BLUE MOON 後編
そっと士郎は陸を抱き寄せる。その身体は、あの頃のように、もう小さくはない。
「もう、背も変わんないんだよな……。大きくなったな、陸……」
陸の背を撫でて、士郎はしみじみとこぼした。
「ごめんな、陸。お前のこと放っておいて。俺が引き取ったのに、全部アーチャーに任せっきりで」
「謝ら……ない、でよ。お……れ、全然、怒って、ない、し」
士郎の衣服を握りしめて、陸は声を絞り出す。
「うん」
「だけど、だけどさ……、寂しいって、思う時も、あったんだ……」
吐露された陸の想いに、士郎は目を伏せる。
「うん。だと思ったよ……」
「それでさ、それで……」
「うん」
「忘れないでほしいって、思って……っ……」
「……ったり前だろ! 忘れるわけなんか、ないだろ! バカだな、陸は!」
「だって、さ……」
士郎の肩に顔を埋めた陸は、嗚咽を噛みしめた。
「忘れないって、陸。お前が年くって、ボケて、俺たちのこと忘れても、俺たちは忘れない」
「っ……ん……、う、ん、っ……」
「陸、お前の未来を、俺は今も楽しみにしてる。大人になったけど、お前はまだまだこれからも生きていくんだ。たくさん枝分かれした未来の可能性を、お前は歩んでいくんだって、俺は知ってるからさ……」
肩に手を置き、少し身体を離した士郎は笑った。
「だから、陸。お前のことを忘れるなんて、絶対にない」
士郎の笑顔は、あの頃と変わらない。
翳りもなく、太陽のように温かく、眩しい。
「……わかった。見ててよ、おれ、もっと頑張るから」
「ああ、期待してる」
掌で涙を拭い、陸はようやく笑顔になった。
「アーチャー、士郎をよろしく。コドモみたいでさ、時々心配になるから!」
「ああ、任せておけ」
「おい、なんか、俺がどうしようもないガキみたいじゃねーか」
アーチャーに半眼で見つめられ、士郎は、むう、と拗ねた。
「ほら、コドモみたいだよ」
「ああ。まったくだ」
「おい! 俺は、ガキじゃねえ!」
士郎の声が夜の神社に響き、しばし笑い声が上がった。
「それじゃ、陸、元気でな」
社殿に上がった士郎の手とアーチャーの手が頭を撫でていく。
見上げる陸に笑顔を残し、本殿の奥へ入っていく二人の姿を砂利の上に立ち、少し背伸びをして陸は見ていた。
ずっと感じられなかった温もりを知らしめて、そしてまた、彼らは消えていく。
「バイバイ、士郎、アーチャー、ありがと!」
本殿の鏡から溢れた光は蔀戸の格子の隙間から漏れ、その光に溶けていった二人の影を、陸は笑って見送った。
◇◇◇熊野の磐座◇◇◇
「はーっ! 冷てーっ!」
磐座に戻ってきた俺たちは目下、禊中だ。
相変わらず禊の川の水は冷たい。
「確かに冷たいが……」
「ん? どした?」
「洗われる気がするな」
アーチャーはそんなことを言って、頭まで川に沈んだ。
「よくやる……」
ちょっと呆れながら、水面に揺れる影を見つめる。
しばらくして立ち上がったアーチャーは、濡れた白銀の髪をかき上げた。
(うわ……)
まず……、やばい、めちゃくちゃカッコいい、どきどきする。
「どうかしたか?」
こっちを見たアーチャーは、滴る水もそのままだ。
思わず見惚れた視線を剥がし、俺も頭の天辺まで川に沈む。熱くなった顔とかが一気に冷える。
洗われる、と言ったアーチャーの気持ちが少しわかった気がした。
(確かに、洗われるな……)
息が続かなくなって立ち上がると、待ち構えていたアーチャーに引き寄せられて、口を塞がれた。
「んぅっ!」
く、苦しい……。
止めてた息を吸おうとした口をいきなり塞がれたら呼吸ができない。
「ぅ、は……、ま、ぁ、っ……」
息を吸うために開けた口に熱い舌が入り込んで、舌を引き抜かんばかりに吸われ、くらくらしてくる。
目の前が暗くなりはじめた頃、やっと解放されて、ぐったりとアーチャーにしな垂れかかった。
「こんな、ところで、さかるっ、なよ……」
「ああ、つい、な」
「何が、つい、だよ」
「あんな熱い視線を送られては、応えなければ悪いだろう?」
「はあ? 熱い、視線?」
「オレをじっと見ていたじゃないか」
にやにやしたアーチャーは俺を抱き上げて川を出る。
川岸に置いてあった白布で俺を包み、自身の腰に白布を巻いて、また俺を抱き上げて神殿に上がった。
「なあ、下ろせよ」
「聞き入れられん」
「神様とかに会ったら、恥ずかしいだろ?」
「いつものことだ。神々も諦めている」
「はあ……」
抵抗する気力も失せたから、もう諦めることにした。
「なんか、いっぱいいたよな?」
俺の胸元に吸い付いていたアーチャーが顔を起こした。
「何がだ?」
「俺たちが、だよ」
平行世界って言うんだろうか?
どこかの世界の俺とアーチャーが、三組もいたのには驚いた。しかも、なんでか、みんなカップルって……。
「ちょっと、衝撃だったな?」
「まあ、もう会いたくない、という点でな」
「あー……。アーチャーは、なあ? ひっどいのがいたもんなー」
「貴様……」
「変態とか、すっげー嫉妬深かったりとか……」
「ああ、忘れていた。いろいろと言っていたな? 士郎?」
「あー……、ははは、なんのことだっけなー?」
笑って誤魔化すには遅すぎた。蒸し返したのは藪蛇だったな……。
「たくさん、お仕置きだな?」
ニッコリ笑って、こいつはとんでもないことを言っている……。
「はぁ……、慰めてやるって言ったしな……」
こいつも、ある意味ショックを受けただろう。他の二人はそうでもなかったけど、あの、色白の俺の連れ合いは、ほんっと……。
頭を起こして、なでなでと白銀の髪を撫で梳く。二度、三度と瞬いて、アーチャーは気持ちよさげに目を細めた。
「どの世界の士郎もパーツは同じだが、お前が一番可愛い」
「は? ……な、……に、言ってんだよ、きゅ、急にっ」
「お前がどの世界の衛宮士郎よりも、愛おしい……」
優しく触れたアーチャーのキスは、いつもよりも甘い気がした。
深くなっていく口づけに、眩暈すら覚えて、アーチャーが欲しいって、俺の頭はそれだけで埋め尽くされていく。
「アーチャー……」
呼べば答える声と身体。
再会してから、何度抱き合ったかも、もう数えきれない。陸と三人で過ごしていた時も俺はアーチャーに抱きしめられて、幸福を感じていた。辛かったけど、アーチャーと抱き合う時間は、何にも代えがたい至福の時間だった。
「陸は……」
「ん?」
「陸は……、幸せだったって、言ってくれたな……。あんな一年でも」
「ああ」
「俺は、親らしいこともしてやれなかったのに、陸は…………」
「言っただろう、士郎。確かにオレたちは親ではなかったが、幸せだと言える日々を過ごした。陸の心にはその日々がある。オレたちにもあるようにな」
「ん……」
納得して、少し泣いた。
ああすればよかった、こうすればよかった、そうするべきだった。
振り返れば、後悔は尽きない。
だけど、戻れるものでもないし、過去はどうしたって過去だ。
目の前には未来しかない。
作品名:BLUE MOON 後編 作家名:さやけ