第二部24(97) 交渉
「侯、その会談はどちらで…」
ドイツ、ベルリンの大使館に到着し、その経緯を詳しく聞いた後、先方が指定してきた場所へと向かう。
「ミュンヘンの、バイエルン陸軍省の別館を借り切ったそうだ。アルフレートは陸軍省情報部に所属していたからな。その当時の部下が上層部にいるようで、特別な取り計らいらしい。フン!我々は完全なアウェーで話を進めなくてはならない訳だ。さすがアルフレートの娘というか…女ながらに、なかなかの食わせ者だ」
二人がバイエルン陸軍省へ到着し、職員がその別室へと案内した。
「どうぞ」
応接室へと通されると、既に相手は到着していたようで、椅子から立ち上がり二人の方へ軽く会釈をした。
長身で黒髪の、背筋の伸びた30がらみのキリっとした女性である。
大使館の職員から聞いたところによると、女性ながらに当主として、また実業家として手腕を振るっているという。
「初めまして。ロシア陸軍親衛隊長、レオニード・ユスーポフと申します。今日は父の名代でドイツへ参りました。こちらは、通訳を務めますセルゲイ・ロストフスキー大尉」
「初めまして。マリア・バルバラ・フォン・アーレンスマイヤと申します。先年亡くなった父の…、いえ、その後家督を継いだものの行方不明となっている弟の代理で現在家督を預かっております。遥々ロシアからお出向き頂いて、恐縮に存じますわ」
二人が握手を交わす。
「ほう…。私はあなたが現当主と…聞いていたのですが」
「ええ。…正確には当主の後見人ですわ。…私には弟がおりましてね。先年父が亡くなりました折に弟が家督を継いで当主となりましたが、一昨年行方不明となってしまいまして。それで私が現在当主代理として家督を預かっておりますの」
「それは、お気の毒に。弟さんは…おいくつで?」
「家督を相続した折は…15でしたわ」
「ほう、随分と若い当主だったのですね。アルフレート氏は病んで久しかったとお聞きするので、では、あなたがずっと家督の事は取り仕切っておられた?」
「ええ。そう言う事になりますね」
「それは…女性の身で、さぞかし大変だったことでしょう」
「おかげで…すっかり婚期を逃してしまいましたわ」
そう言って、マリア・バルバラは少し肩を竦め、表情を緩めた。
「独身でいらっしゃいますか」
「ええ。だけど…先だって…こんな嫁き遅れの30女でも良いと言ってくれる…奇特な殿方が現れましてね、婚約いたしましたの」
「それは…おめでとうございます」
「ありがとう」
ふと和らいだ表情が、第一印象のキリリとした表情とのギャップとも相まって存外愛らしい。
髪の色も瞳の色も全く異なっているのにも関わらず、不思議と、先だってマリインスキー劇場でひと時を共にした、あの革命家の幼な妻の笑顔がふと脳裡をよぎった。
― ふ。バカな…。ただ同じ…ドイツ人というだけではないか。
「?どうかいたしまして?」
小さく笑いを漏らしたレオニードに、マリア・バルバラが訝し気に訊ねる。
「いえ。失礼―。早速、本題に移りましょうか」
「そうですわね…」
対峙した二人の間に和やかな空気が消え、再び緊張感が流れた。
作品名:第二部24(97) 交渉 作家名:orangelatte