リハビリトライアル Ⅱ
――何か、隠し事をしている。
それは直感でしかなかったが、触れた肌が僅かに熱を帯びたことは事実である。慶次は焦っているのか、それとも、。
政宗は暫し慶次の髪から漂う匂いを嗅いでいたが、それは酷く弱い匂いだ。何処かで嗅いだ記憶はあるのだが、と呟いた時、ふと思い出した。
何かが焼けたような、香ばしいようなにおい。
――火薬のにおい。
そしてそれに僅か混じるのは、。
「‥‥おまえ、鉄砲使ったのか?」
あり得ないと知りつつ呟いた言葉に、慶次の身体が目に見えて強張る。何か後ろめたいことがあるのだろうと気付き、政宗はにぃと唇の端を釣り上げた。
「おまえ、何か隠してるだろ」
「べ、別に何も」
「じゃあ、何で火薬の匂いと香の匂いが混ざってんだよ」
「‥‥‥‥!」
政宗が凶悪な笑みに唇を歪めながら言い放った言葉に、慶次は目に見えて硬直した。先刻までの余裕は何処へやら、政宗の身体を拘束していた腕をぱっと解くやざざっと二、三歩を後ずさる。その動きの速さに図星じゃねぇかと一人ごち、政宗は顔面蒼白になった慶次へとにじり寄った。
「どーこーで、女と逢引しやがったのかなァ」
「ちょ、違う! 誤解だって、」
「嗚呼、そういやおまえの髪、ひと房千切れてンなァ。‥‥むしられたか? 女に」
「違うってば!」
意地悪く言葉を重ねてやる度に、慶次は涙目になっていく。余程言いたくない事なのか、それとも言えないようなことでもしてきたというのだろうか。政宗自身、慶次のことを束縛するつもりは微塵もなく、慶次が何処で女と会おうが、何をしようが責めるつもりはなかったのだが、――自分に会う直前に女と顔を合わせていたというのであれば、話は別だ。それも、香の匂いを身体に残すようなことをした直後に政宗の元へ来たというのなら、虚仮にするにも程がある。
――そして虚仮にされること、馬鹿にされることは、政宗が尤も嫌う事。
それを慶次が知らない筈はない。
「慶次。おまえ、何処で誰と何してた」
「お、俺ちょっと用事思い出したから、」
帰るね――と言いかけたのだろう。慶次は政宗の鬼の形相に恐れをなしたのか(後で慶次が語ったところによると、政宗は戦場で対峙する時より恐ろしい形相をしていたらしい)、驚くほどのすばやさで身を翻すなり戸障子を開け放ち、
「――止まれ」
庭に飛び出そうとしたところで空気を震わせた低い声に、ぴた、とその動きを止めた。
地を這うような低い声には怒りが満ち満ちて、地獄の鬼も肝を凍らせるのではないかと政宗は漠然と思う。つまり、その声を発したのは政宗ではなく。
「か、‥‥‥‥かたくら、さん?」
あはは、と冷や汗を掻きつつぎこちない動きで首を曲げた慶次の視線の先にいたものは、濡れ縁に仁王立ちした片倉小十郎その人である。
一体いつから其処にいたのか、とか。
何処から何処まで話を聞いていたのか、とか。
そもそもどうしてお前が此処にいるのだと政宗自身も喚きだしたい所ではあったが、背後に黒い靄を背負って見える小十郎の姿は余りにも恐ろしくて声をかける気にはなれない。
――本気で怒ってやがる。
怒り狂っていると言っても過言ではない小十郎の様子に政宗でさえごくりと喉を鳴らし、慶次は庭に飛び出そうとしたままの体勢で硬直している。慶次の脚力であれば、一気に庭を駆け抜けて塀を乗り越え、逃げ出すことも不可能ではない筈なのだが、。
「前田の。‥‥貴様、政宗様を虚仮にしやがったな‥‥?」
「え、いや違うって! ちょっと誤解が」
「問答無用」
「ちょっと待っ、‥‥てぇぇぇぇぇぇぇ‥‥‥‥」
ゆらりと小十郎の身体の輪郭がぶれた、と思った刹那、慶次の身体が勢いよく政宗の視界から弾き出される。その後を追いかけながら怒声を撒き散らして駆け去っていく小十郎の背中を見やり、政宗は暫し茫然とした後に小さくつぶやいた。
「いや、‥‥‥‥おまえが止まれよ」
怒りの矛先を逸らされた揚句、怒りをぶつける先さえ失った政宗の愚痴は誰に届くこともなく、消える。
――その後。
半刻程して小十郎に引っ立てられてきた慶次の口から、紀州の鉄砲隊――雑賀衆の新頭領が女で、彼女の戦力を見たいが為にちょっかいをかけた結果、喧嘩処か死にそうな目にあわされてほうほうの体で逃げてきて政宗に慰めてもらおうと思った、という真相が語られたが、それはまた別のお話。
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まごいちにこてんぱんにされたので、政宗に慰めて欲しかった慶次のお話です‥‥。
作品名:リハビリトライアル Ⅱ 作家名:柘榴