BLUE MOON 後編
その仕草は、二人だけにわかるものだと思った。こういうことを、何度か繰り返してきたんじゃないかって気がする。
「無事で、よかった……」
アーチャーのこぼした声に、士郎は、ん、と小さく頷いていた。
「ごめんな。大丈夫だ、置いてったりしないから」
「当たり前だ、たわけ……」
不貞腐れた声に、士郎は苦笑を隠せないみたいだ。
あいつらは、神域でもいろいろやらかしていたんだわ。
二人の絆は、あの頃よりも強い気がする。それから、信頼し合う姿が板についているっていうか、なんというか……。
「ふふ。お母さんの負けよね。やっぱり」
「何がよ?」
ラブラブなあいつらを見ていたひなたが、二人を指してきっぱりと言う。
「ああいう可愛げ、ないものね」
びき、とこめかみが引き攣ったのがわかった。
「ひーなーたぁー」
「あーら、ごめんなさい、お母さま、お気に障って?」
茶化すひなたに構えた。
「こんな時だけ、お母さま、ですって?」
「うふふ、大人げないわよ、お母さま」
ひなたも同じように構えた。
これじゃ、引き分けだわ……。
「くうぅっ! このっ!」
諦めて構えを解いた。
「おとーさんは、やっぱり、アーチャーのもの、よね」
「うるさいわよ! そんなこと、百も承知だっていうの!」
ああ、もう、ほんと、この子は口が減らないわ……。
だけど、こんなところで盛大な母子喧嘩もできない。
「はあ……、まったく……」
もう二人の世界のあいつらは放っておいて、陸の様子を見に行くことにする。
「ねー、お母さん」
「お母さま、よ」
ついてきたひなたに苦言は忘れない。
「あたし、おとーさんがお母さんじゃなくてアーチャーを選んだ理由がわかった」
「な……、なん、だって、いうのよ……」
思わずたじろいでしまう。
「うん、お母さんは、可愛いげが、皆無」
「はあ?」
そう言ったひなたは、
「だって、アーチャーは、なんだかすごーく、可愛いもの」
アーチャーを指してひなたは朗らかに笑う。
娘よ、どこをどう見たら、あの屈強な戦士が可愛く見えるのよ……。
全身全霊でもってため息をつきたい。
「見た目じゃないわ。中身よー」
私の言いたいことを察したのか、そう言い切ったひなたに、私は二の句が告げなかった。
◇◇◇羅城門◇◇◇
アーチャーと対策本部のプレハブに入ると、遠坂とひなたとは入れ違いになった。いったんホテルに戻るらしい。シャワーくらい浴びたいわ、とか言って……。
(ほんと、自由だよなぁ、遠坂は……)
陸はというと応急処置を施され、点滴を受けて眠っている。ずいぶん体力を消耗していて、まだ、しっかりと目を覚ますのは難しいらしい。
結構な霊力を吸われていた、とは、イザナミの言だ。だったら仕方がないと遠坂も納得している。
俺たちと同じく、てゆーか、憑いてるんだから当たり前だけど、イザナミも陸の傍を離れず、“見える”陰陽師たちはビクつきながら手当てというか、介抱をしている。
(まあ、そうなるよな……)
気にしても仕方がないから、そっちはもう放っておいて、イザナミにいろいろ溜まってた疑問をぶつけてみることにした。
「イザナミ、羅城門はさ、どういうものなんだ?」
陸の眠る簡易ベッドの横に丸椅子を置いて、陸の手をさすりながら訊けば、しばらく沈黙していたイザナミは、ぼそり、ぼそり、とこぼしはじめた。
『…………京が遷りしより百年を超え、かつての京は空も同然』
イザナミは目を伏せたまま、その唇を微かに動かすだけで声を発している。
『祀る者のおらぬ京は空の器。今上帝はこの国の民のために日々祀り、日々祈り、つましく、その役目を果たしておる。
が……、この地は、千年以上を京として祀られていた』
「ああ、うん、そうだな? それが、何か問題になるのか?」
『たとえ京が遷ったとはいえ、その土台には、連面と紡がれた京の守り、民の想い、帝の祈りがあった。そのようなものがこの地の不浄を退け、あるいは浄化し、京としての本領を果たしておったのだ』
「じゃあ、あんな羅城門なんか――」
『遷都、と、口にするには易いが、そう容易いものではない』
俺の声を遮って、イザナミは言い切った。
『京とはあらゆる土台と布石の上に造られるもの。その最たるこの地は、その役目を終え、枯れてゆこうとしておったところを、かねてより蠢いていた不浄が、流れ動く人の動きにかき回され……、此度のようなものができあがった』
「イザナミが嵌り込んだっていうのは?」
『妾は……約定を交わしておった。かつての羅城門と……。忘れられてゆく虚しさを嘆く、古の門とな……』
「だから、抜け出せなかったのか……」
『いかにも……』
イザナミは切れ長の目を伏せたままで、唇を大きく開くこともなく、相変わらず不気味な感じで話している。
だけど、以前よりはどこかマシな気がするのは勘違いか?
俺の見間違いか?
いや、イザナミの不気味さを云々するより、東京が首都になって、一世紀半くらい。いくらそういう場所柄だっていっても、こんなことが起こるようには……。
『腑に落ちぬようだの』
「う、ん……、まあな……」
見透かしたようにイザナミは薄く笑ったみたいだ。不気味さが勝って、笑ってるようには見えないけど……。
『この地が京ではなくなり、桓武帝の敷き詰めし京の守りが多くの人民の出入りで次第に崩れ、効力を失い……、今となっては裏鬼門より不浄が入り来る。鬼門には、貴船の神や鞍馬の大天狗が居って、いまだ堅固な守りで防がれておるが、一方だけを塞いだとて、入り来る不浄を防がねば、不浄は溜まる一方。この地はすでに京の脱け殻。祀る者が居らぬ地は、やがて腐って屍のはびこる地となるのもやむなし、と……』
「けど、祀る者がいないのは、京都だけじゃ……」
『この地は千年以上を京としての務めを果たした。その怨念、その邪悪、諸々の現世(うつしよ)の、諸々な感情を、満たされ、浄められ、そしてまた満たされ、を繰り返してきた。もう、この地は祀る者が居らねばもたぬ。百年以上保ったことが奇跡、いや、もたせようと力を尽くした者たちの足掻きじゃな……』
「そうか……」
あの羅城門にはそんな裏があったのか。
京都っていう土地柄。千年以上都として機能していた土地の力と、その脆さ……。
いろんなことが重なったって言えばいいのか?
イザナミの約束事にしても、イザナミが陸に憑いていたことにしても、俺が陸を引き取ったことにしても、どれも偶然でしかない。こんな結果を見越してなんていなかったはずだ。
「……だけ、じゃ……な……」
「陸?」
目を覚ました陸が、掠れた声で訴える。
「陸、大丈夫か? どこか、」
「士郎、あれは……、木だ」
俺の腕を掴んで、陸は身体を起こそうとする。
「まだ寝てろって」
「さく、らの、木だ」
「桜? 木? もしかして、あの消し炭みたいなのが?」
陸が捕らわれていた黒い木のようなもの。
あれは桜の木だったのか?
「あれが、本体、なんだ」
点滴の針を抜いて、陸は立ち上がろうとする。
「ダメだ陸。まだ寝てろ」
「やらなきゃ。あの木をどうにかしなきゃ、羅城門はまた現れる」
「わかったから、お前は――」
作品名:BLUE MOON 後編 作家名:さやけ