回った後は、糸人形の糸が切れたように、ぷっつりと眠って、どう起こしても目覚めないのだと、晋陽はそう語った。
「驚いたでしょう、景琰。悪かったわね。」
晋陽は景琰の頭を撫でた。
晋陽は景琰を決して、「靖王」とか「殿下」とは呼ばなかった。
可愛い甥に親しみを込めて「景琰」と呼ぶのか、それとも医女の息子を敬称で呼ぶことが出来ないのかは、よくわからない。
シ羅宮で茶を頂くが、二服目を干すと、翌日迎えを寄越すことにして、諦めて帰ることにした。
夕刻も近づき、涼しくなりだした頃に、ようやく林殊の目は覚めた。
幾らか人を巻き込み、母親を青くさせた牡丹だった。
牡丹は特別に林殊に与えられたが、やはり林殊は花などどうでもいいようで、目が覚めてからは見向きもしなかった。
ただ、咲いていたから、綺麗だったから、折ったようだった。
静嬪が、花は折らずに見るものだと諭したが、果たしてどこまで届いているのか、、、、。
シ羅宮での夕餉も済む。
食後はシ羅宮の庭先に出たり、官女と遊んだり、景琰が書を読むのを邪魔したり、それを景琰が追いかけたりと、中々賑やかな夜で笑い声が絶えなかった。
散々寝たので、中々眠くはならない林殊だった。
そのうち、雨まで降ってきた。
林殊は外に出て、雨に当たりたがったが、静嬪から強く諌められて、言うことを聞いた。
林殊の様子からは、頭を打ったような兆候は見られず、もう、心配は無いと思っていたが、さすがに雨には当てたく無かった。
夜も進み、床に着く時間になり。
景琰の部屋に、林殊用に寝台が用意された。
林殊は、まだ遊んでいたいようだったが、景琰に「私は、寝る」と言われ、渋々自分も寝台に行き、床に入った。
だが、景琰の玩具を布団の中に持ち込んで、一人で暫く遊んでいた。
どの位経ったのか、景琰が気が付いたら、林殊が玩具で遊ぶ声も音も聞こえなくなり、うつ伏せになって玩具を手にしたまま眠ってしまっていた。
少し口を開けて、無邪気に眠っている。
そんな姿が何だか微笑ましく、景琰から笑みが零れる。
色々あったけれど、幸せな気分で眠れそうだった。
夜半雨が強くなる。
景琰は目が覚める。
雨のせいでは無かった。
林殊が景琰の布団の中に入ってきたのだ。
何だか震えているようだった。
「どうしたの?。」
「、、、カミナリ、、、。」
林殊は小声で言った。
次の瞬間、辺りがカッと明るくなり、少し間を置いて、ドーンと鳴り響いた。
言葉も無く、林殊は景琰にぎゅっとしがみついた。
「雷、怖いの??。」
「、、、ホントは怖くないよ。」
林殊は、見え見えの嘘をついてみせる。
「景琰、、カミナリ、へいきなの?。」
「うん、なんとも無いよ。」
林殊には、笑ってる景琰が、まるで兄のように逞しく思えた。
「wwwwww、、、。」
また、雷光が光り、林殊の腕に力が入った。
頑張って声を出さない様にしているのが、何とも健気だ。
━━━きっとすぐに、雷は収まる。━━━
暫く、こうしていてあげよう、、景琰はそう思った。
二度三度、雷が鳴り、その度に林殊はしがみつく。
━━━雷を怖がってた、、、なんて明日の朝、林殊に言っても、絶対認めないんだろうなぁ、、、。━━━
その時、雷光に照らされて、窓に人影が現れた。
景琰はドキリとして、腕に力が入った。
「どうしたの?景琰。、、カミナリ、こわいの??」