14の病
6
古ぼけた木のはしごは、見たところ丈夫なつくりのようだった。
試しにはしごの一番下の部分に足をかけ、体重を掛けてみる。かすかに軋む音がしたど、壊れていたり、どこかが腐っている様子はない。
俺は念の為地面についている部分の周りを軽く土で固めながら、はしごとそれに続く先を見上げ、それにしたって、と顔を顰めた。
すっかり群青色に染まりきった空をバックに、ライムストーンの外壁が、ほの白く浮き上がっていた。見慣れたはずのこの家も、こうして見ると立派なホラーハウスだ。
俺が、『途中で飽きて放り出す』だって?
あの暴言に対して、俺は結構ショックを受けてるんだ。そんな風に思われてるなんてさ。いったいどういう目で、俺のことをみてたんだ。
「…治療だって、普通に受けてたくせに」
恨めしげな呟きのとおり、病気を否定しつつもイギリスは、わりと素直に治療に応じてたんだ。それもまた、ショックに拍車をかけた。
治療はカウンセリングが一番近いような、ただ一緒に何かするっていうもので、そりゃ真面目にやってたけど、俺は楽しくもあったんだ。……好きな人と、一緒にいて何かするのは。なのにさ!
イライラとループする思考を引きずりながら、俺は一段一段はしごを登りはじめる。窓にはすぐ、辿り着いた。
灯りのついていない室内はまっくらで、中の様子は窺えない。
こんな入り口をつくって、嫌がらせ紛れのヒントまでよこしたくらいだ。素直に帰らなかった俺に、止めをさすための、どんな仕掛けがまっているのやら…。
でもたとえ、またあの黒い塊がでてこようが、生物兵器に感染した大量のゾンビが追いかけてこようが、作り物だってことがわかってるからね。だったら怖くなんか………多分、ない。と思う。いや、絶対にないぞ!
意気込んで窓に手をかけた。鍵のかかっていなかった窓はすんなりと開き、罠に相応しい真っ暗な部屋に足を踏み入れると、そこには悪夢があった。
入った部屋は、俺が一昨日泊まったゲストルームだ。
というわけで、勝手知ったるなんとやらな俺は、窓の直ぐ横に置いてあるチェストの上を探る。置いてあった本をよけ、探し当てたサイドランプのスイッチを押す。
だけど、灯りはつかなかった。コンセントを抜かれてるか、もしくは、この部屋自体の電気が落とされてるのかもしれない。
手回しのよさに、内心舌打しつつも俺はそこまで驚いてはいなかった。元々罠だとわかって入ってきたからね。
次第に暗さになれてきた目で、あたりを見回す。窓から射す微かな月の光を背に、俺は目を細めた。細部までは流石にわからないけど、俺が泊まった時と、室内はほぼかわらない様子だ。何かが仕掛けられた形跡はない。
「イギリス! いるんだろ」
一応呼びかけてみたけど、返事はない。真っ暗で、静まり返った部屋に自分の、呼吸音と身じろぎする音だけが響く。
ここも、玄関と同じで、やけに暗くて湿っぽい。嫌な空気だと思いながら、俺は出入り口へと近づいた。
この部屋に何もなかったということは、一旦安心させておいて、廊下で何か仕掛けてくるつもりなんだろう。黒々とした、イングリッシュオークの扉に耳をつけ、俺は廊下の様子を窺う。だけど、結局それは空振りに終った。何の物音も、気配もしない。
出てみなけりゃわからないってことか。早々に結論付けた俺は、手探りに探し出したドアノブをまわし扉を押す。
ガチャン。
途端に響いた金属音と共に、俺は眉を顰めた。
────鍵がかかってる。
だけど、部屋の外から鍵? いや、そもそもこの部屋に、鍵なんかついてなかったはずだ。おかしいなと思ったところで、後ろからブワァンという電子音と共に、何かが光った。
「っ!!」
飛び上がって驚いた俺は、でもすぐさま後ろを振り向く。
それは、見慣れた───例えば一昨日もこの家で見たものだった。
薄い、液晶のモニター。治療の前も、何度かイギリスと映画を見たり、ゲームをしたテレビだ。
小さなテーブルの上に、ぽつんと置かれたそれは、ザーザーと微かな音をたてて、砂嵐を映している。白っぽい光りが、真っ暗な部屋になれた目に痛い。
でも、確かこの部屋にテレビはなかったはずだ。だとすれば、模様替えの為じゃなく、何かの意図をもってここに置かれたんだろう。
と、いっても。まあこの状況じゃあ、あからさますぎるね。
何かの仕掛けの一つなんだ。恐らくホラームービーでも流すつもりだろうと予想をつけ、それを無視して再度扉に向き直る。
さて、ここも開かないとなれば、今度こそ強行突破するしかないな、と決意していた俺の耳に、微かな音が聞こえた。
砂嵐の音に紛れたそれは、何かを強く叩きつけるような音だ。
きっと、ゾンビが壁にぶつかったりしてるんだろう。
振り向かないぞ! 振り向くもんか! と身構える俺の後ろから聞こえる音は、徐々に大きくなり、合わせて後ろから射していた白っぽい光りがセピア色に変化した。
すると突然低い、男の声が響いた。
『あやまれ』
何かを叩きつける音に紛れて、そいつは確かにそう言った。どこかで聞いたことのあるようなそれを聞いて、俺は鳥肌がたつような嫌な感覚に襲われた。
冷静なふりをしつつ、激高している。そんな声だったんだ。
『あやまれと、言って、いる』
途切れ途切れになる言葉の合間に、バシンッという音が挟まる。何かを殴りつけながら喋ってるんだ。俺がそう気付いた時に、小さな悲鳴があがった。
『ぎゃっ!』
子供の、声だった。
思わず振り向くと、黄色く古ぼけた色の画面の中で、若い男が木の棒を振るっていた。カメラに背を向けているせいで、顔はわからないけど、時代がかった身なりは悪くない。だけど、そのことが更にそいつのやっていることを醜悪にみせていた。
殴ってるんだ。そいつの足元に転がるずた袋のような────小さな子供を。
しきりにあやまれと言っているから、子供は何か悪さをしたのかもしれない。よく見れば、男と子供の髪の色は同じくすんだ金髪だ。兄弟か、家族か、でも喧嘩やしつけじゃあ、有り得ない強さで、男は棒を振るい続けている。
子供は頭を腕で覆い、小さな体をさらに小さく丸めてうずくまって、痛みに耐えていた。さっき聞こえた小さな悲鳴以外は、声もない。
その態度が、男は気に入らなかったのか、それとも殴ることに飽きたのか。突然木の棒を放り投げると、子供の頭に足をのせた。そのまま体重をかけ、踏み潰そうとする。
流石にこれには、耐えられなかったんだろう。子供が悲鳴を上げた。そして、とうとう男の望む言葉を口にした。
『ご、ごめんなさい! ごめんなさい!』
叫んだ声は、泣き声に近かった。
無理矢理、力でいうことをきかせられた、悔しさと自暴自棄な響きの入り混じったそれを聞いて、男はようやく気がすんだようだった。足をどけ、だけど、子供がほっと息をついたのを見計らって、そのわき腹を無造作に蹴り飛ばす。
ぐぇっと声が上がって、サッカーボールみたいに転がった子供を見て、鼻を鳴らすとその場を立ち去った。
────なんなんだ…これ。
テレビの中の、作り物だとわかっていても気分が悪い。顔を顰めた俺は、だけど次にあっと目を?いた。