景琰と林殊
じっと見つめる景琰の視線の先を追って、林殊も同じ窓を見た。
するとまた雷光に照らされた人影が現れる。
「誰だろう、夜はここには官女は居ないんだ、、。それにあの影、髪も上げてない、、、。」
「、、、ゆ、、、幽霊、、?。」
後宮に幽霊は付き物だが、、、。
何度か雷光に照らされ、人影は段々と入口に近付いてくるのがわかる。
遂に影は景琰の部屋の扉の前まで来たのだ。
雷の怖さと、幽霊の怖さと、林殊はもうどうしていいか分からずに、景琰の腕の中で、両手で耳を塞ぎ、力一杯縮こまり、固まっていた。
景琰も怖さに体に力が入り、だが、林殊は守らねばならないという一心で林殊を抱きしめていた。
もう、幽霊を見続けてはいられない。景琰は布団を頭から被った。
部屋の扉がそろりそろりと、ゆっくりと開いてゆく。
髪も上げぬ女の幽霊が、何となく徐々に、こちらに近づいてくるのが分かるのだ。
次第に二人の寝台に近付き、幽霊は布団に手をかけた。
「きゃ─────。」
「嫌だ──やめろ───あっち行け───!!。」
ばたばたと二人、布団の中で暴れていた。
「きゃーきゃーきゃーきゃー。」
「わぁーわぁーわぁーわぁー。」
すると幽霊は布団を剥がそうとするのだ。
「殿下!!殿下!!林殊様!!!。」
「落ち着いて下さい、私です。小春ですよ!!小春!。」
景琰の動きがおさまった。
「、、小春、、、?。」
布団から出て、幽霊の姿を見れば、景琰付きの官女の小春だった。
「もう、、雷が鳴って、林殊様が怖がってるかと思って、様子を見に来たんですよ。」
林殊も恐る恐る目を開けて見た。
「ゆうれいじゃなかったね。」
「え〜〜〜、幽霊が来たと思ったんですか?。
支度もしないで急いで来たのに〜。」
あまりの呆気なさに、緊張が解けたのと、正体が小春だったのと、その小春の濡れ鼠ぶりに、笑いが込み上げ、景琰は笑い出してしまった。つられて林殊も笑い出す。
「もー、笑うなんて酷いですよ!殿下。」
そう言う小春も笑い出していた。
三人がひとしきり笑い終わると、景琰は小春に部屋の何かで、体を拭くように言った。
小春は遠慮なく何かを取りに部屋の隅に行き、頭を拭きながら景琰達の元に帰ってきた。
この部屋の物全ては、小春が取り仕切っているのだ。
「あ〜〜〜、あの〜、綺麗なのを後でお返ししますね。」
本来、皇子の物を官女が使うなど許されないのだが、小春には何故か許せる。
気も利き、心に裏腹がない。こうしていて土砂降りの雷鳴の中を、景琰と林殊の為に必死で駆けてきてくれるのだ。
シ羅宮に宛てがわれた官女は、他の嬪宮より遥かに少ない。
その中でも、一番に信頼の置ける小春を、静嬪は景琰付きにしたのだ。
「雷も雨も、収まってきましたね。大丈夫みたいなので、失礼します。」
小春が礼をして、去りかけた時、林殊が口を開いた。
「小春!なにかお話をして!。」
林殊がせがんだ。何だか興奮してしまって、眠れなくなってしまいそうだ。
景琰もうんうんと、頷いた。
小春は話も上手い。聞いている者を飽きさせない。
「じゃあ、何にしましょうか。」
小春は暫く考えていたが。
「狐の話をしましょう。」
「一つだけお話をしますから、そうしたら、眠って下さいね。」
景琰も林殊も喜んで、ニコニコと寝台の上に仰向けになった。
小春は寝台の傍らに座り、ゆっくりと話し始めた。
千年生きた、仙狐の話だった。
悪い仙狐が、良い仙狐をたぶらかしに来るのだ。
そして良い仙狐は、知恵を使って悪い仙狐を退治するのだ。
林殊はもう、眠くて眠くて仕方が無いようだ。
話の顛末もとても気になり、、小春が終わりまで話すと、待っていた様にそのまま目を瞑り眠ってしまった。
小春は、林殊と景琰の布団を直し、気持ち良く寝られるようにした。
「あ〜〜、、あの、、、殿下。」
神妙に小春は頼み事をした。
「今度遊ばれる時は、私を置いて行かないで下さいね。
殿下のお世話をちゃんとしないと、偉くて怖いオバサンに怒られちゃいますから。
罰なんて怖くないですけど、シ羅宮から別の嬪宮に移された、私、、、寂しくて寂しくて、、、、。」
事実、こんなに自由な嬪宮はないのだ。
邪なことを考えぬ限り、シ羅宮では精一杯、仕えさせてくれるのだ。
官女仲間からは、他の嬪宮の酷さを聞かされていた。
官女同士の足の引っ張り合い、妃嬪の八つ当たりなど、、、。
小春は、シ羅宮以外に移されたら、きっと生きていけない、そう本気で思っていた。
「うん。
もう下がって良いよ。」
景琰はにこりと笑う。
小春も笑顔を返して、立ち上がり礼をして、足音をさせないようにそろりそろりと部屋を出ていった。
何だか景琰も眠かった。林殊の寝息が心地良いのだ。
景琰はそのまま抵抗せずに眠りにおちた。
翌朝は昨夜の雨が嘘の様に晴れ渡り、清々しかった。
朝餉をシ羅宮で三人で済ませ、林殊はシ羅宮で迎えを待っていた。
朝餉から二刻ほど過ぎて、林府から迎えが来たと、太監から知らせを受ける。
間もなく着くだろうと、静嬪は二人が遊んでいる裏庭に、官女を迎えにやる。
幾らかして、林殊の母、晋陽の一行がシ羅宮に現れる。
静嬪と晋陽はひと通りの挨拶を交わし、静嬪が林殊のあれからの様子がいつもと変わりなく、大丈夫だろうと告げられると、ほっと安心をした。
裏庭から、景琰と林殊が小春に連れられて来る。
二人の様子が、何だかおかしい事に静嬪は気が付いた。
二人とも離れて歩き、互いを無視しているように見えた。
林殊は晋陽の姿を見ると、嬉しそうに晋陽に駆け寄って抱きついた。
「いい子にしていたの?。」
晋陽が聞くと、うんうんと林殊は何度も頷いた。
一行はシ羅宮を去る。
静嬪と景琰が見送るが、景琰は下を向いて、顔を上げようともしなかった。
林殊は乳母に、手を引かれて歩いている
林殊もまるで、景琰を無視するように振り返りもしなかった。
いつもとは違う、二人の関係。
ケンカでもしたのだろうか、、。
いつもはこんな風に長引くことはないのに、何があったのだろう。
もう、あの道を曲がってしまえば姿が見えなくなってしまうのだ。
突然、歩いていた林殊が立ち止まり、振り返った。
「け────いえ────ん。」
こちらを向いて手を振って、大きな声で景琰を呼んでいる。
「け───いえ───ん、さよなら───、またくるね──。」
景琰はそれを聞くと、静嬪の陰に隠れてしまった。
「け──いえ──ん、またね────またね────。」
林殊は景琰に手を振って欲しいのだ。
ずっと名を呼び続けて手を振っている。
だが、当の景琰は頑なで、静嬪の前に出ようともしなかった。
そのうち、林殊の乳母が林殊を抱き上げ、歩き出す、その間も林殊はシ羅宮の方を見て、必死で景琰の名を呼んでいる。
やがて一行の姿は見えなくなった。
林殊が景琰を呼ぶ声だけが聞こえ、、暫くすると小さくなって聞こえなくなった。
その間、景琰はじっと陰に隠れて下を向いていたのだ。
林殊にこんな態度を取るのは、景琰には珍しい事だった。
「何かあったの?。」
景琰の手には、小刀が握られている。
この小刀は、先日、兄 祁王から貰ったものだった。