BLUE MOON 後編
だったらいい。
あいつらもあいつらなりに幸福を噛みしめているんなら、俺たちのように……。
不意に俺の腰に腕を回して、アーチャーは髪にキスをする。
「どした?」
「ああ……、なんとなく……」
答えになってはなかったけど、俺もなんとなく、その頬に触れて髪を撫でる。
「イザナミはさ……、忘れないでほしいって……、きっと、イザナギに訴えたかったんだろうな……」
最後にいがみ合ったままで、イザナミは黄泉の女神として定着した。一方のイザナギは天津神の祖みたいな位置づけになった。
ここまで乖離してしまった二神は、もう歩み寄ることすらできないだろう。
だけど、長く都としての役割を持ったこの地は、また違う役割を得て、人々を惹き付け、人々を癒し、人々が守り、祀る地となっていくはずだ、きっと。
「俺には、わかんねぇよ……。この地が抱えてきた怨念みたいなものなんてさ。だけど、忘れ去られんのは、やっぱり切ないなって、思う……」
「士郎……」
アーチャーが俺の頭を引き寄せる。
「すべての者が忘れるわけではない。覚えている者もいるだろう、オレのように」
「くふ……っ、お前も最初、忘れてたじゃねーか」
「む……、思い出しただろうが」
「シーロって言うのか、とか、訊いてきただろ」
「な、っ、や、やかましいっ、仕方がないだろうが! 座に戻ると忘れる仕組みだったのだから!」
「それでも、」
真顔でアーチャーを見つめる。
「思い出してくれたよな」
笑って言えば、まったく、ってアーチャーはため息をついて、思い切り抱きしめてきた。
「ここでは、何もできんな……」
「……お前な…………。ヤる気満々じゃねーか……」
「当たり前だ」
アーチャーは憚ることなく言い切った。
◇◇◇東山に遊ぶ◇◇◇
「あー……、美味そう……」
「士郎、よだれ、よだれ……」
陸にハンカチを渡され、士郎は慌てて拭っている。
どちらが保護者だかわからない……。
羅城門の一件が無事に済み、陸の体調も回復した翌日の昼過ぎ、祇園界隈から清水寺へと、陸、ひなた、凛、士郎そしてオレとで散策の運びとなった。
もう二度とあるかもわからないのだからと、少しの時間でいいからと、ひなたが小さな子供のように駄々をこねたのだ。
凛は困り果て、陸は仕方がないねと苦笑い、士郎に至っては、
「ま、いいんじゃないか? ちょっとくらい」
という軽さで二つ返事。
確かにすぐに戻れ、という制限はなかった。しかし、十六夜の今夜中には戻らなければならない。本当に数時間程度の僅かな時間しかない。
だが、そうと決まれば行動が早いのが凛と陸だ。オレたちに違和感のない服を、ものの二十分程で調達し、即、出掛けることになり、今に至る……。
ひなたは士郎にべったりだ。まあ、仕方がない。初めて接する父親なのだから、傍にいたいのだろう。
「アーチャー、拗ねてない?」
凛が気遣ってくるが、案外、そんなことはない。自分でも驚きだが……。
「せっかくの奇跡だ。存分に味わわせてやろう」
「あー、ひなたに言われたのね、ブルームーンって。そういうのが好きな子なのよ、困ったことに……」
凛は、肩を竦めて呆れ口調だ。
「まあまあ、いいんじゃないかな? ひなたは楽しそうだしさ」
陸がひなたを擁護すれば、凛は大きくため息をこぼす。
「陸はちゃーんとしてるっていうのに、どうしてひなたは……」
「凛の育て方に問題があったのではないか?」
「なんですってぇ?」
「はいはい、凛ねえもアーチャーも険悪にならないの!」
陸に窘められている時点でオレも士郎と同レベルか……。
(気をつけよう……)
そんなことを思っていると、あまりにも士郎がもの欲しそうに食べ物を眺めているため、ひなたが士郎に食べさせようとしたのを慌てて止めた。
「なんで食べちゃいけないのよ?」
むっとするひなたにとっては当然の疑問だ。
「ひなた、オレたちはすでに人外のものだ。しかも神域などというところに厄介になっている。もう人ではないため、供物しか食せない、という決まり事があってな。それを揺るがすと、存在自体が難しくなる」
「そうなんだぁ。でも、お腹は減るんでしょ? だって、さっきからおとーさん、ずーっと、よだれ垂らしてる」
「いや、腹は減らない。空腹感というものは磐座に入った時点でなくなっている」
「じゃあ、どうしておとーさんは……」
「ああ、これは、条件反射のようなものだろう。美味そうなものを見ると食べたくなる欲求が士郎は人一倍強いのだろうな」
「ふーん。いろいろ大変で、不思議な世界なのねー」
ひなたは手焼きせんべいを齧りながら、士郎の視線を一身に浴びている。
「おとーさん、よだれ……」
「ん、悪い」
まったく情けない父親もいたものだ……。
「あ、さっきね、ねねの道の茶寮で、おっきな抹茶パフェ食べてる白い方のおとーさん、見たよ。守護者はいいんだね、何食べても」
「は?」
「白い……」
ああ、あいつか。色白の衛宮士郎か……。
「ひなた、あなたの父親は士郎だけだって言ってるでしょ!」
「だってぇ……」
ひなたにしてみれば成人した衛宮士郎はみな“お父さん”なのだろう……。
「そうそう、あっちのアーチャーはニコニコしちゃって、私にも気づかなかったのよー、びっくりしちゃった。アーチャーもあんなふうにニコニコすればいいのにー」
ニコニコ……。
少し、頭痛がする……。オレはそんなことはしない、絶対に。
「あ、おれもさっき、草わらび餅買ってる二人なら見たよ」
「え!」
「な……」
「小さい士郎を連れてたから、剣になる方だよね」
「ねえ、アーチャー……、守護者って……、ねえ?」
「オレに訊くな……」
額を押さえてため息をつく。
「ねえ、守護者って、そんなに不真面目な感じでいいの?」
「だから、オレに訊くな、凛!」
あいつらは別次元の守護者だ、オレとは違う!
「ほんっと、呑気な守護者もいたもんだよなー。アーチャーは一番貧乏くじ引いた感じだな」
「む……」
確かにあいつらのような楽しい守護者ライフなら、後悔などしなかったかもしれない。
つい、そんな馬鹿なことを思う。
「だがオレは、今、士郎と磐座にいることが幸せだ」
思わず拳を握って言えば、
「惚気はそのくらいにしてくれるかしら……、あっちでもこっちでもいちゃつかれちゃ、いい加減、胸やけがするってものよ」
ひらひらと手を振って、もう満腹、と凛は上り坂を上っていった。
「器を売ってるお店がいっぱいだねー」
ひなたが軒を連ねる土産物屋を覗きながら言う。
「そうだね。清水焼ってのがあるからさ、お土産物にってことだろうな」
「ふーん、そうなん……だぁ……」
ひなたが立ち止まり、店の中を呆然と見ている。
「どした? ひな――」
士郎が声をかけたものの、同じように呆けてしまった。
「どうした? 士郎まで何を――」
オレも唖然だ。
「何よ、みんな揃って、おんなじように、って、え……、ええっ?」
凛の大声に店内の二人組が振り返る。互いに目を丸くしたままで、絶句。
「うわぁ……」
と陸が呟いたのが聞こえた。
「「「「「「「…………」」」」」」」
作品名:BLUE MOON 後編 作家名:さやけ