第二部22(95) sturm
ーこれ。分かるわよね。
アネロッテが白い胸元から鎖を通して首にかけていた鍵を外すと、眠っているマリア・バルバラの顔の上でヒラヒラと振ってみせた。
ー ふふ。そうよ。帝国銀行の金庫の鍵。お父様が亡くなって、あの子…ユリウスが家督を相続した時に一緒に譲られた例の鍵よ。お姉様が大事に保管している、あっちは偽物。…私の一番の狙いはね、これだったの。ついでだからこの鍵が守り抜いていたものが何だったかも教えてあげる。
あの金庫にはね、ロシア皇帝がいずれ起こるであろう革命に備えてヨーロッパの各国に預けた、ロマノフ王朝の隠し財産が預けられているのよ。その金額たるや…ざっと数千万ルーブルに上ると言われてるわ。
お父様…アルフレート・フォン・アーレンスマイヤはね、そのロシア皇帝の隠し財産の番人の、ドイツ代表という訳。
あなたはお利口さんだから、もう大体話は見えて来たでしょう?
そうよ。ロシアと通じていたスパイは…、フォン・ベーリンガーではなくて、アルフレート・フォン・アーレンスマイヤ、私達のお父様よ。
あの男は、スパイ行為がバレて通報されそうになったのを、逆に先んじてスパイ容疑をフォン・ベーリンガーになすりつけ、逮捕に託けて、口封じの為に屋敷の人間全員を殺したの。
ふふふ…。あのお父様が、そんな残忍で薄汚い男だったなんて…信じられない?
まあ、その通りね。
アルフレートは…ただの傀儡。このスパイ行為の青写真を描いたのは、シュワルツコッペン。
マクシミリアン・シュワルツコッペンよ。
お父様の親友の。
…それも違うわね。アルフレートはあいつの事親友だと思っていたかもしれないけど、あの男は、アルフレートの事を親友だなんて思っちゃいなかった。
あいつにとってはね、愛だとか友情だとか忠義だとか…そんなものには一切意味がないの。大事なのは、役に立つか、そうじゃないか。ふ…。そういう所、私も受け継いじゃったのかもしれないわね。
私はね、お姉さま。
アルフレートの子供じゃなくて、シュワルツコッペンの、シュワルツコッペンとお母様との間に出来た不義の子なのよ?
驚いた?
ねえ、托卵…て知ってるでしょ?
カッコウが他の鳥の巣に自分の卵を産みつける、アレよ。
あいつはこのアーレンスマイヤ家にこの私を托卵した訳。
…ううん、托卵というよりは寄生虫かもしれないわね。
宿主の身体を内側から食い尽くし栄養にして育つ…ね。
…私がお母様の、お母様とシュワルツコッペンの間に出来た不義の子だと知ったのは…12の時。お母さまから直接聞かされたわ。…何かおかしいと…子供の頃から思っていたのよ。父の…アルフレートの私を見る目が、態度が…。お姉様とどこか異なってるのは、なぜだったのか…ずっと不思議に思ってたわ。…でもそれではっきりした。すべてが、腑に落ちた。とんでもない女よね。…貞淑な、貴婦人ヅラして。あの女は、その裏で夫の親友に股を開いてたのよ。
― だから、母を、あの女を始末した。
私の秘密が、出生の秘密を知る者が、この屋敷にいるのは都合が悪い。
15の時に、あの女に毒を盛って死んでもらったわ。
…実際に手にかけたのは、ヤーコプよ。…あいつに一回身体を許して、以来あいつは私の手足となって、実に忠実に動いてくれた。
お父様を始末したのも…私。
あの人も、私の出生にずっと疑念を持ち続けていたようね。
お父様の日記を盗み読みしたら、その事が、彼の懊悩が赤裸々に書かれていたわ。
…父は、アルフレートは、母の不義を知っていて…それで、レナーテさんに癒しを求めたのかもしれないわね…。
勿論、日記のその部分は、都合が悪いから破り捨てたわ。
父が寝付いて、いよいよ先が長くないと悟ったときに…、姉様と弁護士を呼んでなにか遺言を託そうとしていたでしょう?
…あの、帝国銀行の金庫の事だと、直感したわ。
だから…、父にもあの世へ行ってもらった。
あの機密を抱いたままね。
…だいぶ話がそれちゃった。フフ…。
そう、シュワルツコッペンの話だったわね。
あいつはね、ビスマルクに心酔していたお父様のウブな心を利用したの。
ビスマルクのためならどんな事も厭わないお父様に近づき、閣下の為、ドイツの為、と言葉巧みに操って、あのスパイ工作の傀儡に仕立てあげたのよ。
シュワルツコッペンはね、アルフレートに預けられたあの莫大な財産をゆくゆくは、母との間に生まれた私を通して横取りしようという魂胆だったみたいよ。
全く…呆れる程気の長い計画ね。
だけど…それだけの時間と手間をかけるだけの価値と魅力は、あるわね。
一つ誤算だったのは…、私があいつの冷酷で欲深な性格をそのまま引き継いじゃった事かしらね。
ふふふ。
この財産の存在を知ったのは、ヨアヒム…そう、あの男からよ。
あいつはね、恋人なんかじゃなくて、私の異母兄。そうよ。あいつも…シュワルツコッペンとその辺の市井の女との間に出来た外腹の子なのよ。
あいつがどこからかそれを嗅ぎつけ、私にこの話ー、アーレンスマイヤ家に人知れず眠っている莫大な財宝の話を持ちかけたの。
うまく横取りできた暁には、二人で山分けしようって。
勿論私にそんなつもりはなかったわ。利用できるだけ利用して、最後には始末するつもりだった。
そして…もう不要になったから、ヤーコプに始末させたわ。
これが…この「呪われたアーレンスマイヤ家」の真相。
でもその呪いもこれで、終わりね。
だって、姉様はここで死んで、私は、アーレンスマイヤ家の財産とあのロシア皇帝の隠し財産を手に入れ、アメリカへ渡り、一生贅沢に遊んで暮らすのだもの。
アーレンスマイヤ家は今日、ここで終わるの!
どう?楽しんで頂けたかしら?私の話は。
まあ…いいわ。
さようなら、お姉様。
アネロッテが注射器を持った白い手をマリア・バルバラの上に振りかざした。
その手が、その注射器がマリア・バルバラを差し貫くその瞬間ー。
作品名:第二部22(95) sturm 作家名:orangelatte