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BLUE MOON 後編

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 二十数年前、強い磁場に引き寄せられるようにして、伊弉冉尊は陸に憑いた。
 人らしい姿になる以前、陸がまだ母体の中にいる時から、伊弉冉尊は人となって産まれるこの存在を待っていた。
 ――喰らうために――
 なぜ、そのようなことをしたか、と問われても、伊弉冉尊にも明確な答えは出せない。
 ただ、恨みがあった。怒りがあった。恥辱があった。呪いがあった。そして、悲しみがあった。
 夫神に捨て置かれ、黄泉に閉じ込められた伊弉冉尊は、恨みを溜め、憤りを吐き、狂おしく嘆き、忘れられてゆく言い表せない辛酸を思い知っていた。
 ――忘レル勿レ、忘レル勿レ……。
 忘れられたくないがために、怨み言を吐いた。
 日に民を千人殺す、と。
 ならば、日に民を千五百人生もうと、かつての夫神は言い切った。
 ――モウ、要ラヌノカ……、妾ハ……。
 そうして忘れられるのか、と絶望したのは、伊弉冉尊が忌神となるずっと以前のことだった。
 ――口惜シヤ……、口惜シヤ……。
 失意の中でも、黄泉で過ごす時は悪くはなかった。
 黄泉の世界を治めるものとして、黄泉に巣食うものたちには敬われ、伊弉冉尊はその務めを果たしていた。だが、募るのは怨み言ばかりで、心が晴れることはなかった。
『妾は……何を求めていたのであろうな……』
 陸の頬を撫でながら伊弉冉尊は積年の想いを噛みしめる。
 なぜ忌神となったのか、なぜ霊力の高い人間に憑き、その者を喰らっていたのか。
 もう理由など定かではなった。ただそうすることが当たり前になっていて、繰り返すその業に疑問など浮かばなかった。
 そんな伊弉冉尊を変えたのは、陸を迎えに来た人間であった。
 陸を明るい光の下へ連れ出し、その目に色鮮やかな世界を見せ、温もりを与え、居場所を作り、慈しみで包んだ者……。
 陸が心を開くたび、伊弉冉尊も少しずつ凝り固まった鱗のようなものを剥がしていった。陸がその者を想うたび、伊弉冉尊の心に柔らかいものが生まれた。
 はらり、はらり、と花弁が舞い落ち、黒い靄となって陸の身体を埋めていく。打ち払うことが追いつかず、もう陸の肩から上だけが取り込まれていないだけ。
『誰か……あらぬか……』
 伊弉冉尊は助けを求めた。何度、応えのない救いの声を上げたことか。
 かつて、忘れられたくないと願う伊弉冉尊に呼応したこの古の門は、過日、伊弉冉尊に応える代わりに、自らにも応えよと、約定を示した。
 どす黒い不浄を、神である自身に取り引きを持ちかけるのかと、見下してはいたが、何もかもに投げやりであった伊弉冉尊は、それを了承してしまった。
『嗚呼、妾が、あのような……』
 自身の憤りに、悔しさに、悲しさに抗えず、あんな約束事をしなければ、陸をこんな目に遭わせることはなかった、と伊弉冉尊は嘆く。
 青白い手で陸の頬を撫で、その頬の血の気が薄れていることに、胸が張り裂けんばかりに疼いている。
『陸……』
 陸を呑みこむこの靄は、あと幾ばくもせず陸の命をも吸い尽くすだろう。それがわかっていても、伊弉冉尊には何も手の施しようがない。ただ、黒い靄がたかるのを遅らせるだけだ。
『誰か、応えよ……、妾の声に、応えよ……』
 陸の頭を胸に抱いた時、
 ブォンッ!
『な……』
 頭上を清浄な風が過ぎた。
 顔を上げ、ぽっかりと上部に穴の開いた靄を見渡す。
『何が起こった……』
 呆然と呟けば、
「陸! イザナミ!」
 聞き覚えのある声がする。
「陸! 陸っ!」
『あやつは……』
 伊弉冉尊は目を瞠った。
「イザナミ! 無事か!」
 靄のその向こう、結界らしきものの外からの声に、伊弉冉尊は温かなものに包まれた感じを覚えた。
『そなた……、妾を、伊弉冉、と……、そう呼ぶか……』
 忘れられてなどいないのだと、その名を呼ばれることで確信できる。
『妾の名を呼ぶのは、陸と、そなたらくらいじゃ……』
 伊弉冉尊の頬を雫が滑った。
 必死な顔で陸と自身を呼ぶ声が、何にも増して心強い。
「すぐに出してやるからな! 頑張れよ! もうちょっとだからな!」
 結界の外で慌ただしく動く人間たちの姿に、伊弉冉尊は胸の内が熱くなるのを感じた。
 ついぞ覚えのない、いや、遠い昔、夫神と国を生み、神を生み出し、豊穣を、民の繁栄を祈り過ごした日々に感じていたものを微かに思い出した。
『嗚呼、忘れてなど、いなかったのだ……』
 自身の中にあった、愛しさという感情。
 かつて夫神を愛し、国を愛し、夫神とともに生んだ神々を愛した自分自身。
 それをずっと心の奥に押し込んでいた。
 裏切られたと、捨て置かれたと、黄泉で過ごすうち、恨みに沈むうちに……。
『陸や、助けが来た……。妾の声に応える者が、妾を忘れずにいる者が……居るのだ……、妾を……陸を……忘れぬ者が……』
 ぽつ、と陸の頬に雫が落ちる。
「イザ……ナミ……?」
 その声に伊弉冉尊は目を向ける。薄く瞼が開き、琥珀と漆黒の瞳が覗く。
『陸や、助けじゃ』
「助……け?」
『ほれ、あのように』
 イザナミの示す先にぼんやりと目を向けた陸は、目尻が切れんばかりに瞠目した。
「士郎、アーチャー……」
 結界の向こうに見えるのは、夢でもいいから会いたいと思い続けた者たちだ。
「な……んで……」
 驚きで、陸の思考はうまく回らない。
 あの二人は神域にいて、人の世に出てくることなど叶わない身なのだと、今まで何度も言い聞かせてきた。
 これは夢や幻ではないのかと何度も現実を見ようと試みる。
 だが、結界の向こうで動く姿があの頃と何も変わらなくて、懐かしさにただ胸が熱くなった。
「こ、こんなとこで、おれだけ、寝て、られない」
 身体を起こそうとした陸だが、力が入らない。身動きすら叶わない。
「っ……」
 手足はすでに固められている。自身の身体を確認すれば、樹木の幹のようなものに覆われているように見える。
「木……? さ、桜?」
 振り仰げば、黒くごつごつした枝を伸ばした古木。だが微かに見て取れる樹皮は、やはり桜のそれのようで……。
 陸が夢に見たのは、満開の桜だった。淡い色の花弁をはらはらと落とす、懐かしい頃の夢……。
「この、木……?」
 今、目の前にあるのは、黒々とした枝だけの木――花をつけなくなった桜の古木だ。
「ああ、そうか……」
 これだ、と陸にはわかった。
「伝えないと……」
 どうにかして外にいる者たちに伝えなければならない。だが、声を張り上げようとも、届いている様子ではない。
「どう……しよう……」
 陸は再び襲い来る眠気に抗おうとするが、瞼が重くなっていく。
「く……そ……」
 こんなところで寝ていられない。
 思いはすれど、意識は霞んでいくばかりだった。



***

 次第に濃くなっている。
 結界内の不浄は増えていく一方に思える。
 陸の力とイザナミの力を吸い取っているのなら、それはやはり膨大な力となるのだろう。時間を経るごとに強敵になっていくのが見ていてもわかる。
「アーチャー、準備はいいか?」
「ああ、いつでもいいぞ」
 士郎は一気にカタをつけるという。
 風の神の力で盾を作り、街を守りつつ、守護者たちが瘴気を上げる不浄が消し飛ぶほどの攻撃を仕掛ける。
作品名:BLUE MOON 後編 作家名:さやけ