14の病
5
ある日の夕方、外を歩いていた俺のポケットで、携帯が鳴った。
夕日の色に染まった辺りには、ほとんど人影はない。元々、別荘なんかの多い田舎町なんだ。
そこで俺は、あまり周りを気にする事無く会話をはじめ、ふと思い出した疑問を口にした。
「そういえば、忘れてたけど、あの日どうしてスペインも一緒に来てたんだい?」
あの日っていうのは、中二病についてのレクチャーを改めて受けた日のことだ。
質問した相手は、その時一緒に円卓を囲んでいた髭のオッサンで、ちなみに今の会話は電話越しに行われてる。
『イギリスが病気? めっちゃウケるわー。みたいな感じで様子みにきたんじゃない?』
直接聞いたわけじゃないけどよ。というフランスの、まるで似てない声マネはともかく、答えはなんとも納得できるものだった。
あのトマトの親分になんとも似合わない理由だけど、彼とイギリスの過去を思えばありえるだろう。ありえるけど、不健全な話だ。
そう思った俺がそれを素直に口に出すと、
『不健全、ね。まあお兄さんも概ねそう思うわ』
珍しく同意を示した相手は、で、それはいいけどよ、と話題を変えた。
『お前、今週お兄さんの家においで』
突然のお誘いだ。そもそも、電話をかけてきたのはフランスの方だから、彼としちゃこっちが本題なんだろう。招待の意図を訊ねると『ちょっと、話したいことがあって?』となぜか疑問系相手に、俺は首を捻る。
電話じゃだめなのかとも聞いてみたけど、どうやら込み入った話らしく、つまりは直接あって話たいと、そういう事らしい。
「うーん…」
面倒だし、何となく、特に理由は無いけど嫌だな。相手がフランスだからかな、と思っていると、
『あ、そうだそうだ。ちなみに、例の病気についてな』
なんとなく、今思いつきましたみたいな言葉だったけど、そう言われちゃ無視はできない。
「OK、わかったよ。じゃあ、今日の治療は早めに切り上げて行くから…」
パリに行くなら、飛行場まで戻るよりユーロスターにのった方がはやいだろう。ここからセント・パンクラス駅までは…。
『……ちょっと待て』
「なんだい?」
『一応聞くが、お前は今どこにいるのかな?』
「ロンドンだけど? それがどうかしたのかい?」
まさか、また国鉄でストでも起こってるのかい? ならやっぱりセスナで行くかな。地下鉄乗り継ぐのは面倒だけど。
改めて所要時間を計算しはじめた俺に、『いやいやいやいや、ストじゃなくてね。お前、一昨日あいつんち泊まったんじゃなかったっけ? どんだけ仕事してねーんだよ!』という人聞きの悪い台詞をぶつけた後フランスは続けて、
『つーか、あいつ今週忙しいつってただろ?』
「そんな話聞いてないぞ?」
『え?』
一瞬、相手の時間が止まったようだった。
だけど、本当にそんな話聞いちゃいない。イギリスは病気を否定はするけど、俺の必死の説得のお陰か治療を受ける気はあるらしく、最近は行くと大体家にいたし、そうでない時は向こうから連絡をいれてきた。だから今日も俺は、連絡なしでここにきたんだ。(まあ、これは前からだけど)
フランスの勘違いか、それとも忙しすぎて連絡できなかったか。
「どちらにせよ、もう家は目の前だ。行って、いなけりゃこっちから連絡するさ」
『……そうだな』
何かを考え込んでいるようなフランスを、俺は少し怪訝に思いながら先を急ぐ。そしてもう目と鼻の先になったイギリスの自宅へと目をやり──────。
「イギリス!」
叫ぶと同時に駆け出した。
『え? おい! どうした?』
「イギリスが倒れてる。悪いけど切るぞ」
言い終わると、相手の返事を待たずに通話を終えた。門を開けて、中へ入り玄関の扉の前に、うつぶせに倒れているイギリスへと駆け寄る。
「イギリス!」
再度呼びかけながら、ざっと体を見る。怪我をしている様子は無い。もしかして、とは思ったけどアルコールの臭いはしなかった。石畳に膝をつき、抱き上げながら何度か呼びかける。なんだっていうんだ!
苛立ちつつ、軽く頬をはたくと、ぎゅっと太い眉がよせられた。小さくまぶたが震えて、やがてそれが開く。
現れた緑の目はぼんやりとしていたけど、それでも俺はほっと息を吐いた。
「……イギリス? 大丈夫かい?」
覗き込んだイギリスの顔は青白い。やっぱりどこか悪いんだろうか?考えていると、不意にイギリスが顔を顰めた。
「どこか痛むのかい?」
「……触るな」
「え?」
低く呟かれた言葉が、咄嗟に理解できずにいると、イギリスはさっと立ち上がり、玄関のドアへと向かう。そして、こちらに背を向けたまま、
「帰れ」
短い、でも強い口調だ。今度は俺が眉を顰る番だった。
「こんなとこで倒れといて、意地張ってる場合じゃないだろ!」
言って、立ち上がり後を追う。イギリスは、もうドアノブに手をかけようとしているところだ。こちらを向かせようとその肩を掴んだ瞬間、ぱしんと乾いた音が響いた。
「触るなつってんだろ!」
俺の手は振り払われ、同時に飛んできた怒鳴り声に、呆然と相手を見る。俺のそんな様子に、イギリスははっと一瞬動きを止めた。でもまた直ぐにきりきりと眉を吊り上げ、視線を反らす。さっきまで自分の倒れていた、石畳を見つめる目はどこか暗く、思いつめたように引きつっていた。
まるで世界中の不幸全部を背負い込んだような顔をしたイギリスが、低く呟く。
「…俺に………な……」
「え?」
低く不鮮明な言葉を聞き返すと、イギリスはようやく顔を上げた。きっときつい緑の目が向けられる。
「俺に、近づくな。……災いが…降りかかる」
「へぇっ!?」
思わず妙な声を漏らした俺は、でも直ぐに現状を理解した。
間違いなく病気が悪化してる!
「してねぇよ!」
あまりの衝撃に、思わず声に出していたらしいそれを、イギリスが即座に否定する。
でも、絶対に嘘だ。でなけりゃあんな普通に暮らしてたら一生使うことのないような言葉の羅列、さらっとでてくるはずがない。
「うるせぇ馬鹿野郎。だいたい、俺は病気じゃねぇって何回いったらわかんだよ。何でもかんでも名前つけて、決めつけやが……」
そこまで言って、何故かイギリスは言葉を切った。考え込むように視線を横に流し、名前? と小さく呟く。
俺はこの隙に、いつもどおりの反論をぶちまけようとした。だって、最近じゃあ、占い師だって『災い』なんて言葉使わないからね。いくらこの人が古臭い趣味だからって、ありえない!
けれど、その考えは直ぐに吹き飛ぶことになった。
「ぐっ……っ…」
突然、イギリスは呻き声を上げ、顔の右半分を覆うように片手を押し当てた。こんなところで倒れてたんだ。中二病もだけど、体調も相当悪いんだろう。
苦しげに歪むその顔は、青白いを通り越して、紙みたいに真っ白になっていた。
「この話はまた後だ。治療はいつでもできるからね。とにかく、君は今すぐ横になったほうがいい」
言いつつふらりと揺らいだ体を支えようと、俺は腕を伸ばす。
だけどその手が届く前に、ぽつりと独りごとのような呟きが、その場に落ちた。
「いつでもって、いつだよ」
「え?」